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ハッカには注意を

どういう自分になりたいかを考えながら生きている。そんな人が多いと思う。

頭が良いと思われたいとか、可愛いと思われたいとか、かっこいいと思われたいとか、他者からの承認が人を作る。少なくとも私はそうできてる。

大学生になった私の目下の目標はモテる事で、何とか高学歴の旦那候補を勝ち取りタワマン住みの主婦になることを見据えている。

だって私は、人より優れたところは何も無いんだから。

バイト先は古いラーメン屋で、これは私には似合わないけど、ラーメン屋の看板娘っていうところは気に入ってる。少し汚いところにいた方が、私程度だとキレイに見える。だから辞めない。

バイト終わりに臭いが着くから、ハッカ油を持っている。祖母から教わった知恵は私の中にたくさんあって、ハッカのシャキッとした香りは、甘いべっこう飴の味と共にふんわりと幸せだった記憶の中に連れてってくれる。

男ウケの良さそうな白ブラウスに、花柄のフレアスカート、丈は長すぎず短すぎず、足首のいちばん綺麗で華奢な部分が出るものを。

ネイルはしない。爪がいちばんきれいに見える程度に伸ばして磨く。つやつやだけど何も塗っていない。お洒落に意識を向けているけど、料理をする雰囲気も無くしては行けない。

髪は少し茶色いから、地毛のまま染めずに、トリートメントに月1度行ってツヤツヤにしておき、髪型は綺麗にストレートアイロンをかけた後毛先をワンカール。

あまりメイクはしないけど、アイメイクは薄く、ハイライトとシェーディングはしっかり、チークはうすく丸く入れる。

今日も私史上最もモテそうな雰囲気を持って、綺麗な姿勢で綺麗に歩く。なんの結果も出せなかった幼少期のバレエの経験がここで生かされているように思う。母に感謝だ。

『モテそうだよね』

と言われた時の返答は決まっている。

え〜照れる。でも嬉しい。

否定も肯定も必要ないのだ。どちらでもいいのだ。ただ、あなたにそれを言われて照れている私と、あなたにそれを言われて嬉しがっている私を見せられれば良い。

今日もいい感じに種まきをして、そろそろ帰ろうかと思ったとき、風変わりな女が目に止まった。

ウルフカットにした髪はわざとそうしたように真っ黒で白い肌は透けているみたい。唇には色がなくかさついていて、端の向けているところを剥がそうとしているのか定期的に唇を噛んでいる。

だけど、彼女は美しかった。

きっと元が良いんだ。素材が。途端頬が熱くなるのを感じた。作り物の自分を間抜けなピエロのように思った。

その日は明日はバイトが早いと言ってすぐ帰った。

次の飲み会で彼女と隣になった。彼女は自分が変わり者なのをとてもよく分かっていたし、わざわざそれを正すようなことをしたいとも思わなかった。

『あなたの考えかたはそうなのね』

と言って話を聞いていた。母はいつも普通にこだわっていたけど、イギリスに住んでいたこともある祖母はかなり現代的な発想の持ち主で、人との違いを受け入れられる人になれと言われていた。

この対応に彼女は少し面食らって、でも嬉しそうに笑った。

帰る方向が同じで2人になった私達は、話したり話さなかったりしながら歩いていた。叔父から貰ったバニラの味がする煙草に火をつけて、デザート代わりなの。内緒よ。と言ったら彼女はほんとうに嬉しそうにして、仲良くなれて良かったと言った。

『絶対ご飯いこうね』

そう言って電車に乗った彼女に手を振って、反対周りの山手線を待つ。男の居ない食事会になんの意味があるのだろう。

私は24までに結婚しなければならない。母の結婚した歳は27歳で、行き遅れだと随分祖父に責められた。祖母は庇っていたけれど、それは母にはバレリーナとしての才能が少しはあったからで、なんの才能もない私は救いようがない。

母の兄である叔父、ラーメン屋の店主はやはり結婚が遅かったが、叔父にはラーメンを作る才能も、お店をやる経営力もある。この前はまたなにかのテレビの取材が来ると言っていた。

看板娘として出演を頼まれたが、テレビ番組のなんでも美女にしたがる風潮のもと放映されて、そんなでもないのに調子に乗っていると全国の旦那候補に思われたら困ると思い断った。

講義があることにした。

花嫁修業のための学校と言われる、歴史だけは誇れるような大学の講義はビューティーピラティスとか教育心理学とかで、これだから花嫁修業と言われるのだと思った。

彼女とは学食で早めの再会を果たした。彼女は必修をほとんど落としており、もうどうせ無理だからと教授の執務室で映画鑑賞をしているらしい。

誘われたその日は、テレビの取材が来る日で時間をもてあましていたので誘いに乗ることにした。

薄暗い部屋の中はものがたくさんありすぎて乱雑だったが、少し汚い友人の部屋のような安心感があった。
座り心地の良いソファーに深く座って、彼女から差し出されたポテトチップスを箸でたべる。

