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エスペラントに学ぶこと

 街を歩いていて、ある町内会の掲示板の横を通り過ぎようとしたら、『エスペラント』という文字が目に飛び込んできた。途端にひどく懐かしさがこみあげてきて足が止まった。
 掲示板に貼られていたチラシは「エスペラント語の学習会」への参加を呼びかけたものであった。

もう何十年となく思い出すこともなかった「エスペラント」という言葉。

「エスペラントって何?」と聞かれたとしても、私にはそれに答える資格はない。なにしろ私がある学生からエスペラント語を学んだのは、小学校の5年の終わりから6年の頃のわずか4ヶ月余である。その学生は病気で入院し、間もなく故郷へ帰ってしまったのだ。知り合って半年にも満たないのに、尊敬する兄のような存在として、私に強烈な印象を与えてくれた学生については、次回にふれてみたいと思うが、今回はエスペラントのことを記したい。

 私がエスペラント語を教えてもらうことになったのは、中学生になったら英語を習うのが楽しみだと言う私に、彼は「英語も、他の国の言葉もちゃんと勉強するのは大事だよ。だけどそういう外国語ばかりでなく、どの国ということの関係ない言葉があるんだよ。いつも強い国、大きな国の言葉ばかりが幅を利かせて、その言葉の人だけが有利になってるのはいいことじゃないんだ」と、私の目を見つめながら話す彼の真剣さに、何か怖い気がしながら、でも国に関係のない言葉って何だろう、と興味を覚えて「その言葉、僕でもわかるようになる?」と聞いたのが始まりだったことを、鮮明に思い出した。

 小学生の私に、彼は紙にカタカナやローマ字を使って、日常会話のほんのさわりから始まり、少し文法的なものに入りだしたところでストップしてしまった。
 まだ英語も習っていないときだから、英文法のSVO、つまり主語の次に動詞が来て目的語が続くといった基本文型さえわからないため、先生の彼は苦労したことであろう。でも、その語順の違いや発音の不思議さなどが、かえって新しい言葉に向かっているという新鮮な気持ちで、好奇心に満ちている子どもにとっては面白くて仕方がなかった。だからお兄さんが戻ってきたらいっぱい習おうと心待ちにしていたが、ついに彼は戻ることなく亡くなってしまった。私には2,30枚の紙が残されたばかりであった。
 その後すっかりエスペラントのことは忘れ去り、その言葉はおろかエスペラントという語自体も全く目や耳にすることなく、いつのまにか半世紀を過ぎてしまった。また、引っ越しを繰り返したためか、彼が私のために書いてくれた教科書となる紙片も、もうすべてなくなってしまっていた。

今回、偶然エスペラントの文字を目にしたことをきっかけに、あらためてエスペラントとは何だったのかを、この数日間、時間の許す限り調べ、また考えてみた。そして、若き学徒のお兄さんが、自らの命の終わりに異様な熱をこめて幼い私を導こうとしたその心の一端が、今ようやくわかりかけてきたのだ。

 エスペラントとは、19世紀の終わりごろにポーランド(当時は帝政ロシア領)のユダヤ人・ザメンホフによって提唱された、国際コミュニケーションの手段としての補助言語である、という。つまり、世界の人々を結ぶ共通の言葉として造語法や文法を整理し、習得も使用も容易にと考えられた人工語なのである。(詳しくは多数の書物が出版されているし、手軽には日本エスペラント協会(2012年に日本エスペラント学会から改名)のサイトでもアウトラインがつかめる。興味ある方はぜひご覧になるといい)。

 私が今、これはこれは、と惹かれていったのは、その精神である。エスペランティストたちが、何故国際語として英語や、ロシア、中国、アラビア語などではいけないと考えたかである。
 これら民族語、特に今は英語が国際社会の共通語の役割を担っているように思われている。政治、経済、科学、スポーツなどあらゆる分野で英語の『寡占状態』と言っていい。だがそれは言語の不平等性を推し進める反民主的なことなのだという。

 英語は、母語が英語圏の人たちにとって圧倒的に有利にはたらく。つまり、英語といわず、母語の異なる人々が互いの意志疎通をはかろうとして一方の側の民族言語を用いるなら、それは必ず言語上の不平等を生じるのだ。
 これまでの世界の歴史は、言語のうえから見ても、政治的、経済的強者による圧迫、寡占化が弱者や少数民族に対して常に行われてきたことは確かである。そのために消えていった言語、消えつつある言葉が数知れない。ユネスコの、危機にある言語リストのうち「きわめて深刻な言語」としているアイヌ語しかりである。
 ある言語学の研究リポートによれば、世界のおよそ6000余の言語の半分以上が21世紀中に消えるおそれさえある、と報告しているそうだ。

 言語はその民族固有の歴史を背景とした大切な文化である。絶滅の危機にある生物種に対して大きな関心を持つ人たちも、この地上の、様々に生きる民族の文化の大半が失われつつあることへの危機感が、あまりにも薄いように思われる。

 このような状況を踏まえ、エスペラントは「言語差別と、民族語の学習・修得の困難さがもたらす言語上の障壁を解消するための補助語として機能することをその目的として」いるという。
 それはまた「ほかの民族を自分たちの支配下に置くのではなく、たがいに尊敬しあうことを目指す」のが今世紀の私たちの進路だとすれば「地球的な規模でものごとを見る公平な視点と、対等なコミュニケーションを可能にする中立言語が不可欠である。エスペラントが民族語を廃止し言語を統一するもの、という根拠のない誤解がまだ根強いが、その反対に、言語と文化の多様性を断固として守る『橋わたしのことば』である」と藤巻謙一氏は解説している。

 日本でもエスペラント語に大いに関心を持った人、それを用いたりした人は思いのほか多い。著名人の名を挙げるのはあまり好きではないのだが、あえて載せると、古くは二葉亭四迷から柳田国男、吉野作蔵、新戸部稲造、徳富蘆花、宮沢賢治、安倍公房、井上ひさしなどや尾崎行男、湯川秀樹、手塚治虫など多方面にわたり大勢いる。
 エスペラント語科のある大学も世界には10以上あるそうだ。また、エスペラント語で言語学の博士論文を書いた人もいるとのこと。
 文化的背景を持たない人工語であることを十分承知し、それだからこそ関心を示したのに違いない。そしてエスペラント語の存在をしっかり受け止めればなおに自国の言語、母語を大切に思うことだろう。

 アイヌの文化への関心からアイヌと和人をめぐる問題に突き当たり、そしてアイヌ語を学び始めた私にとって、このエスペランティストたちの提言は深く共感する。
 今すぐエスペラントを学ぶ余裕はないが、その精神をバックボーンとして、より真摯に自身と社会への考察に向かいたい、とあらためて思ったのである。

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