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夏のおわりにかんじた、いまの気持ちと一緒に。

8月のおわりを告げるのは、少しずつ。
じわじわとかんじてきてたんだ。登校日をむかえたあたりから、ゆっくりと。


ピークになるのは、きっと。
明日から新学期がはじまる、前の日の夜。


この気持ちをどうしたらいいのっと、楽しさをかけはなれた気持ちにおしつぶされそうになっているなら。
スイカをほおばりながら、話したいことがあるんだ。


8月31日。
夏休みの宿題がおわってないってあわててるくらいがちょうどいいのかも。そしたら、よけいなこと考えなくてすむから。


カバンに連絡帳やペンケース、宿題をつめながら、考える。
また、勉強とか規則とかテストとか。やけに四角い建物のなかで過ごす日々が大半をしめる生活にもどるんだなぁって。


そこで過ごさないといけないんだってこともそうだし。お父さんやお母さんたちからずっと当たり前のことだというのに。
とってもくるしくて、嫌だとかんじてしまう自分自身にも。


きゅうくつで選択肢のかぎられているコンクリートのかたまりに向かう。そこで、四角い部屋で過ごすことになるのは、歳がおなじで住んでいる場所がちかくの人たち。
おなじようで、おなじじゃなくて。
それがひどくおっくうにもなる。


新学期は、やっとこつくってきた何かがリセットされる感覚もある。
席替えや係、委員会とか。あたらしく決めましょうなんてこともある。
そういうことも、わずらわしくて。


意識してしまったら、もう元には戻れない気がして。
目を背けて、そういうものだからと。自分を納得させるしかできない。



なんて、ちょっとだけ。
あのころにもどって考えてみたけど。
のほほんと過ごしていたわたしにも、こんな風にかんじていたくらいだ。


今だからこそ、あのころのわたしはこうして伝えられるけれど。


もしかしたら、いま。
この気持ちとどう向き合ったらいいのかなってひとだっているんだよね。



はじめに伝えたいのは。
こうして、自分のいまをみつめて、自分がどう思うかを言葉にできるのってすごいことだよってこと。


なかなかね、できないよ。
わたしもできなかった。
そういうものって片付けちゃってた。もし、こうして考えられていたら、いまが変わっていたんじゃないかなって。そう思うもの。


そしてね。もし、あのころのわたしに、いまのわたしが伝える術があるのなら、続けてこういうよ。


1年後の8月のおわり。どんな日にする?


1年後、いまから365日。
たっぷりあるよ。


きゅうくつな建物での生活のいいところは、ある程度、時間が決められているとこだ。
1年間のスケジュールは、すでにねりあげてある。1週間だって、だいたいお見通しだ。なんとなく、こんな生活だろうってことがわかるもの。


全部行かなくても、なんとかなる。笑


そこで決めてこう。
自分だけのこれからの設計図を。


なんて、格好つけたんだけど。
いろいろ試してみてほしいなって。



朝早く起きるのはほんとにいいのかなぁっとか。
予習と復習すると、覚えやすいのかなぁってこととか。


ほんとに?
どうして?
そんなことをひとつずつためしてみたり。


席替えがくじ引きだったら、右と左どちらがいいかなぁ。
どの係なら、新学期をたのしく過ごせるかなぁって。


いつもなら、そのときになるまで考えなかったことを、すっごく考えてみたり。

日直のときには、日誌をおおきな声であいさつする日にしたり。
たまには、購買での争奪戦に参加してみる日をきめたり。


いつもの自分からちょっとはみでる日をつくってみたりね。



1年後の今日。
忘れちゃっててもいい。


でも、いま抱えている気持ちに押しつぶされてしまうよりも。
ほんのすこしでいい。これからの1年って、自分でも変えられるとこがあるんだって気づけたら。すこしでもそのきゅうくつさが、ほどけていくんじゃないかなって。


わたしはね。
もっと大きなこと言っちゃうと。
いま住んでいる場所から、ずっとはなれたところに、行ってみたらよかったなぁともおもってて。
そのくらい、1年間のたのしみをたくさんつくっていたらよかったなって。


優等生よりも、真面目な子よりもね。


もし、そう言えてたら。
あのころのわたしも、きっと笑ってくれたんじゃないかなって。
気持ちをおしこめなくてもよかったのかなって。そう思うから。


いつも読んでくださり、ありがとうございます♡