引き出されっぱなしであろうスクリーンの中では、ハットにちょび髭、ステッキを持った小柄な男性が塩でトリップしていた。

いつの間に寝ていたのか、目を覚ますと彼女の膝の上で慌てて飛び起きた。ファンデついちゃったかもごめん。と告げるといいよ別にと笑ってた。唇の端の切れ込みが痛そうで、持っていたリップクリームを塗ってあげた。

少し顔を歪めながらありがとうと言った彼女の顔が茜色に染まっていて、透けているかと思った。

次の日から、ずっと彼女といるようになった。もちろん種まきも、水やりも忘れてはいなかったけど、それ以外の時間はたいてい一緒にいた。

彼女にはタチの悪いストーカーが居て、防犯グッズをたくさん買って見えるように付けさせた。

こんなにも仲良くなる女友達は初めてで、私は少し戸惑いながらも、正反対の私たちを楽しんだ。

ある日教授の執務室に入ると、スリーピースのスーツに身を包んだ紳士が立っていて、私はびっくりした。まさかこれが彼女のストーカーではあるまいかと、馬鹿なことを考えて身構えていたら名前を呼ばれて、戸惑う私に彼は言った。

『ここ、実は僕の部屋なんですよ』

38歳だという彼は未婚で高い背にほどよい筋力のついた、あまりにも魅力的な目尻のシワを輝かせてコーヒーを入れてくれた。

私は何となく居心地の悪いような気持ちになって、彼女が早く来てくれることを祈っていた。そんな日に限って彼女は来なくて、教授との話は思ったより弾んだ。
というより教授は異常なほど聞き上手だった。

男性相手にこんなに自分の話をしたことがなくて、私は失敗したと思っていたけど、あまりにも平凡ななんの取り柄もない私の話をすごく楽しそうに聞いてくれるから、私は空回りを自覚しながら話し続けた。

次の日彼女は言った。

『どう?うちの教授、イケおじでしょ』

私は、おじさんってほどの歳じゃないでしょと笑いながら学食のピラフを口にほおりこんだ。少し水っぽいけど美味しい。

そうかなぁと言いながらニヤつく彼女に、今日のデート相手の男の話をしながら食事を終えて、コードレスのアイロンで髪を整えたら駅前のスターバックスで相手を待つ。

彼が来たら、笑顔で、とても会えて嬉しいという顔で立ち上がろうと思っていた時、レジにいる後ろ姿に気がついた。

教授だ。

そりゃあ大学の最寄り駅にあるカフェだもの。当たり前に来るかと独りごちて、私は席を立った。そして気がついたら帰っていた。相手には詫びのメールを入れる。

どうしても教授に男といるところを見られたくなかったのだと思ったら、恥ずかしくて早歩きになった。少し高い靴で早く歩いたせいか、階段で躓いた。落ちると思ったが身体に衝撃はなく、代わりに右腕を掴まれている。

『セーフ。僕の方は散々だけど』

見上げるとよほど慌てたのかコーヒーをスリーピースのスーツに半分ほどかけた教授がいた。

私は教授が好きだ。そう思った。
昼の光が入る教室で、二人で話した時から好きだった。もしかしたら、ストーカーとしてみていた時から好きだったのかもしれない。

それから私は、教授の執務室に通う、真面目な学生になった。飲み会には行かず、教授の研究分野である化学調味料についての講義を中心に勉強に励んだ。彼女は大学を中退したが、定期的にはランチに誘ってくれるので、私たちの友情も続いていた。
自分にこんな集中力があったなんてと驚いたが、元々目的のためならどこまでも、努力できるひたむきな性格だと母は笑っていた。

もちろんゼミも教授のものを取った。
私は自分の気持ちを隠すことに決めていた。
私のわがままで、教授を煩わせるのは嫌だった。
まもなく卒業という時、教授は今期で大学を去り、イギリスで仕事をすると言った。
私は大学から助教授として声をかけてもらっており、やっと一緒に働けると思った矢先の青天の霹靂だった。

その日、教授はめずらしく緊張した面持ちで、ディナーに誘ってくれた。

金曜日の夜に、軽くドレスアップしたオシャレなレストランで豪華すぎる花束と一緒に言われた。

『一緒に来て欲しい』

私は笑って花束を受け取った。

旅立ちの日、彼女は空港に見送りに来てくれた。イギリスは祖母の頃より簡単に行ける国になっていて、クリスマスには帰ると言った教授にハグをして、耳もとで、金髪美女と浮気したら、化学調味料たっぷりの料理で殺してあげると言ってやった。

長生きしなければ行けないんだからそれは困るなと全く困っていない顔で言いながら飛行機に乗り込む彼を見送って、私は彼女と手を繋いで空港を後にした。

『すっかりイイオンナになっちゃったね』

口をとがらせて言う彼女の口の端がまた切れている。リップクリームを塗りながら言った。

『あなたのせいでしょ』


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