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【書く習慣1ヶ月チャレンジ】Day2:時々自分が、他人くさい。でも生まれ変わっても自分でいたいと思いたい。

どうも、一休誰絵です。滑り込み記事です。コンナハズジャナカッタ
けれど、3日坊主の壁・3日目を通り越せば、あとは続けるだけです。体は慣れます。

ということで、今日は2日目のこと。ちょっと抽象的な内容にはなってしまいますが、タイトル通りのお題でつらつらと書いていこうと思います。このタイトルは、私が好きなシンガーソングライターの1人、iriさんの「半疑じゃない」という曲の中で出てくる歌詞。自分自身の殻を破りたいけれど、それができない・自己嫌悪に陥る様子をアップテンポなラップでその思いを吐き出していく曲です。

この歌詞が、先ほどパッと思い浮かんだのは、近況がそれなりに悪かったことがあります。
というのも、自分の就職活動が一度波に乗ってきたのか?と思ったらあっさり祈られる日々が続いています。昨日は「この会社なら入っていい」と思える数少ない一社が書類選考で呆気なく落とされたことが響きました。(昨年は2次選考前に休学をする、とのことで辞退してしまったところなので、他の学生よりもESのハードルが高かったり、選考基準が昨年と異なっていたことも関係しそうです。言い訳はここまで)

そんな感じで、お祈りを食らったとわかった時は、地下鉄に乗っていて、最寄り駅に着いた時にエスカレーターを見て
「私は、何をしているのだろうか」
「ここまで不器用なのは、辛いな。器用な人間でいたかったな」
「もし私が私でない誰かであれば、もう少し楽に生きられたのだろうか」

とまあ、わかりやすく自己嫌悪に陥ってしまいました。できたら現実逃避をしたいし、一瞬だけでもいいから器用な人間と入れ替わってくれないかな、と。自分が自分であることに、恥ずかしさを覚えたのです。

ただ一方で、自分がとった行動に対しての代償は払わなければならないと、休学する前の段階から考えていました。その代償ですが、例えば「新卒就活において、周りより年齢を重ねてしまったこと」「一度蹴ってしまった会社を再び受けるときのハードルの高さ」「あえて1年の猶予を作った、社会人に対して論理的に説明する必要性」などなど。

だから、自己嫌悪に陥る自分を、諦めて受け入れるしかないと思います。その会社のせいには絶対にできません。

自分を他人として扱いたくなるほど、自分が恥ずかしくなる時もあります。でも、やっぱり生まれ変わっても自分ではいたい、というわずかな自尊心を胸に、今日は眠りたいと思います。

かなり抽象的なことを書いてしまったので、自分でも何を言っているのかは分かりません。ごめんなさい。

ここまでの所要時間:約24分

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