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君達はなぜ負けるか(選択的夫婦別姓とか)

https://twitter.com/ChihiroOsugi/status/1825912343798362143より引用)

 たまたまこれを見たので、なぜ選択的夫婦別姓が広範な支持を得て推進されないかを少し書いてみます。

 最初に言いますと僕は思想的には賛成です。
 僕は自由の信望者なので、多くの人により選択肢がある方が自由に近づくからです。

 ただし、現状の推進派から推進の署名をしてほしいと言われたら断ります。
 あの人たちの同類扱いされたくないので。

①賛同者の現場実務への影響の無関心


 制度としての選択的夫婦別姓が認められた場合、どういうことが起きるか。
 家族の絆なんていう曖昧な概念はどうでもいいのですが、実務の場でちょっと考えるだけで以下の問題が生じることが想定されます。

・同姓を前提とした戸籍制度への影響
・別姓夫婦の婚姻関係の表示、婚姻関係を証明する方法
・子供が生まれた場合の姓の選択

 
 当たり前ですが、選択的夫婦別姓が認められました、明日から希望者は別姓を使えるようになって、めでたしめでたし、後進的な悪は滅びてハッピーエンド、では済みません。
 恐らく膨大な手間が生じ、様々な制度的にクリアすべき問題が出てくる。

 選択的夫婦別姓を推進するということはそういう膨大な調整事項が生ずることでもある。
 婚姻届けと身分証明の書式を変えれば終了、などとお気楽に考えてませんか?

 そして、これらの問題について、推進派から我々としたらこういう解決策があるという主張を聞いたことはありません。

 上記の一つ目や二つ目はは極めて影響甚大ですが、一方でこれは個人でどうできるという次元の問題を超えています。
 この点についてはまあとりあえず置いておきます。

 でも3つ目について、推進派は一家言あるべきではないでしょうかね。
 勿論その主張が実行されるかどうかは別としても、自分ならこうするという意見も無いのは如何なものか。

 何かについて真剣に考えるというのは、そういうことも含めて考え抜き、理路整然と主張することだと僕は思います。
 ツイッターでハッシュタグ付けて「私の高まる思い」をtweetするのは真剣な行動じゃない。

 ちなみに、僕ならこう主張します。

 婚姻時において子の姓を婚姻届けにて選択しておく。

 同姓にするか、別姓にするか、姓について一番真剣に考えるタイミングは結婚の時だからです。

 ミドルネームを入れる……例えば山田さんと鈴木さんが結婚して、子供が生まれたら 山田・鈴木・太郎君にするのは、戸籍制度への影響が甚大過ぎるので現実的とは思えません。
 
 こういう点について何らかの言及をしないということは
 彼らの姿勢は端的に言えば、

 

 選択的夫婦別姓を認めよ!
 ただし現場の問題を解決するのはお前らの仕事だ。
 勿論不満があればお前らの責任だから文句は言うぞ


 こうです。
 こんな厚かましい態度で支持が集まるはずがない。

 そういうことを考えるのは国の仕事、自分たちが考える必要はない、というのはまあご尤もだと思いますよ。
 でも、そんな、テーブルに座って晩御飯が出てくるのをただ待っていて、出てきた食事にブー垂れるような姿勢は支持されないというだけです。


②推進派の攻撃性

  

 

https://twitter.com/maiko_tajima/status/1825502237722095641より引用)

 これはほぼ確信をもって断言しますが、選択的夫婦別姓を採用した後に、女性、特にインフルエンサーと言われる女性が男性配偶者の姓に改正した場合、推進派は身の毛もよだつほど恐ろしい人格攻撃を始めるでしょう。

 後進的!家父長制の奴隷!
 別姓を推進する時流に逆らう!
 女性の敵だ!


 こんな感じ。
 選択的なんだから改姓するのも自由、という風にはまずならないでしょう。

 だって、上記のtweetを見ても分かる通り、この手の人たちからすれば、同姓は古い、夫婦別姓が大正義ジャスティスですからね。
 選択的別姓はあくまで妥協の産物に過ぎません。

 正義に背いて同姓にするなんて背教行為ですし、彼らは自由を認めないので、正義に背く連中は吊るし上げて火炙りです。
 前述の子供の名前も、女性の希望に沿わなかった場合は差別とか言って吊るし上げされそうな予感はあります。

 選択的夫婦別姓という個別論点についてはこの二つです。
 これに加えて、選択的夫婦別姓に限りませんが、J・リベラルのセンセイ方の御高説がなぜ支持を得られないのかも書いておきます。
 これは彼らが選挙の負け続ける理由でもあります。

 まず大前提ですが、この世界でほとんどのものは
 

 自分にとって大事なものであっても、他人にとってはどうでもいいもの


 です。

 ある人にとって選択的夫婦別姓は人生を左右するほど大事かもしれません。
 しかし普通に改姓して片方の姓に合わせた人や、好きな人に性に合わせて幸せという人にとってはどうでもいいことです。

 これは誰でもそうです。
 意識の高い皆さんだって、誰かにとって生きるか死ぬかの全ての問題を大事に思うことはできない。人の関心領域も投入可能なリソースも有限ですからね。
 
 ただ、勘違いしてはいけないのですが、どうでもいい、という人は、反対派ではなく中立派です。
 正義と悪、敵と味方に世の中を色分けしている人には分からないと思いますが、賛成しない人は反対派、自分達の敵ではないんですよ。

