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#6 日本人の妻

 今日は日本人の友達と外で夜ご飯を食べていたら、隣の席のラトビア人男性二人に声をかけられた。日本人だと答えると大いに盛り上がって、「ラトビアでビジネスなんて学んでどうするんだ!日本で学べばいいものを!」と言われた。だって日本でビジネス学んでたけどつまんなかったんだもん。もはや今は「ビジネスを学ぶ」ということに面白みや意義をあまり感じられていないので、ヨーロッパの人がビジネスを教えて学んでいる様子を観察する方が面白い。まあ、そんなことを説明しても理解してくれなさそうなくらい彼らは酔っ払っていたし、彼らの価値観を知る方が面白かったので、黙ってもう少し何を話すのか聞いていた。すると彼らは、「家に帰ったら日本人の妻がいることはCEOになったりランボルギーニを乗り回したりするのと同じくらいのことなんだ」「日本人の妻を持つことは一種のステータスなんだ」という話をし始めた。急にどうした。自分たちが日本人女性二人だったのでこちら側を持ち上げるようなつもりで言ってくれたのかもしれないけれど、流石にこれには苦笑いしかできなかった。彼らの価値観は多分だけど、このことわざから来ているものだろう。

Heaven is                              天国(の人生)は
an American salary,          アメリカの給料を貰い、
a Chinese Cook,          中国人のコックを雇い、
a British Home,                      イギリスの家に住み、
and a Japanese Wife.           日本人の妻を持つこと。

Hell is                                      地獄(の人生)は
a Chinese salary,                   中国の給料を貰い、
a British Cook,                       イギリス人のコックを雇い、
a Japanese House,               日本の家に住み、
and an American Wife.         アメリカ人の妻を持つこと。(意訳)

という、誰が言ったかもよくわからないアメリカの諺があるというのは、母親から聞いていたことだった。母親が学生の頃アメリカに留学した際に、現地の人に教わったのだという。しかし、もうすっかり時代遅れな価値観のはずだ。それにこの諺がリアルタイムに普及していた時代にも、当てはまらない事柄はたくさんあったに違いない。誰かが、ノリでこんなのを考えて、ちょっと言い当ててる気になったから言いふらしたら微妙に広がってしまったとかそんな感じじゃないだろうか。この諺にはそういう中途半端さがある。

 しかし、アメリカの諺がラトビアまで届いて一定数の人に定着していたのはびっくりだった。そんなに有名な諺だったのだろうか。しかしそうでなければ、ラトビア人の彼らがたまたま出会った日本人留学生に対して「日本人の妻はステータスなんだ」なんて話をする訳が無い。それに彼らも彼らの時代を生きてきたのだ。

 しかし、日本人の妻をなんだと思ってるんだろう、家で家のことをやってくれて旦那の成功を支えてくれる、口答えしない奥さんだろうか。ステレオタイプってしぶとく残るものだな。感心してしまう。

 私は別に「日本人の妻(?)」になるのが嫌なわけではないし、「出来る奥さん」に対する憧れはいつだってあるけれど、食卓で料理が運ばれてくるのを待つだけの旦那には塩と胡椒しか出すつもりはないし、例えば洗濯物が溜まっていたら旦那さんにも自然に「ああ、やらなきゃ」と思ってもらいたい。家事分担も面倒だからしたくない。逃げ恥の最終話で、主人公のみくりさんと平匡さんが「契約結婚ではなくきちんと夫婦になろう」という選択肢をとり、いざ家事を分担をしようとしたけれど全然上手く行かなくて、結果互いに共同経営者(CEO)として家事に向き合おうという結論を出した際、堅苦しさが二人らしいなと思ったと同時に、そのスタンスなんだよな、とも思った。大事なのはやるかどうかというより、お互いに同じウェイトの責任感を家事に対して感じているかということだと思う。どっちがどれくらい家事をやるか、ではなく。

 あと、彼らが「家に帰ったら日本人の妻がいる」と言ったのもすごく心に残った。帰ったらいる、待っていてくれる、の需要と歪みよ。私は将来結婚すれば誰かの「日本人の妻」になる訳だけど、「毎日旦那の帰りを待つ」のは嫌なんだが。すごくわかるんだけど、帰ったら誰かがいてくれることの安心感は。でもそれとこれとはなんか響きが違う。

 というか「人の帰りを待つ」って嫌とか嫌じゃないとかいう話ではないよね。「帰りを待つ」ってなんなんだろう。今自分は留学中で、家族や友人には自分が帰ってくるのを「楽しみ」にしていて欲しいけれど「待って」いて欲しくはなくて、同じ場所に自分がいないのは悲しいけれどガッツリ自分の生活を送っていて欲しい。私が日本に帰ったら、私が居なかった間にどう過ごしていたかを意気揚々と自慢して欲しい。そしたら私も心置きなく自分の留学生活がいかに充実していたか自慢できる(ように頑張る)と思うから。

(前半)2021/09/10 00:10 (編集, 補足)2021/09/20 15:57

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