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#10 留学とインスタ中毒

留学3ヶ月目、インスタを辞めた。

留学に来て3ヶ月、私はインスタを通して自分の留学生活を記録・発信し続けていた。日本にいる友達、両親、おばあちゃんまでがフォローしてくれて、こっちで友達になった人たちともアカウントを教えあって、正直いって自分のインスタは、これまでの人生で一番活気づいていた。時には一つの投稿に14件のdmが来たりと、高校生の頃はあり得なかったようなこともあった。自分は少し現地レポーターになったような気分で、でも自分の日々を記録していこう、と意気込んでいた。

結論から言えば、インスタ中毒になった。原因は挙げればいくらでもあると思うけれど、主な理由はこの3つだと認識している。

①日本の友達が投稿する「日本での日常」が恋しくて、見まくった
②みんなのリアクションが嬉しくて、何でもストーリーに投稿したくなった
③極めて身内ノリな日本のコンテンツを、検索して見まくった

①日本の友達が投稿する「日本での日常」が恋しくて、見まくった

高校や大学の友人たちがストーリーや投稿に載せる、“友達と呑み行った”、“ディズニー行った”、“バイト終わりにアイス食べた”といったような日々の出来事一つひとつが羨ましく思えて、気になってストーリーを見続けてしまうがために、どんどん帰りたくなる。みんなからは私の留学生活が「映画の世界にいるみたい」「貴重な経験ができて羨ましい」と言ってもらえて、本当にそれはそうだし、自覚しているつもりだったのだけど、それでも帰りたいという思いは日に日に膨張した。

「みんなのインスタを見ていると日本にいるかのような気分になって、ホームシックが和らぐ」などと最初は思っていたけれど、その逆。見れば見るほど、インスタを閉じた後のなんとも言えない虚無感に襲われて、ホームシックは悪化していく。8月下旬に日本を出てからこの間で3ヶ月経ったのだけど、ホームシックは全然治らないままで、ずっとずっと悩んでいたけれど、本当は最初から「インスタのせいだ」とわかりきっていた。わかっていて気づかないフリをしていたから、今もっと辛い中でこうやってインスタを辞めなければならなくなったのだ。自分のせい。

②みんなのリアクションが嬉しくて、何でもストーリーに投稿したくなった

日本にいたら経験できないようなことを、このたった3ヶ月でたくさん味わった。こっちの人が解釈した独特な日本文化とかを発見すると、そのキュートさを日本にいるみんなにも見せてあげたい、と思った。ショックだったり信じられないようなことがあったりした時も、それを共有したいと思った。そもそも今回の留学がとっても貴重な機会で、今年行けることは本当にレアだと自覚しているからこそ、共有すべきだ、といつも思わされた。

気づけば、目の前で起こった出来事を捉えているのは、自分の眼ではなくインスタのカメラだった。上手くいかなかったら撮り直すのに夢中だし、動画が保存できたらもう経験した気分になった。留学で学んだことを自分だけのものにするんじゃなくて記録・共有するべきだ、という思いは変わらないけれど、「まずは自分が全身全霊で体験しないことには、『記録・共有』は始まらない」ということを、自分は全然気づけていなかったと思う。これからは、インスタのカメラじゃなくて自分の眼を通して「わあ〜!」と思いたい。動画や写真は、iPhone 7のカメラで我慢するしかないだろう。インスタの方が画質良かったんだけどな。

③極めて身内ノリな日本のコンテンツを、検索して見まくった

日本のバラエティ、音楽番組、お笑い。日本にいるときはテレビを進んで観ようとはしなかったのに、こちらに来ていろんな価値観に触れてから、「日本的面白さ、日本的興味心、日本的くだらなさ、日本的良さ」みたいなものが無闇に恋しい。私の生活を囲んでいた日本的なモノゴト全てが恋しい。アイドルにモデルに、全国の喫茶店、古着に新作に、メイクに前髪に香水、ミュージシャンに映画監督にモデルにデザイナー。あれこれあれこれ。国立新美術館でやる新しい展示会の詳細まで流れてくるものだから、ラトビアから行ってやろうかと思ってしまう。ネトフリにはアニメ以外の日本のコンテンツなど皆無に等しい(ネトフリで配信していると聞いて楽しみにしていた「My dear exes(大豆田とわこと3人の元夫)」を検索してもノーヒット。英語字幕つけるだけで良いからまず世界配信にしてくれよ)ので、日本が恋しくなるとまず開くのは「インスタ」になる。

Twitterでも日本的なモノゴトについて知れるが、もっと言語的で能動的だ。少なくとも自分の場合は、考えよう、という気になる。今このTwitter上に流れてくる日本的な全てを、こちら的な全てと比較しよう、というマインドになる(これは、自分がTwitterのフィルターバブルをうまく調節できているからかもしれない)。

だけど、インスタは考えない。それでいて視覚的、情緒的に私の脳を捉えて離さない。心がざわつくようなことが起きて、日本が恋しくなったりした時、これまでの3ヶ月はよくインスタの検索画面を開いて、自動的にオススメされた日本の投稿を片っ端から観ては気を紛らしていた(こういう時ジャニーズが効果的ね)。

でも、そうじゃないのだ。そもそもこうした日本のコンテンツから遠ざかるために留学に来た。それを今更、日本が恋しいからとインスタから貪るように摂取していては、元も子もないのだ。「一度日本を離れたい」「日本を外から見てみたい」が留学の目標だったのに、こっちに来てまで「海外のフィルターを通さない日本のコンテンツ」に浸かっていては、そんなんじゃ。

インスタのアカウントは、Disableした。再度ログインすればまた使えるわけだが、最後に「すみません、日本帰るまでは戻りません」とストーリーで宣言したので、戻りたくても戻れない。

偉そうに。芸能人じゃあるまいし、投稿で敬語を使ったりすんな、何がごめんなさいだ、誰も困らないんだから勝手に辞めろよ。最後のストーリーは、私が一番嫌いなタイプの知り合いの投稿みたいだった。でも、だからといって無言で消息を断つのも、ウザい感じがするから謝らないというのも、それはまた自分勝手な気がした。実際辞めるに際して連絡してくれた人はたくさんいて、中には「この人は私のインスタなんて全然気にしてないだろうな」という人たちが「いつも楽しみにしてたから残念だけど頑張って」とか「それが一番かっこいいよ」とわざわざdmしてくれたりした。父親も、LINE電話でインスタについて切り出して、「残念は残念だけどそっちの選択の方がよっぽど正しい。おばあちゃんにはLINEで写真を送って安心させてあげて」と言ってくれた。インスタのフォロワーには「LINE持ってる人はいつでもLINEして」と伝えてあるけれど、ストーリーがないのに個チャを始めるのはハードルが高いから、余程の友人でない限りもう連絡はないだろう。

インスタを辞めて一日と半日が過ぎた。はたと気づくと、ホーム画面のインスタがあった位置を何度も無意識にスクロールしている。インスタを開けないというだけで、日本が遠く遠くに離れていくようだ。と同時に、本来の留学の意義を取り戻している実感がじわじわと湧いてくる。日本に帰ったら好きなだけインスタすればいいから、今は目の前のことに集中しなさい、と自分の尻を叩く。帰るまでにインスタそのものが廃れてなければの話だけどさ。


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