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#13 雪と言葉

僕は数年前から、春・夏・秋と松代のやぶこざきキャンプ場内で祝日と週末、自家焙煎のコーヒー屋の店主をしている。雪が積もれば冬季休業に入るため、この時期はいつも天気予報と睨めっこしながら、いつまで営業しようかな?と思案している。
 
今年は暑かった夏を引きずったのか初雪は時期も遅く、降雪量も少なめだった。コーヒー屋は結局、12月17日まで営業した。18日からの寒波に伴う雪予報は、十日町市に根雪となる雪をもたらすだろうと思われたからだ。

12月17日のやぶこざきキャンプ場
12月18日のやぶこざきキャンプ場。1日で季節が変わる

「明日は本当に雪が降るの?」と思わせる、生ぬるい風の吹くキャンプ場で、管理棟の冬支度をしながら、今季最後の営業をした。その夜、冷たい風と共に気温はグッと下がり、朝になると、茶色い大地は雪に覆われ真っ白となった。僕は翌日、店の片づけをしながら、季節の変わりゆくさまを眺めた。
 
以前読んだ、写真家の星野道夫さんのエッセイ「雪、たくさんの言葉」(イニュイック〔生命〕、新潮社、1993年)で、アラスカの原住民には雪を表現するためのたくさんの言葉があると読んだ。
 
例えば、「アニュイ」は降りしきる雪。「アピ」は地面に積もった雪。「クウェリ」は木の枝に積もる雪。「プカック」は雪崩をひきおこす雪。「スィクォクトアック」は一度溶けて再凍結した雪。同じ雪でもアラスカの原住民はたくさんの言葉を使って雪を表現するのだという。

クウェリとはアラスカの原住民の言葉で木の枝に積もる雪。十日町市でも木や電線に積もる雪をみることができる

僕もここで暮らし始めて、特定の言葉はないけれど、ここにもたくさんの雪の種類があるなぁ、と感じていた。
 
まずは、「遠くの山に降る雪」。この辺りでは遠くの山に3回雪が降ると今度は里にも雪が降るなんて話を聞く。僕は毎年、山が初めて白く染まるとドキドキしつつも、「後2回は大丈夫だ」なんて思いながら、冬支度を慌ててしている。
 
そして、「一度は溶けて消える初雪」。冬季休業しているコーヒー屋で毎年冬が近づくと「今年の営業はいつまでですか?」という質問を受ける。僕はいつも「根雪になったら休みます」と答えている。初雪は溶けるという感覚があるので、「雪が降ったら」とは答えない(もちろん例外もあるけれど)。


終業式のため小学校に登校する息子(左)

「根雪になる雪」。今年は12月18日に降った。前日まで当然のように踏みしめていた大地と春までお別れする雪だ。
 
アラスカの原住民と同じように、「木の枝に積もる雪」というのもある。杉の木が帽子を被ったように積もる雪は、雪が止んで半日も経つと地面に落ちてしまう。僕はこの期間限定の雪景色がとても好きだ。ここでは木だけではなく電線の上にも積もる。こちらは木の上の雪より短命で、時折、歩いている自分の頭の上にかなりの衝撃を伴って落ちてくる。

週末の寒波で完全な根雪となる(12月24日朝)

季節が進めば、アラスカの原住民と同じように、雪崩をひきおこす雪や、再凍結した雪もある。雪国で暮らしていると、雪は単にひとつの言葉で現されるものではない。ちなみに、日本語にも雪の名前はいくつもある。降る雪には、玉雪、粉雪、灰雪、綿雪、餅雪、べた雪、水雪とある。積もった雪は、新雪、こしまり雪、しまり雪、ざらめ雪となる。
 
それにしても、十日町市の雪景色は美しい。棚田など自然の中の景色はもちろんだが、僕は人の暮らしの気配がある景色が好きだ。傾いた電柱も雪が積もると途端にフォトジェニックになる。これから4ヶ月近く、十日町市の暮らしは雪と共にある。今年はじっくりと雪を観察してみようと思う。

十日町市の凄いところは、これだけの降雪量がありながら、縄文時代から連綿とつづく人の営みがあることだ

『究極の雪国とおかまち ―真説!豪雪地ものがたりー』 世界有数の豪雪地として知られる十日町市。ここには豪雪に育まれた「着もの・食べもの・建もの・まつり・美」のものがたりが揃っている。人々は雪と闘いながらもその恵みを活かして暮らし、雪の中に楽しみさえも見出してこの地に住み継いできた。ここは真の豪雪地ものがたりを体感できる究極の雪国である。

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