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教職志望の方へー影の軍師の思い出1

 
 転勤する前から、『中間校は教員の仲が悪いから気をつけるように』と言われていました。
 成績が一番上位の学校と一番下位の学校は、先生たちの仲が良いのです。何故かというと、上位の学校では、先生たちも予習が大変だし、毎年の受験の変化に対応して行かなければなりませんので、喧嘩をしている暇がないのです。下位の学校では、一人の力ではどうにもならないことが多いので、先生たちが一致団結して頑張ったり、何か楽しいことを企画してストレス発散を一緒にしたりします。
 中間校へ転勤して、大変なことに巻き込まれて行ったのですが、それについてはまだ言う気持ちになれません。
 ただ、ある先生の思い出だけを語りたいと思います。

 理科のU氏は、問題教師たちの後ろ盾で、事実上、彼らの影の軍師だったのですが、ご親切なのか、お為ごかしなのか、いろいろして下さった上で、こちらの悪口を散々流されました。しかし、策略家の割に、意外に抜けたところがあって、憎みきれない人でした。

【下校放送フライング事件】
 もう20年ぐらい前のことですが、阿倍野高校で、試験期間中、私が日番の日の午後2時頃に、U氏が下校時刻の放送をかけました。当時の第4学区では試験期間中は午後2時完全下校でしたが、第6学区だったその学校は完全下校は午後4時でした。
 国語科室で、今は亡き石戸先生と、「あら、ご親切に放送をかけて下さってるわ。時間が違うけれど。訂正するのも顔を潰すことになりますよね。どうしたものやら」などと言っていました。
 午後4時に見回りと戸締りをしましたが、U氏が運動部のうるさ型だったこともあり、生徒はすでに誰もいませんでした。二年生の職員室に二年の学年主任のドクターマリオ(と呼ばれていた)先生が一人でいたので、「U氏の早めの放送で追い出しが楽です」などと話しました。一応、予防線を張ったわけです。
 案の定、U氏は私が日番をサボったなどとどこかで話したらしく、私と比較的仲の良かった英語のS教諭が国語科へやってきて、「最近は日番をしない人がいるんだってね?」などとおっしゃるのです。
 私はピンときて「…それはひょっとして先日U氏が午後2時に下校放送をかけた件ですか?」と尋ねると、S先生が頷いたので、「U氏は、私と同じで、試験期間中は午後2時完全下校の第4学区からいらっしゃったから。せっかく放送して下さったのを訂正するのもどうかと思いまして。……4時に見回りをして二年学年主任と話をしましたよ」と言いました。
 S先生は「あ、……そういうこと?ふーん、なるほど」と言って去って行かれました。
 U氏は、この話をお聞きになったものとみえ、次にすれ違ったとき、酸っぱい顔をされていました。 

【テニス部外部コーチ事件】
 伝統校だったので、クラブ活動は生徒の自主性に任されており、特に付き添いが必要な時だけ、顧問が呼び出されたのですが、ある雨の木曜日、職員会議をしている時に、男子硬式テニス部の生徒がクラブ活動中にガラス戸に突っ込んで大量出血して、救急車が呼ばれ、てんやわんやの大騒ぎになりました。
 その部は、前年度の顧問が全員辞退したクラブで、今思えば、私が一位でその部の主顧問になったのも変な話だったのですが、その当時は主顧問になると、他の部を見なくてもいいという規定と、前年度顧問が全員辞退した場合は対外試合に出られない等、活動が制限される、という規定があったので、病気であまり動けない私に、外部付き添いもないし、土日練習不可などはちょうど良いのではないか、ということだったらしいのです。
 しかし、雨の平日にまさか硬式テニス部が活動しているとは思わず、また生徒会指導部によれば、下校時刻までの活動は顧問に対して連絡報告義務がないという話で、怪我人がでたと呼びに来たときには、生徒たちがもう帰っているものと思っていたので、本当に驚きました(この件では、この後が大変だったのですが、今は省略します)。
 まもなく「顧問の監督不行届だ!」という非難の声が上がったようでした。
 しかし、伝統校の生徒会指導部は、クラブに対して、放課後下校時刻までの自由な活動を保証していたので、硬式テニス部顧問(つまり私)への非難を何とか抑えてくれたのでした。
 そこへ、U氏が「今の顧問は実技指導が出来ないから、自分の息子が大学生でテニスの経験者なので、クラブ指導員に登録して、指導させますよ」と申し出たということで、気がつくと、U氏のご子息はもうテニスコートで指導されていて、そこでU氏から紹介されたのでした。
 実際、その当時の私は主顧問と言っても強度の貧血のため全く走れなかったので、室内でミーティングをして、問題のあるフォアハンドのフォームを直すなどの指導はしましたが、コートに出るだけで貧血で倒れそうなぐらいひどかったので、外部コーチのお話には助かったと思い、感謝もしていました。

 ところが、そうこうしているうちに、U氏のご子息を見かけなくなりました。ある先生から耳打ちされたことには、「男子硬式テニス部の生徒2人がU氏の息子さんと授業中にクラブハウスで喋っていたのが見つかって、コーチを辞退してもらったらしい」というのです。
 これには、ちょっと言葉を失いました。

 元々、その部の主顧問となった最初のミーティングの際に、今度不祥事があったら活動制限では済まないだろう、と私は生徒会指導部から言われたその通りを部員たちに伝えていました。しかし、部員たちは「顧問の先生方全員が辞退した原因と言われても、前年度の不祥事は先輩方の起こしたことなので、知りません」と言っていました。
 教員間の噂によれば、前の三年生が(初夏の)引退前にクラブハウスで何かしたらしい、ということで、後輩たちは、前年度顧問の全員辞退の憂き目に遭い、それによって公式試合参加禁止となったのでした。
 今回もクラブハウスが事件の舞台でしたが、不思議なことに、授業中にクラブハウスにいた生徒たちからも、その担任からも、もちろんU氏からも、主顧問の私に全く話はありませんでした。
 しかも、生徒会指導部の方にも話が行かなかったようで、翌年からその男子硬式テニス部は対外試合に出られるようになりました。そして、次の年に私は軽音とサッカーの副顧問に返り咲いたのでした。

 記憶違いでなければ、私に耳打ちしてくれた先生は「まあ、(U氏のご子息は)将来ある若者だから……」と口を濁したのでした。
 

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