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その人が言うことには

スマートフォンが振動した瞬間から嫌な予感がした。この時ばかりは自分の異様なまでの感の良さを憎んだ。

妻から頼まれた買い物リストを見ながら1つづつカゴに入れていく最中で、豆腐の下にネギを入れてしまったばっかりに容器が傾いている。

『あの子死んだって』

耳に飛び込んできた情報より早く、冷静で取り乱すことが稀な妻の震える声に今すぐに帰らなくてはと思った。

玄関を開けると見慣れない男女がスーツ姿でいて、ドラマみたいだと思ったのはきっと私のできる最大の現実逃避だ。

愛する娘は、いや厳密には愛する妻の可愛い娘は、刺され燃やされ公園に放置されていた。

遺体の損傷が激しく、レイプの痕跡は確認できかったそうだ。しかし、女性の刑事の表情からその可能性が否定できない事は容易に分かった。

私が娘と会ったのは彼女が2歳の時で、父親を覚えていない彼女は私を本当の父親だと思いしたってくれた。彼女とすごした全ての時間はとても輝く日々だった。

出会った時既に5歳だった彼女の兄、私の息子はもしかしたら私が本当の父親では無いことを覚えているらしかったが、彼はそれをわざわざ言うほど野暮ではなかった。

娘は死んだのだ。私たちの可愛い娘が。

妻は遺体の確認をしに行こうと言ったが、男の刑事がそれをとめた。歯型で身元は確実だからわざわざ確認しなくて良いと言った。それほどまでに酷いのかと少し躊躇したが、妻は見ないという選択肢などないようだった。

 パトカーには妻からの『至急実家へ』のメールをみて、何事かと実家に足を運んだ息子も一緒に乗って娘の元へ向かった。妻が少し空回りながらさっき刑事から聞いた話を息子に説明をしていた。結婚して20年になろうとしているが、未だかつて彼女がこんなに取り乱しているのを私は見たことがない。

雨が降り始めた外は夏とは思えないくらいひんやりとしていて、娘が死んだ日に降っていればもしかしたら娘は助かったのではないかとありえないことを思いながら空を睨んでいた。

娘の遺体を見た時の感想は、三者三様でこれが現実かと思った。
妻は骨格でしか確認できない娘を、ただ22年間馴染んだその骨格を確かにこれは娘だと思ったらしい。
息子はなんて酷いんだとただただ、衝撃を受け、犯人に対する怒りと、妹に対する憐憫でどうしたら良いのか分からなかったらしい。
私はただ、これはひどい、人に見られてはいけない。可哀想だ。隠そう。と思った。

そんな最後の対面を終えて、形だけの事情聴取を済ませたあと、警察からはカウンセリングの案内があった。
これほどまでに酷い事件の後、家族には市のカウンセラーを派遣してくれるらしい。

妻と私はそれに賛成し、妻は翌日から、私は細かい用を済ませて来月からお願いした。

しかし、息子はいらないと言った。
現在仕事が上手く行きかけていて、それどころでは無い。自分は大丈夫だと早口で言う彼が大丈夫ではないことはその場の全員が分かっていたが、無理強いするのも良くないと判断し帰宅した。

娘はとても良く笑う子だった。少なくとも私の前ではいつも笑っていた。反抗期の時はすこしすれ違ったこともあったけれど、それでも父の日には私の好きなちらし寿司を作ってくれた。

私が初めてサンタになった日。
その日は雪が降りそうなほどの寒空だったのに、家には煙突がないからと、娘はベランダの窓を開けたまま寝ていて、寝付いてから入らなければいけないけれど、それまでに彼女が風邪をひいてしまわないかハラハラした。

次の日からは思い出に浸る暇もないほど忙しかった。記者に、同僚に、親戚に、近所の人間に、常に話を聞かれた。常に見張られている気がした。

中には私が実の父でないことを聞いて、実は私が犯人なのではないかと掻き立てる雑誌もあった。

周りは同情と疑いの目を向けてきたが、そんなことはどうでもよかった。娘が死んだのだ。自分がどう見られているかなんでどうでもいい。

妻も息子も私を微塵も疑いはしなかったが、それでも妻との夫婦関係は破綻の危機を迎えた。

何故か上手くいかない日々が続いていた時、カウンセリングの日が来た。子供をなくした夫婦に訪れる当然の危機だと言ってくれた。それが立ち直るための大切なステップであると考えるように。自分たちを責めないようにと言われた。

妻のカウンセリングについては何も聞かなかったが、おそらく同じことを言われたのだろう。段々と関係性は好転して行った。

そんな中、息子がやはりカウンセリングを受けたいと言った。
息子は私だけを呼び出したファミレスで、あの日の夜本当は自分の家で、2人で映画を見る予定だったと言った。
夕方頃には自分の家に来て、ポップコーンを作って置くと言っていたのに仕事から帰ったら来ていなくて、LINEには予定があったからまた今度と連絡が入っていて、特に気にも止めなかったと。

日々、様々なニュースが流れる。
ほとんど毎日、事件や事故でたくさんの人が悲劇に見舞われているのに、何故か自分にはその悲劇が起きないと確信して生きている。
きっとその人も、自分は悲劇の外側にいると思っていたはずなのに、何故かその悲劇がすぐ近くにあることに気が付かないんだ。

息子のカウンセリングについて相談すると、担当の刑事はすぐに対応してくれた。日本の警察も捨てたもんじゃない。

犯人は程なくしてあっさり捕まった。
重度の知的障害があるらしく、大した罪には問われずに病院送りになった。
一生出られないようにしますと担当検事は言っていたがどうなるのだろう。

私は全て俯瞰で見るようになっていた。私の中の怒りとか悲しみとかそういうものが強すぎて、私は私では無い誰かに身体を譲ったように思ったが、妻や息子のために何とか正気を保とうと思った。

でも、犯人のその後について聞かされても、私が復讐とか、怒りとかそういう感情に支配されていなかったということだけはご理解頂きたい。

職場の近くの扇形の葉が黄色くなり始めた頃、私は兄を尋ねた。
兄はアメリカで従軍し脚を負傷して帰還。
PTSDに苦しみながら、日本で結婚しあまり良いとは言えない家庭を築いたが、自分が完全におかしくなってしまう前にと入院した。

彼の二人の娘に断って、兄の元にいくと相変わらず彼は龍一だったり、ボブだったりするその青い目を優しくつぶり、兄ちゃんはお前の味方だと言った。

私が娘のためにサンタになる20回目の冬。
知的障害の男がどこかの施設で首を吊った。
その男がどんな名前でなぜ死を選んだのか、私は調べない。

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