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かぞくのはなし

こんばんは。
初めてかぞくのはなしを書きます。

私はうつやHSPの人、感受性が強い人と話すと感じる事があります。
それは、生まれ持った体質だけでなくその人の「かぞく」や「生い立ちの環境」も深く関係しているのではないかと思うんです。

その環境だったから、HSPやうつにならざるを得なかった。いやむしろ、だからこそ生きてこられたのかもしれない。と。

なので、今日は「かぞく」について書こうと思います。

かぞく構成は、
父、母、兄、私の4人かぞく。

ここ2、3日…
自分のかぞく( と呼べるのかわからないけれど)の事で、
脱力したような虚しい気持ちになりました。
一部の親戚と友人に自分のモヤモヤを伝えることができましたが、それでも話を聞いた周りも困惑しているようでした。

そりゃそーだ。。
私だってわからない。

( ´△`)

初めに伝えますが、
うちは複雑な家庭の方だと思います。
「両親が仲良いほのぼのした家庭」って、
奇跡なんじゃないかと思える。映画やドラマの中の世界みたい。

何が起きたかを書きますと、

用事があって、
結婚した兄の身分証明書が必要でした。
そのため保険証のデータを送ってもらったんですが、
見たら私の知らない苗字に変わってました。


「……え…………。。」(゚ω゚)
(私と兄は同じ苗字だったはず)

理由を尋ねると、返ってきた答えは、

「結婚を機に、母の籍に入った」


「??????(゚ω゚)へ???」


何が何だか意味がわかりません。

でも表示されていた苗字は、
母の旧姓ではありません。

つまりどういう事かというと、、


自分の知らないうちに両親が離婚して、

再婚していた。

そして、

知らないうちに兄は、
母と母の再婚相手の養子となった。
(のでしょう。)

父と私は距離を何年も置いていますので、

母に急いで電話しました。

んが、
出る気配はありません。出ない。。

2〜3日たっても、折返しの電話はありません。

5月は普通に母と電話で世間話をしていたんですが、そんな話題、、少しも出ませんでした。 



「私の存在って、何なのだろう。。。」
その思いが、ずっとグルグル駆け巡ります。



昔から、母は肝心な話をしないのです。


そして、昔から私が本当につらいと伝えても、
結局は彼氏優先で、気持ちが無視されてしまう。

社交的で明るく、面白く、口が上手く、要領が良く、嘘が得意な母でした。(過去形)



昔から、ちゃんとした話や説明のないまま、
大事な事が進んでしまっている。
知らないところで環境が変わっている。

だから、何となくそういう人だというのは、
解ってはいたのです。

「………またか。。。」と。


だけど。

こんな大切な話を娘にしないというのは、、、、、、

ここまで酷いとは、思わなかったです。
どんな事情があるにせよ、、


親の離婚と再婚は、子に言いましょうよ。。


「傷つく」、を通り越して
「理解不能」。というか、、、、

同じ大人として、引きました。
:(;゙゚'ω゚'):


兄が結婚したのは5月なので、
母はその前に離婚と再婚をしたのでしょう。
今、7月じゃないか。。
私だけタイムワープしたのでしょうか。
記憶喪失したっけ、、いやいやしてないぞ。

もう少し、かていの事情について話しますね。

実は、
私が8歳の頃に両親が別居となったのでした。
父の居ない気楽な生活。
母、兄、私の3人暮らしが始まりました。

それからずっと、何年も別居のまま籍は同じ。
でも連絡は父も母もお互い取らず。取れず。

それから4年ほど経ち、
母に彼氏が出来て、気がついたらたまに遊びに行くようになりました。
「引っ越すよ」と言われて、引っ越した先には
なぜか、彼氏が毎週遊びに来るようになりました。

受験の時も「気が散るから、外で会ってくれないか」と母に伝えるも効果なし。

私は大学生になり、
そのうち家に帰ろうとすると、
何故か過呼吸が出るようになりました。
部屋で声を出さないように泣くようになりました。

一人暮らしをしたいと言っても、
反対されどうして良いか分からなくて。

相談できる人も居なかったので、
しんどい時は1人カラオケで、何時間も何十曲も歌う。
泣きながら歌ったり、家に帰らず友人宅や祖母の家に泊まらせてもらったりしていました。


そのマンションは、母が上手いこと言って彼氏に購入させたものだったのだと何年後かに分かるのです。
だから、彼氏が遊びに来るのを断れなかったのだと。

ストレスMaxになった頃、私は家を出ました。
その時は、かなり揉めて大変でしたが、
一人暮らしを始めて、久しぶりにゆっくり眠れたのを覚えています。

今から思うと、自分の中で溜め込まず、
もっと他の大人に相談できたらよかった。
相談して、他の大人の意見を聞けたら、もっと違う考え方ができたかもしれないし、
違う方法を教えてもらえたかもしれない。

