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私は自由を愛していますから(表現の自由について)

https://twitter.com/siseinosyomin/status/1757356133776515073より引用)


https://twitter.com/siseinosyomin/status/1757356137006215440より引用)


 まず最初に。
 男なら奢れ、男たるものかくあれ、と言われるのが嫌なのは

 それがリアルで言われるからですよ。

 
 そこは勘違いしてはいけない。
 インテリジェンスを置き忘れてませんか?

 ていうかですね、女性向け創作には、主人公の女の子に尽くし無償の愛をささげるイケメン男性が山ほど出てきます。
 でもその創作物から「私たち男はこういう規範を押し付けられているんだ!」とキレ散らかしたら、それはヤバい人でしょ。

 いや、まあそれを受信するのは本人の自由ですが。
 ……それを口に出されると、何というか……僕なら3歩離れます。
 それと同じで、萌え絵から女はかくあるべし、と言う規範を受信してるなら、それは絵の問題というより本人の問題でしょ。

 それにやたらと萌え絵ばかり槍玉にあげられますけど、創作の女性キャラは極めて多様です。
 お色気キャラもいるし、男性主人公に従順なキャラもいます。
 強いリーダー役の女性キャラもいますし、孤高の戦士とかのようなキャラもいる。
 そう言うのを見て一々「女はかくあれ」と言うメッセージを受信するんですか?

 これ以外だと、素敵な旦那様に見初められて嫁いで幸せ、みたいな女性向け創作だって沢山あるでしょう。
 あれを見て「結婚が女の幸せと言う規範」を受信する人がいるんですか?

 これだけ女性が出てくる創作物があるのに、萌え絵からだけ「女はかくあれ」というメッセージを受信してキレ散らかしてるのは、はなはだ意味が分かりません。
 理由があるなら説明してほしい。あるのなら。

 ……ところでちょっと横道にそれますが、ハイスペイケメンに愛される系の女性向け作品を見るの、男性視点でも結構楽しいんですよね。
 僕も何冊か持ってます。

 だって、あの手の作品の愛される女性主人公って

 かわいいんですよ。


 リアルでこんな女性がいたら「守ってあげたい、尽くしたい、この人のために頑張ろう」と思える。
 それはもちろん容姿の描写もありますし、不遇な環境への同情とか、それにもくじけない健気さとかの精神的な部分も含めます。

 そして、女性主人公も守ってくれる男性キャラを慕うでしょ。
 男からすれば、ああいう風に愛情や感謝が返ってくるなら君のために頑張るよってなりますよ。

 一部の人フェミニストみたいに、

 男は奢って当然!でも男女平等!男性は特権を意識せよ!


 とかふんぞり返っている女性主人公はいないですよね。

 そういう意味では、あの手の作品は男性キャラに投影してみても結構楽しめます。
 リアルであんなハイスぺイケメンはそうはいませんし、勿論僕も違いますけど。

 閑話休題。

 で、この萌え絵について、公共空間でのモラルがとか不快感を基準にする人が観測されるんですけど。
 そんなもん、

 私は不快じゃない、不快じゃないと思う人もいます


 で反論が終了するわけです。

 当たり前ですけど、不快と思う人にすべて配慮する必要なんて微塵もありません。

 例えば、僕は性的表現ありのBLが不快なのですべて18禁ののれんの向こうに閉じ込めてほしいと思うことはあります。
 当世の厚かましいフェミニストの被害者意識は不快極まりないですので公共の場に出さないでほしいなーと思うときもあります。

 でもそうすべきだとは思いませんし、そんな世界は望んでいません。
 それは自由の侵害だからです。

 ていうかですね、誰だって日常を生きていれば不快なこととかあるんですよ。
 で、それをスルーしたり我慢したりして生きている。

 勿論程度の差はあるし受容度の個人差もあるでしょう。 
 しかし貴方だけが被害者でありません。
 それを想像できずに、自分でだけ不快にさせられていると思うなら、それは想像力が欠けています。

 そして、ある一定の不快感だけは配慮されるべき、あるいは、ある属性の不快感は許容されるべき、というなら。
 それは

 差別か特権意識


 です。

 そういう意見を発するのも自由ですが、

 私は差別主義者ですが、と枕詞をつけて


 表明して頂きたいですね。差別意識を自覚せよ。

 それに、性的表現についてはきちんと規制があるし、公共空間にそれを掲出するためには、空間の管理者(駅とか商業施設とか)の許可が必要です。
 その許可を出すにも何らかの基準があります。

 よって、それを取り下げさせるためには、その基準とかの部分で論陣を張らないといけないんですよね。
 そうやってこそ初めて「議論」になる。

 不快感とかいう感情で争えば宇宙の果てまで平行線になるに決まってます。
 だって何を不快に感ずるかは人それぞれなんですから。

 でもそういう観点からまともに論じた人はほとんど見たことがない。
 本当に公共の場の萌え絵が問題だと思うなら、知的怠惰をやめて少しは真面目に論を考えて頂きたいものです。
 あんなのじゃ誰一人説得できません。

 今まではその辺の理論を構築する手間を省いて、必殺コンボであるSNSスクラムで無理やり押し通してましたけど。
 でも手口がばれて無視されつつありますし、あれって数がそろってこその手法なので、数がそろわなくなるとますます威力を失いますよ。

 とはいえ僕自身は、この手の連中は萌え絵が人権的に問題だとか真剣に思っているわけではなくて

 何かを踏みつけて従わせたいという征服欲


 を満たしたいだけだと思ってますので、そこまで真面目に考えることはないと思いますけど。
 だって気軽に誰かを踏みつけたいという加虐レクリエーションなんだから、論を考えるなんて面倒ですよね。

 前にもどこかで書きましたが、僕自身は萌え絵については取り立てて興味はありません。嫌いではないですが好きというほどでもない。
 ではなぜこんな文を描くかというと、

 僕は表現の自由を愛しているから


 です。

 

 他者の作り出す、自分にとって不快な表現の自由も含めてね。


 なので、自由の侵害者が嫌いです。
 萌え絵には特に興味はなくても、この手の勢力を放置するといつ自分の愛するジャンルに侵略してくるかわかりません。


 むろん、不快だと主張する人の自由も尊重しますが、そういう奴は自由の侵害者であることには変わりありません。
 よって、自由を奉ずるものとしては抗戦以外に選択の余地はありません。

 もう少し付け加えるならば、自分は正しいとか不快を感じた被害者だとかいう善人ぶった仮装をする自由の侵害者がより大嫌いです。

 この点では独裁国家の秘密警察のほうがまだまし。
 少なくとも秘密警察は自分たちが自由の侵害者であるという自覚くらいはあるでしょうからね。

 最後に。
 これは前のテキストでも書きましたが、公共空間での萌え絵の害悪について云々するなら、書店とかについても規制されるべきだと思うんですけど。

 なんでそこには言わないの?
 駅とか商業施設だと不味いけど書店ならいいんですか?
 どっちも不特定多数の人が出入りする空間ですけど。

 


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