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休みは”いただく”ものではありません【書く習慣1ヶ月チャレンジ:Day20】

どうも、一休誰絵です。春の季節のせいか、天気は不安定ですね。私の心も不安定

久々に読書記録をつけていきます。

これまで見ないふりをしていた読書記録をつけています。読書記録をつけていく行為って、意外にもエッセイより、数段労力がかかるのです。内容を思い出したり、どこに感動したのかや引っかかったのかを言語化したり、はたまた引用はどこまで許されるのか、といった(見向きもされにくい弱小noteですが)コンプラ関係のことも考えないといけなかったり…

さておき、今回読了した本は「自分の仕事をつくる」。

こちらは、アルバイト先の方と、就職活動やこれからの働き方などについて話していたときにおすすめされた本です。(本屋に勤めると、本の出会いの回数が格段と増えたり、一緒に働かれている方がすごく面白かったりといいことずくめです)

こちらの本では、デザイン事務所など、どちらかというとクリエイティブ職で飯を食っている方にインタビューした内容です。
どれも、今の自分にとっては欲しい言葉などが散りばめられていて、あまり疲れずに読めた気がします。

いくつか自分が残ったもののうち、とくに「どうして、日本では休みを”いただく”という文化なのか?」についてつらつらっと書いていきます。

休みを”いただく”について

それは、著者の友人がイタリアの友人とお話ししていたときのこと。次会える日について話している中で、著者の友人が「次休みがもらえるのは……」と言ったら、イタリアの友人が「え?休みってもらうものなの?誰から?」と真顔で聞いてきたそうです。

本のなかでは、その後日本の終身雇用制度について言及されています。詳しくは同書を読んでいただきたいのですが、要は「一度会社に入ると、時間など自分の全てを会社に預けて、休みたい時には一旦預けた時間をもらう」という風なこと。

私も最近考えていることなのですが、日本に限らず、人間は会社で働き出すと、拘束時間もそれなりに長いため、仕事≒人生、になりがちなところはあるかなと思っています。さらには報酬をもらう箇所(=生活するための手段)がひとつだけになることが多い。
だから、新卒就活だとこれまでの経歴というよりかは「どうしてもこの会社に入りたいのです」「10年後の御社でのキャリアプランは〜」といった熱意溢れた回答を求められているのでは、と。

就活の話はさておき。現在、”休む”という行為はかつてほどではありませんが、あまり宜しくないこと、とされています。また、”仕事を頑張るために休む”という、あくまで仕事のための休みと捉えられてしまっているなぁと感じています。

社会に出たことがないあまちゃんの私ですが、もう少し、休むことに対して前向きになって欲しいものだなと、ついつい考えてしまっています。

今日はここまで。うまく纏まっていませんが、ご了承ください。



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