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思い通りに動いてほしい幻想~デトロイトビカムヒューマンを元に考える

デトロイドビカムヒューマンを通して思ったことふたつめ。

前回は命令を与えられる自分、という視点で書いていたけど、命令を与える自分、という逆の視点もある。
他者や自分自身に、命令を与えて動かそうとすること。

ゲームでは人間がアンドロイドにできて当然、命令を聞いて当然だろうと思って命令し、従うことを望む。
これは思い通りに動いてほしいという望みだ。
他人事ではない。私も思い通りに動いてほしい、と思っている。

例えば料理の材料を買う。明日はカラアゲにしようと思ってとりももを買う時点で、明日の自分に、今日の自分が料理をするように、と命令する。
その通りカラアゲにできたらハッピーな気がして。逆にできないと落ち込む。

例えば家族にごみ捨てをしておいてほしい、とお願い…誰か相手だと言葉が強すぎるけど、あえていうとこれも命令といおう。この命令は大抵了解されることを期待しているし、断られると思って頼むことは少ない。

自分や他者に命令するとき、思い通りに動いてほしいという願望がある。

デトロイトの人間も、アンドロイドへできて当然だろうと思うことを指示し、従うことを望む。能力的に人間より高いアンドロイドは、指示できることならば(能力的にできないことは純粋に断られるだろうから)なんでも引き受けて、実行してくれる。
ゲームの中の世界は、人間ではなくアンドロイドと共に過ごすことが選ばれるようになってきた世界だ。子どももパートナーも、アンドロイドを選ぶ。

全て思い通り。予想がない存在。
それはきっと、思い通りに動いてほしい幻想にとてもよく合致する。

思い通りに動いてほしい幻想が、私の中にもある。
世界が予想外のことの起こらない、自分の望みで構成されていることは、なんて安心できることだろう。
アンドロイドがいる世界ではない現代でも、そういう望みがあるし、ふとしたときに期待している。

ただ、その期待は裏切られるもの。
現実には思い通りにならないことなんてたくさんある。苦しい。

ゲームの中でも、思い通りに動いてくれる存在であるアンドロイドは変異体となり、幻想は破られる。想定外の存在になっていく。
今まで思い通りになったことが思い通りにならなくなる。期待が裏切られる。人間はそれをどう受け入れるかが終盤描かれている。

アンドロイドが(実は人間と同じように)思い通りになど動きようがない、不完全な存在だと受け入れられるか。
それともアンドロイドが思い通りに動かないことを許さず、期待を満たすだけの存在であり続けることを求めるのか。
選択肢によって結末が変わるから、どちらもあり得る。

上の文の「アンドロイド」の箇所を「自分や他人」に入れ替えてみる。
私は「自分や他人」が思い通りに動きようがない、不完全な存在だと受け入れるか。
それとも「自分や他人」が思い通りに動かないことを許さず、期待を満たすだけの存在であり続けることを求めるのか。

実際には期待を満たすだけの存在であるはずがないという現実はあるけど、どうしても思い通りに動くことを期待してしまう。
そのたびにそんなのは無理だという現実を見て、苦しい。

この揺れ動く2つの気持ちが、ゲームの結末とも重なる気がした。

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