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「できている」という基準とは?~「できていない」との表裏一体

 最近「できたことを数えること」ができるようになった。それって多分、できているという基準がつかめたからだな、と思ったのが先週。
 ではいつから、どんなことを基準として捉えるようになったんだろう?

他者からの「できている」という基準

 できている基準を考えたときに、まず思い浮かぶ発言がある。

「できません、っていうとあまりにもきっぱりしている。難しいです、といいなさい」
「難しいです、ってことはできるってことじゃん。できるんだね?」

 最初の発言は上司から言われたこと、2つ目の発言は年上の同僚から言われたことだ。
 どちらも私の言葉に対する注意だが、ものすごく真向からぶつかってる。
 注意してくるということは、相手の基準では私ができていないということでもある。ただ、ぶつかっている! ぶつかっているのである!!!!

 途中から、私は言葉遣いの基準を考えることを止めた。とにかく上司に注意されることが多かったので、上司の言っていることが正しいとどこか思っていたが、もーわからん!! アンタが嫌なだけでは!? と爆発した。

 これだけなら上司に私が腹立ったことという話で終わる。そうではなく、他者から、もとい外からの「できている」という基準は別に言葉遣いに限らない。上司から言われただけのこととも限らない。

 例えば家事。掃除洗濯料理。社会人になったと同時に一人暮らしをして、やっぱりこれもできていないなという感じが強かった。実際、料理をすれば焦がしてしまったり、切った野菜が床に落ちたり。こんなのできていないと思っていた。毎日三食バランスよく自分で作って食べるべきなのに、実家の親が送ってくれた漬物なりを使って回しているのは、ダメだなぁと思った。お菓子で晩御飯を済ませてしまうなんて、よくないだろと責めた。

 責める状況が変わったきっかけは、仕事でお客さんに行動を変えるためのテクニックを伝えることになって、まず自分でやってみようと思ったこと。どうしたら料理が毎日続くのかを考えたときに、スモールステップを立ててみた。
 スモールステップというのは、ざっくりいえばできるだけ細かく手順をあげて、その一番小さなことからやってみること。
 スモールステップを立ててみて驚いた。めっちゃステップがある。料理をするといってもまず何を作るかを考えて、材料を買わなければいけないのだから、料理が出来上がるまでが果てしない。

 料理に限らず、どうやったらスムーズに、理想通りにできるのかなと悩んでいた家事はだいたい「あれ? 意外と難しい?」と思った。
 できていて当然、完ぺきにやってこそ「できている」だと思っていたが、こんなに難しいことだったの!?

「できていない」を受け止めること

 世間一般の「できて当然」という基準が実は違った。こんなに難しいのにどうしてこんなできて当然、みたいな感じになってるんだ!?
 生活の前提としてとらえていた家事が難しいんじゃん、と思ったときに、強くそう思ったのを覚えている。

 そこからは出るわ出るわ世間で「できて当然」とされてる気がするけど意外と難しいこと。ぜーんぶ! できない自分を責めるのがセットだった。

 「できていない」ものは、できていない。だって難しい。
 「できていない」を責めても仕方がない。

 社会人2、3年目のころからじわじわとそう思うようになった。

 一番自分を責めていたのが仕事だった。
 わからないまま働くなんて許されないだろう。仕事にしているのに、と強く思っていて、わからないことを許されない気がしていた。
 お客さんにどう接していいかさっぱりわからない。仕事にしているのに? なんで? 勉強が足りないんじゃない? ここまでの努力が足りないんじゃない? つまり実力がない、向いてないということでは? ダメじゃん、と無限に自分を責めていく。

 いやいやいや。
 わからないのは当然だ。だってやったことがない。
 わからないものはわからない。できていないものはできていない。
 わからないことはよくないものだと思っていたけど、わからないのかと気づくところからしか、知ろうとすることは始まらない。

 「できていない」も「わからない」も悪いものではないのか。

 明確に思えるようになったのは、いつだったか定かでないけれど。
 数年かかってたどり着いて、とっても楽になった。虚勢を張らなくていいんだとわかったから。どうにか今から始めようと思えたから。
 それ以来「できていない」に気づくたびに、今から始めようと思っている。

 ここまで書いて、これは「できている」という基準自体ではない気がする…と思った。もう少しあるかも。「できていない」「わからない」が少し受け止められるようになったことが転換点だった気はするから、少しずつは近づいているかなぁ。ただ、次書けるのかはわからない……。

 余談として「できていない」「わからない」はいまだに予想外の形でぶつかるし、そういうときのショックは大きい。
 ガーンできてないじゃん!!! である。
 「できていない」「わからない」がなくなることもなければ、ショックを受けなくなることも、ないんだろうな……。

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