「図書館」から始まったわらしべ読書(1)

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 何かある言葉なり出来事なりを起点として、そこから次々と関連する言葉や事項・人物などが繋がり結びついていく、ということがある。関連付けていくと、連想ゲームのように思いもかけない方向へと言葉や出来事などが現れ出てくる。その面白さに、私はよくそういう遊びを作り出して楽しんだりしている。それは、知っていたつもりの事柄や人物について改めて調べたり関連する本を読んだりすることで、まったく新しく事物や人間を見出すことに結び付く。

 今日は、ある図書館から「インド独立の父」や「Wi-Fiの父」「量子力学」「新宿中村屋」などから「北村透谷」「多摩ニュータウン」のことへとひろがり、また「読書の森」を経て「アンネのバラと中学校」や「原水爆禁止運動」へと、関連付けが際限もなく続いていってしまったことを、人物を主にして記してみたい。その始まりは「ある図書館」であって「ある図書」からではない。
 
 私がよく利用する図書館は、その建物の周りをやわらかく包み込むように樹木が配置され、ガラス張りの壁面に設置された閲覧席から樹々の緑や大空、そして敷地内の「読書の広場」や隣接している「読書の森」と名付けられた池や細い流れをもった小公園が眺められ、読書や勉強に疲れた目と心を休ませてくれる。天気がよければ図書館の本を外へ持ち出して「広場」や「森」のベンチや椅子に腰掛けて読むこともできるのだ。何よりうれしいのは、ここは閲覧席がとても多いことと、屋内はもちろん外でも無料Wi-Fiを使いながらパソコンを利用できることである。もちろん本や資料も豊富である

 この図書館というのは東京・杉並区の中央図書館であるが、その「読書の広場」の一角にインド独立の父とよばれるマハトマ・ガンディーの立像がある。それは、杉並区の日印交流協会に対してインドから贈られたものだが、協会が区へ寄贈し、ここに設置されたという。これらの経緯も興味深いものがあるが今は割愛する。そのガンディー像の両脇にはガンディーの紹介文と「七つの大罪」が書かれた石碑が建てられている。七つの大罪あるいは七つの罪源というとキリスト教のそれを思わせるが、ガンディーのは「七つの社会的罪」と呼ばれるもので、碑には日本語、クジャラート語(ガンディーの故郷の州の言語)、英語で次のように刻まれている。

 汗なしに得た財産  良心を忘れた快楽  人格が不在の知識  道徳心      を欠いた商売  人間性を尊ばない科学  自己犠牲をともなわない信心  原則なき政治

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 どれもが心に突き刺さる言葉だが、今の政治家や経営者、また科学者や知識人にこそこれをしっかり見つめさせたい。

 さて、ガンディーは「非暴力・不服従運動」を唱えてインド独立へ多大な貢献をしたが、そのガンジー主義とは逆に、武器をもって独立を勝ち取ろうとしたのがチャンドラ・ボースである。ボースははじめ独立運動としてガンディーのもとに身を投じたが、非暴力による反英不服従運動は現実的ではないとして別の道を歩み、インド国民会議派議長、自由インド仮政府国家主席兼国民軍最高司令官として独立運動を指導した。
日本とも様々な接点があり、調べると関連する事項が色々と浮かび上がってくるのだが割愛。
 ガンディーは暗殺されたがボースは台湾で飛行機事故で亡くなった。日本の敗戦直後の1945年8月18日である。遺骨は日本に運ばれ、現在も杉並区の蓮光寺に安置されている。

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 チャンドラ・ボースは、マハトマ・ガンディー、ネルー首相と共にインド独立の三傑として彼らとともにインド国会議事堂にその肖像画が掲げられているそうである。
 ボースのねむる蓮光寺にネルー首相やその娘でやはり首相となったインディラ・ガンディーなどもお参りに来ていた。私は、もうはるか昔であるが、インドでインディラ・ガンジー首相にお会いしたことがある。その頃は日本はまだ一般の人の海外旅行などはほとんどできなく、1ドルが360円の固定相場の時代だった。私は、いわば文化使節団の一員としての訪問で、当時のことを思い返すと次々と横にそれ出して収集がつかなくなるので止めよう。

 さて、もう一人有名なチャンドラ・ボースがいる。その人は「インド科学の父」とも呼ばれ尊敬されている。インド独立の英雄はスバス・チャンドラ・ボース(指導者の意味のネタジという敬称で呼ばれている)であり、科学者の方はジャガディス・チャンドラ・ボースである。               こちらのボースさんは、物理学者であり生理学者でありインド最初のSF作家でもある。科学者としての思考過程も私には実に魅力的にうつる人物だ。電磁波の研究から無線装置を発明し、無線電信の先駆者として「無線LANの父」とか「Wi-Fiの父」などと呼ばれるが、面白いのはその研究からさらに植物の反応の解明へと研究を進めたことだ。
 すなわち、彼はコヒーラという電波の検出装置を開発したが、それを続けて使用すると感度が落ちてやがて無反応になる。だがしばらく休ませるとまた回復した。それは人間や動物が疲れて休むと元気に回復する現象と似ていると気づいた。そこでボースは金属や岩石のような無機物が外部刺激にどんな反応するかを調べ、さらに精密な実験装置を駆使して植物の反応も調べた。その結果、植物の神経伝達はかなり高度なもので、動物とほとんど見分けがつかないことを証明したという。無生物と生物の間に横たわる溝は考えられていたほどには広くも深くもないこと、またそれは植物と動物の間にも言えることなのだ。

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 このボース氏は、ゾウに乗って強盗どものアジトを襲撃するといった勇猛な父親のもと、幼少の頃は元盗賊だった人や農民、漁師などと親しくふれあい、人格形成されていったようだ。これらのことは工作舎から出版された伝記『インド科学の父 ボース』(パトリック・ゲデス著 新戸順章訳)に詳しい。ただこの本は原著がそうなのかかなり文飾が多く、訳も逐語的でとても読み辛いのが難点だが、人物像や科学的業績はよく書かれている。

 ところで上記二人のチャンドラ・ボースの名を冠した重要施設がコルカタにある。
 コルカタは、以前はカルカッタといわれていた西ベンガル州の州都だ。かってイギリスの東インド会社による支配の時代も、イギリス領インド帝国のときも、カルカッタは首都であった。だが反英独立運動がカルカッタを中心に活発に活動すると、イギリスはそれを嫌いデリーに首都を移した。独立後の現在もインドの首都はデリー(ニューデリー)となっている。そしてカルカッタはベンガル語のコルカタに名を変えた。
 さてそのコルカタの空港は「ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース国際空港」という名に、また古い歴史を持つコルカタの植物園も「アチャーヤ・ジャガディス・チャンドラ・ボース植物園」という呼称に替えている。アチャーヤとは学術に秀でた人の意という。独立運動の志士と大科学者の、インドへの多大な貢献への、ベンガル人をはじめとしたインドの人々の熱い思いが感じられる。
 私は、むかし訪れたこの街には強烈な印象を持っているが、それはまた別な話。ただ、もしまたそこへ行けるなら、街中歩き回りたいし、植物園の世界最大の樹であるGreat Banyan Tree をぜひ見たい。

 この先にさらに色々な人物が関連してくるのだが、長くなるのでいったんここで打ち切ろう。

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