キライって気持ちをキライにならない



スキな人がいるように、キライな人もいる。さいきん、そんな自分をゆるせるようになってきた。


キライだと感じてしまうのは、ちょっと苦手だ。スキの反対は、キライじゃなくて無関心だよ。とはいっても、冷たい感じがするから。


キライを感じてしまうことが、ちょっとゆるせなかった。



スキな気持ちは、許せるのに。
キライな気持ちが許せないのは。
不思議だなって思う。


やっぱり冷たいとか、そんなイメージがあるからなんだろうな。


キライな人がいるっていうのは、その人のぜんぶがキライというよりも、人の一面がキライなんだろうな。自分の目にうつるその人は、キライという面がみえていることが多いかなって。

もう、その一面がどうしても苦手なんだろうな。笑
良くないことを思い出しちゃったり、良くない気分になりそうだったり。キライは、自分を守るためでもある。

自分を守りたいから、キライってままでもいいんだと思う。ただ、たまに、自分も同じような一面を持ち合わせていることもある。

とりのぞきたい一面だったり。
羨ましい一面だったり。
ほんとね、掘り下げないとわからないんだけど。
こんな自分をダメって思うから、キライだったり。
自分にはとうていできないからこその羨ましいなって気持ちのモヤモヤからのキライだったりもする。


キライって、とっても奥深かかった。



スキ、キライ。
ずっと真逆の感情かとおもってた。


案外このふたつは、となりあわせのなのかもしれない。


花びらをちぎって、スキとキライと占うときのように。ほんのすこしだけ、角度がずれているだけ。


だとしたら、ほんの少し方向をかえたらスキになる気持ちなのかもしれない。



スキな人がいるように、キライな人もいる。さいきん、そんな自分をゆるせるようになってきた。


だって、スキもキライもとなりあわせなくらい、近くなんだから。


そう感じたら、キライをスキになるのも、ほんのささいなきっかけかもしれない。もしかしたら、明日にはスキになっているかもしれないし。


キライだったことが、意外性としての魅力になっちゃうことにもなるのかもしれない。

その気持ちを感じたことに、どうしてかなって考えたら、もっと見える世界が広がる。
どこにつながるかは、わからないけどね。


キライって気持ちをキライにならない。
そこから、みえてくることを大切にしたいな。


いつも読んでくださり、ありがとうございます♡