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進路指導の思い出④

 今回は進路指導の失敗懺悔とその思い出の巻です。

【失敗その1】
 とある会社名が読めませんでした。もとい間違えました。某・有名運送会社です。トラックのロゴに社名は最初漢字だけでしたが、その後アルファベットになっていたのは読みにくかったからだと、……思いたいです。
 その会社を志望する生徒に、その会社の社名の読み方を教えてもらいました。
 ちなみに、その生徒はかなり印象的な人で、本人曰く、私学にスポーツ推薦で入って、四番でピッチャーだった(私は運動音痴なのでイマイチ重みを感じていませんでした。ごめん)けれど、猛烈ないじめに遭って退学し、本校(公立の地元校:戦後高校がまだ少なかった時に地域の請願でできた学校)に入学した、という人でした。ガタイも人柄もいい生徒でした。
 しかし、なぜか、就職主担(ラガーマンでした)はその生徒に辛口評価をしていました。理由は今となってはわかりません。お尻の筋肉がカッと張っていないとか、私にはわからない世界です。

【失敗その2】
 サッカー部の副顧問をしていて、部員の彼らは小学校の時に白馬に行った(全国大会があったらしい)のが自慢で、特にスタメンのイレブンのうち、何名か三年生で、割と意志のハッキリしたヒトばかりだったので、特に指導した覚えもないのですが、一人だけなかなか決められない生徒がいて、あれやこれや会社を勧めました。
 で、結構、有名な会社に就職が決まったのですが、後で、クラブの連中に文句を言われました。「ウチの顧問は、ウチの一番のポイントゲッターを、サッカー部のないところに斡旋したんやから〜」
 確かに、試合でいい動きをする機敏でクレバーな生徒でしたが、クラブとかそういう観点で勧めたわけではないので、思わず言い訳しました。「なかなか自分で決められなくて、ここもだめ、あそこもダメ、って言うんだから」……いやいや、ごめんなさいm(_ _)m

【失敗その3】
 高校の就職は、その当時、9月15日敬老の日(当時は敬老の日は固定でした)の翌日が解禁日で、従って就職試験は16日17日に集中していました。
 2週間くらいで結果が本人と学校に通知されるのですが、間の悪いことに、就職主担が出張の時に、女子で成績優秀者が一名試験に落ち、二次で受けるところをすぐに探さなければなりませんでした。
 なぜか進路指導部長も不在で、私が対応したのですが、彼女は事務の求人を選ばず、最終的に、とある有名和菓子屋さんの販売を選びました。
 販売は立ち仕事で体力が要りますから、運動部所属の生徒でなければあまり勧めなかったようなのです。私の担当の男子は現業ばかりで事務・販売はありませんでした。女子は就職主担が見ていて、販売の特性を知りませんでした。
 就職一次試験を落ちた彼女が泣きながら次に受けたい会社を求人票から探して、何ヶ所も私が電話をかけて採用2次があるかどうか確かめ、やっとOKがでたので、なんとか履歴書を書かせました。
 履歴書は、まず履歴書をコピーした紙に案を書いて、次に「近畿統一応募用紙」という履歴書に、まず鉛筆で下書きし、それを上からボールペンでなぞります。
 ところが件の女子は、本番の用紙で、ペン書きを何度も間違えるのです。    
 一回目、「あ……!!!」声にならない声が聞こえてきました。
 しばらく落ち着かせて、本番の履歴書に鉛筆の下書きができました。さあ、ペン入れをし始めた……「あぁ?!」ペンを持った手を上げたまま、固まっています。これを三回繰り返して諦め、「家で落ちついて書いて来なさい」と告げて、持ち帰らせました。
 翌日でしたか、就職主担に彼女がどこを受ける予定か報告すると、「女子で一番か二番の成績ですよ⁉️なんでそんな所に……」とお怒りでした。
 まだバブル崩壊前でしたので、男子の一番は造幣局、女子の一番は銀行でした。他に事務職はいくらもあった頃です。容姿も、少し細身でしたが清楚で綺麗な子でした。
 販売は、一見楽そうに見えても、実は一日中立ちっぱなしの体力と、疲れてもクレームを言われても、ニッコリ笑って対応できる余裕と愛嬌が必要です。
 線の細い彼女がすぐ辞めそうな販売ではなく!ということで、お叱りを受けました。

 しかし、これには続きがあって、数日後、就職主担が言いました。「あれは、やっぱり事務は無理やわ。……販売で良かったんかも知れん」聞けば、あれからさらに、本番の用紙を数枚ダメにしたということでした。
 他の生徒たちには、数が限られている用紙だと言い聞かせて、一枚一発勝負で書かせていたものを七、八枚も無駄にしたのですから、確かに事務職は無理でしょう。
 ただ、私はそこまで考えていなかったので、やはり謝罪ものだったかと思います。

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