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教職志望の方へー教員定数について①

 多忙化が言われて、なり手が減っているというが、幾つか要素があり、複雑に組み合わさっています。
 長らく勤めていたので、考え得る要素を挙げてみます。長くなったので、まず①として【「日本育英会」問題】と【教員免許の取得できる学校の変化】、【短期大学の激減】、【団塊世代と採用数】をあげました。

【「日本育英会」問題】
 奨学金を日本育英会が取り仕切っていたとき、返還の免除職がありました。教職や国立の研究職でした。私も全額返還免除でしたし、大阪大学を出た教員の先輩方も育英会奨学金が返還免除だったと言っておられました。教職の人員確保について、奨学金返還免除が果たした役割は大きかったと思います。
 なぜ復活させないのでしょうか。

 2004年に現在の奨学金制度の独立法人日本学生支援機構 https://www.jasso.go.jp/
が出来、今では、返還免除はなくなりました。正確には日本育英会の平成10年(1998)から大学での奨学金に教職の返還免除がなくなっています。
 湊かなえさんの小説『告白』に奨学金返還免除が出て来ますが、かなり前の制度なのです。

【教員免許の取得できる学校の変化】
 小学校の教員免許が取れる学校は、戦前に母方の祖母などは(旧制の)女学校を卒業しただけで小学校に勤務していました。戦後、短大卒でも小学校教諭免許は取れたと記憶します。戦前戦後の小説などには、高等小学校(新制の中学校の前身)出の代用教員なるものも登場します。
 しかし、昭和55年高校卒業の私のころには国立の教育大学を卒業して小学校教諭になる方が増えて来たのではないかと思います。

 ちょうど、教員採用試験にマット運動、水泳などが入ってきて、かなりハードルが上がってきたのも昭和の終わり頃からでした。

 そもそも小学校教諭は、幼稚園教諭と同様に、教室のオルガンを弾きましたので、弾き語りできるぐらいの力は必要で、その上に体育もということになると、設備面でピアノ室、マット運動などのできる体育館、鉄棒があり障害物(要はハードル)走のできるグラウンド、水泳のできるプールが必要になり、国立教育大学には、弱小短大は敵わなかったのでしょう。

【短期大学の激減】
 国の方針で大学短大のカリキュラム変更があり、短大が無くなって行ったのが平成10年頃でした。あまり問題にならなかったのは、少子化で小中高いずれも教員採用数がほぼなくなっていたからでしょう。
 中学校についても、短大でも免許はとれましたが2級でしたし、小学校免許と同様の経過を辿ったと記憶します。
 高等学校は大学卒で2級、大学院卒で1級(=今の専修)でしたが、この高校免許は国立教育大学ではメインではなく、主に一般の大学で教育課程のある学部で免許取得しました。
 ただこちらも、文系に対する文科省の対応(一時期、文系を無くすなどと信じられないことが報道されて耳を疑いましたが、聞き間違いでしょうかね?)等により、高校国語免許の取れる大学は激減したのではないかと思われます。

【団塊世代と採用数】
 団塊の世代は、再任用でも定年を迎える時期になりましたが、ちょうど生徒急増期に教員になった世代であるため、かつて大量採用されました。この世代がボリュームゾーンとなり、年代男女別棒グラフで当初ピラミッド型になり、次は紡錘型となり、ついには逆三角になりました。いまはその上部の漏斗が取れ、理科のフラスコの形になっているでしょう。
 団塊の世代も無茶な異動で辞めるのは女性ばかりで、バブル崩壊ついでリーマンショック、予備校の閉校などにより、あまりボリュームゾーンは減りませんでした。
 したがって、少子化で学校を減らしていったにも関わらず、教員はあまり減らなかったので、採用数が抑えられました。科目によってはほぼ0が続いたのです。

 記事が長くなったので、②に続きます。

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