 そして、他でも書いた気がしますが、民主主義のシステム下で世界を動かすためには、そういう無関心な中立派を味方に引き込まなくてはいけない。 

 では、そういう無関心な中立派の支持を集めるために大事なことはなにか。
 それは論の正しさ……ではないんですよね。

 最も大事なのは

 主張者の人格


 です。

 この人の意見なら聞いてもいいな、支持してもいいな、と周囲に思わせる人格。これが前提条件。
 聞いてもらってその後に論の正しさはついてくる。


https://x.com/mt_yamamoto_/status/1826200850613833894より引用)

 
 無論、人格や人当たり、外面がいいだけで論がポンコツならそれはそれでお話になりませんが、話を聞いてもらうためには、この人の話を聞いてみようという人格は大事です。
 はっきり言いますと、不快な相手の言うことを聞く人は誰もいません。

 そして、主張は、聞かせるもの、分からせるものではなく、

 

分かってもらうもの、聞いてもらうもの、


 です。

 何処かの誰かさんの御高説なんて、第三者からは聞いてもらえないのが当然です。
 聞かない相手が悪いのではなく、聞いてもらえるように伝えていない自分が悪い。
 
 第一、主張を聞いてもらえなければ、自分の主張への支持も広がらない。
 支持されない主張は実現しない。結果的に困るのは主張者ですけど。
 自分の意見は正しいんだから周囲は聞いて当然だ、とか思ってるなら、その思考はアップデートした方がいいです。

 主張を「聞いてもらう」必要がない、聞かせられる人は、聞き手に対して余程優越な立場の人だけです。
 具体的に言うと教師とか上司とかですね。

 J・リベラルのセンセイ方って教授とか学者とか、そういう聞かせる立場の人が多そうなので、教室の講義の気分で世間にもお説教してるんじゃないかな、と僕は思っています。

 しかし、○○大学社会学部教授、とかの肩書が通用するのは当該大学の教室とか講演会の講堂の中までです……その立場でも、聞き手が傾聴してくれるとは限りませんけど。
 それより外でセンセイ方に特段の敬意を払う理由はないんですよ。

 なので最悪なのは、私の正しい主張を聞け!と自説を押し付けたり、高慢ちきな上から目線で分かっていないお前らを糺してやるという態度です。
 そんな偉そうな人の話を誰が聞いてくれるというのか。

 そもそも、誰にとっても「正しい」意見なんてものこの世界には存在しません。あるとしたら宗教とかくらいです
 なので、私の意見は「正しい」からお前らは聞くべきだ、という考え自体がすでに間違っているわけですけどね。

 この世界には多様な文化、価値観が存在しています。
 ある文化圏においては、不貞した女性を石打ちにすることがあったりするわけです。
 こんなもん日本人的な感覚からすれば意味不明でしょうけど、あるものはある。

 その多様な世界において恐らく共通する概念の一つは、

 他人を見下す人は嫌われる、


 だと僕は思います。
 知性とやらを鼻にかけたり、自分は正義として他者を愚かだの後進的だのと見下す人は嫌われる。
 
 人を見下してもそれでもなお他者が従ってくれる人がいるとしたら、余程怪物じみて突出した能力を持つ人か、もしくは天性のカリスマでしょう。
 そんな人はそうはいませんし、リベラルセンセイも勿論それに該当しません。

 個人的には、それを踏まえて、J・リベラルの皆さんは少しは運動の仕方、主張の伝え方にも気を使った方がいいと思うのですが……こういうのはトーンポリシングっていうらしいですね。

 とはいうものの、彼らが態度を変えない限り、彼らの主張が広範な支持をえることはないでしょう。
 僕自身は彼らが変わらなくても痛くもかゆくもないので好きにすればいいと思いますが。

 ただ、「正しい」我々の意見を聞かない世間に逆上して、火炎瓶を投げ始めたりするのだけはご勘弁願いたい。
 閉鎖的な山岳基地でお仲間同士で粛清しあう分には好きにしてくれていいです。



 (https://x.com/sssgmiso/status/1812778449255186485より引用)


 ・追記

 本邦では夫婦同姓ですが、基本的に男性の姓に合わせるのが一般的です。
 それは何故か?

 これは要するに、男性がその姓でくくられた家族を養うという責任の表明でもあったと思うんですよね。
 そして、結婚したら男が妻と子を養うのが当然と言う風に世間は見ていた……今もかな。

 なので、家族を養う家長たる女性が増えれば、女性の姓に合わせる男性も増えるのではないでしょうかね。
 女性は子供を産んだら家庭に入ることを強制されているんだ!なんてことは今のご時世ありません。
 私が稼ぐからアンタはこの子の子守をして家事をして、と言う女性が増えれば、日本人の姓の選択も変わっていくと思います。

・追記2

 選択的夫婦別姓が程々に賛同者はいるのに実現に至らないのは、上に書いた通り、積極的賛同者の態度がアレなこともあるんでしょうけど。
 戸籍とか婚姻関係の証明とかが実務上かなり難しいんだろうと思います。

 特に夫婦同姓を前提にして運用されてきた戸籍システムの対応がハードル高いんでしょうね。
 あらゆる場面で旧姓使用をしやすくする、という対応はそれに対する折衷案なんでしょう。

 

 

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