見出し画像

日本語指導の思い出③

 『みんなの日本語』という日本語指導の教科書を使って教え始めたら、よくできたテキストで、私が試行錯誤で無我夢中だった割に、教えるのはスムーズに進んだため、『みんなの日本語』での授業自体は、あまり覚えていない。
 むしろ、その周辺で起こったことの方が、よほど印象に残っている。

【高校一年一学期中間考査】
 国語は、抽出授業で国語科の私が日本語指導をするので、単位認定はできるが、他の教科は普通に出席してテストを受けなければ、単位認定できず、進級もできない。
 そのため、ピア日本語から派遣された通訳(ブラジルで長年企業で働いた経験のある紳士で、教員免許は持っておられなかった)が、最大限の時間数と回数で横について、試験対策をしていた。
 ある時、「物質の三態」に二人とも苦労していたので、私が「水は分かる?ブラジルポルトガル語で何という?」と聞くと、消え入りそうな声で「アグア…」と言う。「じゃあ、寒くなって、水がこの机ぐらい(机を拳でゴンゴン叩いて)固くなったら、何になる?」通訳の方がポルトガル語でA君に何かささやいた。A君は「……コオリ?」と曖昧に言った。私は「そう、氷」と言って、今度はホワイトボードにヤカンから湯気の出ている絵を描いて、「水を火にかけて沸かした時、出てくる白いものは何?」と尋ねた。A君は沈黙し、通訳氏は最初、ポルトガル語でささやいたが、A君が首を振り困惑しているのを見て、通訳氏は私に日本語で言った。「ポルトガル語には湯気や水蒸気を一語で表す言葉がないんです」仕方がないので、「お湯を沸かした時にでる白いケムリを『湯気』とか『水蒸気』というの」と説明し、「水蒸気のようなものを気体、水のように入れ物に入れたらチャプチャプ動くものを液体、氷や机のように固いものを固体というの」
 そうやって、私が物質の三態を説明していると、いつの間にか理科の先生が入ってきていた。
 そして、私の描いた絵を見て「……不明を恥じます」と理科の先生は頭を下げた。後で、理科の先生は、A君が授業中ニコニコ聞いていたので、授業内容をちゃんと理解しているものと思っていたといった。
 実際、分かっていないことを教員に悟らせずに、授業中ニコニコ聞いているA君は、ある意味、天下一の千両役者だった。

【アルバイト】
 定時制高校では働いていると教科書給与という制度があり、昼夜逆転を避けるためにも、アルバイトが推奨されていた。
 A君は日系だが外国籍なので、アルバイトをするには在留資格によって制限がある恐れがあった。
 ところが、A君自身に彼の在留資格を尋ねても、当然のことながら、埒があかない。
 担任がしっかりした先生だったので、何とか在留カードを持ってこさせた。バイトは時間制限があったが、担任は、バイト先から何から世話をして、就業時間制限もバッチリ守らせた。
 それよりもパスポートの方が衝撃的だった。

【パスポート】
 通名は、本名と関係なく自由に付けることができる。そのことは前から知っていたが、バニアさんがA君の名前(通名)が変だ、あんな名前はない、というので気になっていた。
 いずれにせよ、指導要録には本名と通名併記が義務付けられているので、A君の本名について、教頭に相談したら、入学時にパスポートコピーを取っているという。
 それでパスポートを見ることができて、ようやく本名が分かり、バニアさんに綴りを伝えると、「その名前は、ブラジルではよくある一般的な名前です」と言った。
 通名が奇妙な名前になっていることについて、バニアさんは何度目かの懇談の時にA君のお母さんと話して、「入国の時に入管で適当に名前をつけられた。下の名前は〜シウスという本名は日本では馴染みがないから〜シオと決められ、日本名の姓も日系の先祖の名前とは関係がないが、日本名の中でも画数が少なくて書きやすいから、これでいいだろうということになった」という話を聞いた。
 この他にも、保護者が日本人通訳には話さなかったことが、バニアさんが来たことによって、次第に分かってきた。当初、中学からの引き継ぎではブラジルで小学校に入学したことになっていたので、学習歴を尋ねるのに、幼稚園には行ったのか、と桶谷先生と通訳氏は尋ねていたが、バニアさんがA君のお母さんの身の上話を聞いていくと、ブラジルで治安の悪い場所に住んでいたため、A君はそもそも学校に通ったことがなかったとか、日本に来て、学齢から小学校2年に編入したとかいうことがわかった。
 
 この他にも、保護者が連れてきた通訳の問題があった。それはまた別の機会にしたい。

サポートよろしくお願いします。また本を出します〜📚