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日本史の学び直し

【リスキリング?】
 コロナ前に、私がやっていたことはなんだったんだろう。「#私の学び直し」という日経の募集を見て、京都大学大学院文学部日本史学の聴講に行ったのも学び直しだったのではないか、私にとっては、ちょっとした冒険だったので、記録しておくのも悪くない、と思った。

【専門と日本史】
 私は中古文学の研究者だが、高校時代は中学か高校の社会の教員になりたくて、世界史と地理を選択し、日本史を選択しなかった。母方の郷里で聞いた源平の合戦時の骨や刀がたくさん出てきた話が怖くて、血なまぐさいと思って日本史を避けていたのだ
 ところが、諸多の事情で国文学科に進学して、大学院にいたとき、先輩から「『宇合』も読めないの⁉️」と笑われた。藤原四兄弟の藤原宇合(うまかい)だ。専攻の中古文学は平安時代を扱う。平安時代の貴族は藤原氏が一番。紫式部だって藤原氏なのに。これではいけないと妹から山川の日本史の教科書をもらい、受験用のノート式参考書を買って2冊仕上げた。しかし、すっきりしない。忙しくて、そのまま放置し忘れていた。

【考古学との出会いと日本史】
 今から25年ほど前、『伊勢物語』のホームページを立ち上げた際に、考古学サイトとの相互リンクをきっかけに、考古学の研究者の方々に古墳時代の刀や馬のことなど、いろいろ教えていただいた。が、肝心の平安時代は念頭になかった。
 数年して『伊勢物語』のサイトも大きくなった頃、考古学の掲示板で私が「日本史を習わなかったので、時代背景がよく分からない」とぼやいたら、ある大学の考古学の教授が、私のサイトを訪れ、書き込んだ。「あなたはその歳になって、習っていないことを理由にしてはいけません」考古学の方々が掲示板から離れて行った旧石器の捏造事件(平成12年)より前のはずだから、私は38歳になっていなかったはずだ。
 『日本書紀』を皮切りに、六国史の続きの『続日本紀』『日本後紀』『続日本後紀』『日本文徳天皇実録』『日本三代実録』を読んでいった。日本史の研究書や一般書も本格的な割に中古文学より安価だったので、読み漁った。
 『伊勢物語』に皇女が亡くなる話があったので、『平安時代皇親の研究』という日本史の専門書を読むと、皇女の結婚は早い時期には皇族としか許されておらず、内親王降嫁の初例は醍醐天皇の代まで下ることが分かった。それで、著者の先生に論文を2〜3送ったところ、ある時、「源氏についてもう少し調べてみて下さい」とアドバイスを頂いた。
 このあたりから、『伊勢物語』の歴史的背景にズブズブとはまり始めて、嵯峨天皇、淳和天皇、源融、在原行平や業平に、六国史の中へ毎日会いに行っていた。高校の教え子の生徒たちは「先生は千年前に生きている」と言った。しかし、歴史書は勝者の側が書いたものなので、分からないことが多い。まだ、日本史に苦手意識があった。

【転機の花畑】
 そのうち、前からの病気で転院するため定時制に移り、転院して即、手術日が決まった。その手術中に花畑で小学校から大学までの友人達と楽しく遊ぶ夢を見てから、人生観が変わった。手術中は下の血圧が33しかなかったらしい。それまでは永遠に人生が続くかのように生きてきたが、いつか終わるということを意識した。40歳の初夏だった。
 退院してから、タガが外れたように、あちこち勉強に行き始めた。それは、調べ物をしたくても大学図書館にアクセスできなかったからだが、大阪市立大学図書館に市民として登録してみたが、論文を見ることはできなかった。母校は統合され、移転して遠くなっていた。
 研究会で先生方に相談したところ、聴講生になったらいい、とアドバイスを受けた。手始めに関西大学の聴講生になってみた。以前、検討したときには、大阪府立高校の入試日だったので申し込めなかったが、数年後に行ったら申込日が一週間に延びていた。ただ、この時も目的の科目では申込ができず、代わりに専門外科目で申し込み、後で、「なんで大学院の聴講生を申し込まなかったの」と教授に言われてしまった。この頃はまだ大阪府立の定時制の教諭だったので、大学学部の聴講生でも綱渡りだった。私は45歳になっていた。

【もう一度大学院へ】
 ともあれ調べ物も進み、『伊勢物語考ー成立と歴史的背景』という本も出せたが、歴史的背景に関する反響が大きく、さらに調べる必要が出てきた。私が50歳になった年に父が亡くなり、実家を片付けた後、ますます私を縛るものが無くなった。
 もう一度大学院に行こう。どこが良いだろうか。歴史、それも日本史が問題だったので、奈良大学と京都大学に絞った。諸多の事情があり、教え子がすでに在籍していないと思われる京都大学大学院で、とりあえず聴講生になってみることにした。
 驚いたことに京都大学は聴講生にも入試があり、その受験生は大半が年配の、それも私より年上の人々だった。これが本当のリカレント教育か?

