キャパシティオーバー
最近キャパオーバーだなぁ…なんて思いながら仕事をしている。そんな感じにキャパオーバーを感じるのは、世の中私だけではないと思いたいので、自分のキャパオーバーについて少し書いてみる。
キャパオーバーだなぁと思うとき、まず自分のキャパ、キャパシティの大きさをなんとなーく捉えている。ただ曲者なのはキャパが決まった容量じゃないこと。その時、状況、場所によって違う。
決まっていれば、自分としてもこの仕事を入れるとキャパオーバーしますね! ダメです! ってできるんだけども。
最近のキャパオーバーの一部を使って書いてみると、5時間かかる書類が5件ほど溜まっている。締め切りはだいたい1、2週間ズレていて、1週間に5時間ほどの時間はだいたい捻出できるようにしてあるので、時間的には順番にやってみればこなせるはず、という感じ。これだけならキャパオーバーしていない。
ただ、この常に締め切りがある状態が3か月ほど続いていて、この先も続きそうな予定。
かつ、他に書かねばならない記録が両手で収まらない程度存在し、作らなきゃいけない資料は月に数件。それ以外に上司に相談して進める事柄が月に1,2個発生するし、後輩の進捗もしなくてはいけない。
ウッ要素が……要素が多い……!
今あげた5種類の仕事、それぞれはできる仕事量で、キャパオーバーしていない。かつ仕事量だけ並べれば、キャパオーバーしていない。
しかし、この要素の多さがずーーっと続くとキャパオーバーするのである!! するったらするのだ!!!! ぎゃーーん!!
できるだけ残業しないように取り廻しているので、仕事時間というキャパもオーバーはしていないんだけど、この状況を延々とやっていると、気持ちが落ち込んでくる。
そんな風に、量ではない要素がキャパオーバーに絡む。自分の気持ちだ。
量が多いとどうしても、これできるか? 延々とやり続けるのはちょっと辛いな、みたいな感じに思って、うう苦しいよう…とキャパオーバーに感じてくる。
そして気持ちという点で、他者の存在が関わる。
一番大きく関わるのは後輩だ。自分の仕事を分担できる先といえば後輩だけだが、現状まだ私の抱えている仕事を渡せるような能力がついていない。練習中。だから、仕方ないのだけれど、結果延々と自分の仕事量が増え続けると、いくらさばききれる量でもくさくさしてくる。やってくれよ(できないんだけど)という気持ちになる。
キャパは人それぞれ違っていて、後輩は私よりずっと小さい。当然だ経験も私より浅い。だから仕方がない。が、それと自分の量の多さのしんどさは別である。というかシンプルに仕事量を比較してるわけでもない。
段ボール箱で例えるなら、仕事量だけなら段ボール箱の量の増減だけが問題で、どう片付けるかを考えるだけ。
それが量だけではなく、段ボール箱を複数の場所に効率よく、時間に間に合うように運ぶ、みたいな複雑なゲームが追加されている。ので辛い。段ボール箱を順番に片付けるだけならまだやりようがあるけれど、それ以外のこともやらねばならないので辛い。しかも後輩は量を片付ける以外のことをやるのが難しいのでだいぶ手伝っている。
段ボール箱がもう少し減ってくれればそれだけで楽だが、段ボール箱の量も多く、片付ける以外のこともやらねばならないので、もうひっちゃかめっちゃかよ!! わーーーん!!!
せめて段ボール箱をもう少し片付けられるようになってくれ!!! と常々ずーーーっと思っている。
というか、キャパオーバーだと思って言った。このキャパオーバーを片付けるには、今練習中のことをあなたができるしかない。そういうことを私は期待しているし出来るようになってほしい、と。
それだけで少しキャパオーバーの感じは落ち着いた。自分の仕事量はまだ変わっていないのだが。
つくづくキャパオーバーと感じるかに、気持ちが影響している。自分ひとりで抱えていると限界がやってくる。
しかし…できれば、こっちがキャパオーバーという前に、もう少し何とかなってくれたら、幸せなんだけどなぁ……。
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