『自分ごとの政治学』

 選挙が近いらしい。

 テレビでは総裁選のニュースをちらちら見るようになって、そもそももうすぐ衆議院選挙があることが話されている。
 適当に聞き流していたら、選挙の立て看板。おや早くない?と思っていたら、ポストには選挙の整理券が舞い込んで、どうやら衆議院選挙より前に、私の地方は選挙があるらしい。

 選挙。選挙権を得てからしばらく経つけど、あまりよく知らない。選挙前に出される政策を軽く流し見て、まぁこの人でしょう、なんて考えて選ぶ。それでいいかなって思ってきた。
 議会で決められることで自分の生活が変わる。それはわかる。なんでこんな変更したの? なんて思うこともある。それでも、結局同じ人間だから。帳尻合わされて、そこそこのところにはまとまるはず。
 なんて、誰もがある程度しっかりしているはずだって信じていた。
 何より、目をそらすことが容易かった。政治に関わりそうな議会の話はニュースの一角でしかなく、見ないようにすることは簡単だった。

 それがコロナ禍になって、目をそらせなくなった。コロナ対策の話をニュースで見ようとすれば、同時に政治家の対応が目に入る。メディアの問題もあるんだろうけど置いておいて。
 あまりにもちょっと、あまりにもじゃないか?

 テレビの中の対応が、どう発信したら人が動くのかを工夫してないように、見える。本当なら外に出ないことをお願いしなくてはいけないのに、出ていいよ、大丈夫、というメッセージがあふれている、ように見える。
 人の心が軽んじられているように見えてしまう。それとも、逆に重く見られすぎているのかな? 責められることを恐れているようにも見えるから。

 こんなふうに、私は人の心のオタクなので、人の心に関する視点で政治を見る。でも、実際政治がどういうものなのかを知らない。視点が違えば、世界が変わることはよくあるから、これでいいのか!?と私的には思うことが、もしかしたら政治的には別の意味があるのかもしれない。
 私は私として人の心に関する視点で政治を見ながら、同時に、どこかで政治を知らないことでの見落としを恐れていた。私視点で見ていいのか、と、個人が物事をどう見るかは自由だとは思いつつ、どうしても気になった。

 前置きが長くなったけど、選挙を控えて、ついに本を読むしかないなと思い至って読んだ。それが『自分ごとの政治学』だった。

 まずkindleで買ったので、ページ数を全く意識せず、帯も気にせず読んで、本当にあっという間に読み終わってびっくりした。
 タイトルの通り、政治を自分ごととしてみたいなと思ったところだったので、とてもちょうどよかった。

 本の一番最初、はじめにのところで、

政治とは、「簡単に分かり合えない多様な他者とともに、何とか社会を続けていく方法の模索」であると考えています。『自分ごとの政治学』はじめに
分かり合えない他者と対話し、互いの意見を認め合いながら合意形成をしていく。あるいは、共存するためのルールを定めていく。それによって、一人ひとりの幸福を追求するための土台を作っていく作業を「政治」と呼ぶのだと思うのです。『自分ごとの政治学』はじめに

 と書かれていて、ものすごくうなずきながら読んだ。自分としても、この定義はすごくぴったりくる。それに、本でも実は「政治」は日常の場面でもしていることだと書いていたが、本当にその通りだった。他者とはどう対話したらいいのか、どうしたら協力して目標を目指せるか、むしろ私が普段から関心のあることだ。
 読めば読むほど、普段考えていることに近い話が出てきて驚く。

「人間の理性とは、本当にそれほど完成されたものなのか」と疑問を投げかけた『自分ごとの政治学』第1章

 とフランスの政治家がすでに言っていたとは知らなかった。
 人間はどうしたって完ぺきにはなれないし、間違いやすいもの。だからこそ、失敗して落ち込んだりしつつ、少しずつ変えようと努力していきたい。人の話を聞きたい。だって人によって正しさは違うものだから。人の話を聞いて、必要ならすり合わせていきたい。
 これは私が普段から思っていることだけど、似たような話が出てくる。

 もしかしたら、私が私なりに人の心の視点で政治を見ること自体が、すでに自分ごととして「政治」をみることだったのかもしれない。


 知らないことも出てくる。なんとなく聞き覚えのある小さな政府と大きな政府。社会の授業で習ったような気もする話だけどうろ覚えだった。
 でも今読んでみると、リスクを個人化すればするほど、社会保証のない、小さな政府となることがわかる。日本が小さな政府であることも。
 なるほど、そりゃー自己責任がめちゃくちゃ強い社会になるわけだ!と目からうろこが落ちた気分になる。なんでも自己責任とは無理だよなと常々思っていたけど、政治ともかかわっていたのか。

 本はやがて「憲法」の話になった。私が覚えておきたいものをざっくりと書いておくけど、まず人間は完ぺきじゃなくて間違うものだから、今生きている人間だけで判断すると間違えることがあるよね、という前提がある。このあたりは社会心理学で何か明らかになってた気がする。
 過去の出来事や経験からダメなことなどを明確に決めておくのが「憲法」で、だからこそ、今生きている人間の不確かさを捕捉してくれるのだろう。

 なるほど、そりゃー法律がいる。だって昨日の私の思うことと、今日の私の思うことががらりと変わる、なんてことがよくある。それが人間だもの。そのうえで、あんまりころころ変わってしまうと後で自分が困ることもある。例えば、朝起きる時間とか。そういう時には、せめて決めておいたほうが、未来の自分もその通り動いてくれる──かもしれない。法律だともっと明確だろうけど。
 全部自由に好きにやる、なんてことを初めてしまえば、結局未来の自分が困ることが目に見えている。私個人ですらそうなのだから、複数の人が集まればなおのことそうなるだろう。ある程度決めごとはしなくては、いらぬ労力を使ってもめ続けるだけだ。もめるために生きていくのは嫌だから、もめないにこしたことはなく、そのためにはある程度決まりがあると便利だ。


自分の生きている世界と政治とがどのようにつながっているのかを意識的に考えてほしいと思うのです。『自分ごとの政治学』

 本を読んだ結果、「政治」をこう考えるのがありなのか! と励まされたような気がした。いろいろ考え方捉え方はあるものなんだろうけど、私の今までの視点が決定的に間違っている、ということはないらしく、むしろありみたいだ。それなら自分なりに考えていけそう。
 「政治」って本当に思った以上に身近なものなんだなぁ。

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