【学び直しで困ったこと】
❶身分によるトラブル
 本を出したことで、大学の非常勤講師に呼んでもらえたが、大学院聴講生の入学手続きの際に、その身分の件で揉めた。
 京都大学では職を持っていると入学を認めない。例外的に所属長の許可があれば良い、ということだった。非常勤だから大丈夫だろうと思ったら、京都大学側は「勤務している大学に許可をもらって来てください」という。それで勤務している大学の事務方に相談すると、「非常勤は所属ではない」と突っぱねられた。間にはさまって困っていると、しまいに、勤務先の事務方が「京都大学の教務と話をするので、京都大学から連絡を」と言い出した。京都大学の教務はその話を聞いて、「そこまで言うならいいです」と主張を引っ込めた。

❷服装
 大学と高校の非常勤講師をしながらだったので、そのまま京都大学にくると、服装に困った。
 京都大学では、スーツを着ている人がほとんどいない。意外にも教授ですら普段はスーツを着ていなかった。
 非常勤講師先はいずれも私学だったので、ジャケット着用は不文律としてあった。とくにその頃教えていた高校は女子校で、音楽科もあったため、音楽科の先生方はそのままでも舞台に上がれるような華美さがあり、普通科の先生方もそれなりにフォーマルだった。アクセサリーもピアス、ネックレス、ペンダントは普通だったし、公立高校のような流行遅れの服装の教員は一人もおらず、しかも私は定時制高校で十数年教えてファストファッションの服ばかりだったので、服装には大変気を遣い、2年かけて外出着を全て新調したばかりだった。
 このため、私立女子校で教員としてまともな服のまま、京都大学に行くと浮きまくった。男漁りにきたかのようなことを言われたことすらある。心外だった。

❸学費と家賃
 学費が高い。入学金を含め学費だけで2年で100万近く使ったと思う。登録単位数の上限がなければもっと使っていただろう。
 さらに家賃が必要になった。大阪の自宅から片道2時間かけて京都に通うのに疲れて、12月から割安かつ安全なワンルームを借り、週3日ぐらい泊まったが、それで学費以上に湯水のように貯金がなくなっていった。
 家賃に52,000×10=520,000(水道代込み)、敷金礼金等も必要で合計800,000は使い、さらにベッドや布団、光熱費、コインランドリー、身の回りの衛生用品などが積み重なって、合計は軽く100万を超えた。自宅のほうも固定資産税や水道代光熱費などがかかるので、食費を削り始め、しまいめに食費が一日500円ということもあった。
 京都で仕事を探したが、バイトすら見つからない。優秀な大学生が大勢いる京都ではいくら教職経験があってもダメだった。

【大学院後期入試】
 聴講一年目の終わり、大学院入試を受けたが、たいした準備をしていないので通るはずもない。合格したら、今から思えば自宅を売らなければならなかったはずなので、そこまで思い切れなかったというのもある。
 ただ、この時の勉強がいくらか役に立った。英語の入試があったので、原書で『歴史とは何か』という本を読んだ。日本語訳でも読んだが、歴史がどのように記述されどのように解釈されるのか、ということを考える助けになった。

【京都の夏】
 院試が終わって、聴講生は2年で終わりなので、京都でできることを考え始め、葵祭や
祇園祭、五山送り火を楽しんだ。
 大阪からだと日帰りできてしまうので、それまではどうしても日中だけの観光だったが、休みの日は早朝から夜まで京都にいたので、まるで違う世界だった。葵祭に行って「来年は研究会の知人を誘おう」と思ったが次の年はコロナ禍で中止となった。祇園祭は暑いからイヤと親しい友人に断られ一人で回り、五山送り火に母と妹夫婦を招いた。それをしおに、9月にはワンルームを引き払い、残りは週一回、四条烏丸付近の安宿を泊まり歩いた。それは、18時に終わる科目の翌日、朝8時45分に始まる科目を取ったからで、仕事しながらでは身体がもたず、宿で予習しながら寝落ちしたものだった。私は58歳になろうとしていた。

【成果】
 良かったこととしては、『伊勢物語考Ⅱ-東国と歴史的背景』という二冊目の著書を出せたこと、また歴史学でも数人のタイプの異なる教授の先生方に習うことができたこと、さらに京都大学に非常勤で来られた立命館大学や奈良大学の教授の講義も受けることができたことだ。
 なぜ国文学ではないのか、と聞かれたこともあったが、元々の専門は非常に厳しい先生に学び、私の能力でできることはやり尽くして、あとは学際的な問題が残ったので、日本史の知識を国文学と同レベルに引き上げる必要があった。日本史は日本史の用語や研究手法があるので、残念ながら同レベルにまでは至らなかったが、自分の疑問は解明して、国文学の言葉で説明することができたと思っている。
 小学生の時、伊能忠敬が隠居してから天文学を志した話を読んだ。それを思い出して励みにした。リカレントやリスキリングなどと言わなくても、先人はすでに行っていたのだった。

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