行政や福祉施設の相談窓口に、
相談する事ができたかもしれない。
でも、当時学生の自分にとっては
学校と家が全て。

友人や先生に相談する事は出来ず、
自分の家庭はよくわからない状態で、
人に話してはいけないような気がしてた。

親戚にも言えず、誰にも言えなかった。
(家を出る時に揉めた時は、祖母に相談して
何とか切り抜けられました。)

家庭環境で悩んでいても、誰にも相談できずつらい想いをしている子は多いのかもしれないなあ。。。



話を戻しますね。

私は学生の時から、
両親には早くケジメをつけて
離婚するならちゃんとしてから
他の人と付き合って欲しいと
訴えてきました。


だから、、数十年かかったけど、
ケジメがついた事は良かったです。

それなら伝えて欲しかった。。
マンションに引っ越す時も、
ちゃんと説明して欲しかった。

今も昔も思うこと。


「…なんでそういう事を、
ちゃんと言ってくれないんだろう。」

(゚ω゚)

思い返してみると、うちの両親は
「人とちゃんと対話する事」をしない(できない)人だと思います。

リワークでアサーション(自他共に尊重して話す)を学んでから、
父、母はアグレッシブタイプ(攻撃的)だったのだとわかりました。

感情に任せ、声を荒げる、不機嫌になる、経済面で優位にたつ。
父は理責め、母ははぐらかす。


そう言った事で、相手よりイニシアチブ(優位性)をとる方法しかわからなかったのだと思います。
それが「対話」だと思っているのかもしれません。

そんな「かてい」だったので、

私は、
「対話する事を諦めるようになった」のだと思います。
いや、対話できてない事にも気がつかなかったというのが近いかな。

伝える方法や、対話すること、
その中で「自他尊重すること」をわかっていませんでした。



伝えても伝わらない。
伝えたところで、責められる。
「ひどい」と言われる。
伝えた自分が悪かったのかと自責思考を持つ。

伝える事を諦め、自分が我慢した方がラクになる。
そのうち何も言えなくなってしまう。
気まずくなると、ある日何も言わずに人の前から去ってしまう。


そんな風になっていったのだと思います。

アサーションで言う、ノンアサーティブの極みですね。。
正しいケンカの方法や、仲直りの方法をわかっていませんでした。。
今もよくわかってないと思いますが、
わかってなかった事を、リワークの友人のお陰で気がつけたと思います。

今、これを書いていて、
ふと思った事がありました。

それは、
「母も同じかもしれない」ということ。
母の育った「かてい」も、母の主張に大して向き合って貰えない事が多かったのだと思います。
もちろん、母の時代は戦後でアサーションなんていうものは無かっただろうし。
対話よりも先に手が飛んでくる環境では、無理もないですね。。。

もう過去や家族に振り回されたくないので、
家族が誰と結婚しても、他の家族を作っていてもそれはそれで良いのですが、

・自分が嫌だと思うこと
・自分はこうして欲しかったこと

は諦めずに対話していこうと思うのです。

これは、かぞくに限らず自分と関わっていく全てに対して。
もちろん自分に対しても、無視したり逃げたりせずに対話していこうと思うのです。


無理はしないよう、自分が伝えたい時に。

それは、うつになって休職して学んだこと。
自分の気持ちを、
自分が無視しないであげること。
伝えようとしなければ、伝わらないこと。
ちゃんと自分と向き合ってあげる事。


特に私は自分の家族に対しては、
色んな感情が芽生えてきてしまうから、
自分が落ち着いた時に、、
ゆっくりでも。
でも、無理はせず
距離を取るときは、ちゃんと取って自分を守る。

自分を大切にしてあげること。

私は無理のない範囲で、
自分や他の人と少しずつ「対話していきたい」と思います。


おわり。



おまけ(本音)
( ´△`)


いやもう、驚いたわー。
いきなり苗字変わってるんだもんよ。
そういう話、ちゃんと言ってよー。
マジ勘弁だよー。なんなのよー。もう。
いい加減にして欲しいわー。

( ´Д`)y━・~~

実は、めちゃくちゃ頭きて
グレそうになった笑
↑叔母になだめてもらったw


たぶん昔の私なら、激怒してたと思います。

実際、2〜3日
夜眠れなかった。。

頭がモヤモヤMaxで整理できなかった。

でも、
今の私には大事な存在がたくさんあって、
色んな人達に大事にしてもらってる。


家族の人生は、その人自身のもの。

私の人生は私のもの。

だから、もう、いいや。
みんなそれぞれ幸せなら、それで良いよ。


これからは自分を大事にしてくれる人達を
自分が大事にしていこう。


そう、思えた出来事だったのでした。


自分の人生の主導権は、じぶん。


ここまで読んでくださって、
ありがとうございました😊

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