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【高校で数学テスト10点だった”超”文系が数学科学生になるまで】②現役の悔しさは今思い出してもしんどい

どうも、一休誰絵です。今回はこちらのシリーズを書いていこうと思います。
偶然にも、明日は大学共通テストですね。どうか晴れてくれることを願って。

さて、前回は文理選択のお話でしたが、今回は大学受験現役編を書いていきます。今、高校生に戻りたいのか?と言われたら全くもって戻りたくないです。そのくらい、自分に対する葛藤怒りで溢れかえっていた時代だったと思っています。

高校3年、数学ばかりやっていても

前回も言及しましたが、私は先天的に数学・物理ができないにも拘らず理系という道を選んでしまいました。そして、私立理系でもなく、国立理系を志望していました。今思うと理系できないくせに文系の勉強をするなんて、とんだ大バカ者です。

その上、高校時代、部活・生徒会活動などで忙しくしていたため、勉強することがほとんどありませんでした。そのためテスト勉強をほとんどしたことがなく……勉強しても、授業中は居眠り坊主だったので分かるわけもなく。

高校3年になって、これまでの勉強の復習をしようとしても「あ、これわからん……」が大変続出しました。そのため、「猿でも分かる!数学」のような、本当に猿でも分かる問題集から手をつけることに。英語に関しては中学のものからやり直しました。

一方、学校行事の音楽祭(合唱コンクールみたいなもの)の実行委員や文化祭の企画に携わることになってしまい、受験勉強1本に絞ることができなくなりました。クラス単位の行事に取り組んでしまったのは、ぶっちゃけやってしまいました

そこからコツコツコツと勉強したものの、やはり理系分野が苦手のゆえ、成績は上がる気配は全くありませんでした。上がったといえば、やはり国語や英語などの文系科目。そんな中、周りはどんどん成績を伸ばしていき、仲の良かった友人も推薦などで次々と進路を決めていきます。焦る気持ちもありましたが、持ち前の「なんとかなるだろう」精神のせいで変な自信を持ちながら、そんなこんなでセンター試験を迎えます。

ちなみに、当時の受験科目は「国語」「英語」「地理」「数学(1、2、3
)」「物理」「化学」。ゴリゴリの理系すぎる。

多分、学年最下位だったセンター試験

センター試験、確か地理で、あのツイッターを賑わせていたムーミンの問題の年に受けました。

結果は……国立大学を受ける目安である、6割をギリギリ行くかいかないかくらいだったと記憶しています。数学に関しては5割くらいしか得点していませんでした。周りのクラスメイトは8割超えが当たり前でした。

それに引き換え、私は苦手な理系の道を行き、しかもあまり努力していなかった。1週間前の変な自信を持った自分が恥ずかしくなり、トイレの個室でボロボロ泣いていた記憶があります。今思い出しても、結構しんどい思い出です。

「高校の勉強をやり直したい」 センター試験明けて浪人を決意する

トイレで泣いていた時、自分がいかに勉強していなかったのか、課外活動ばかりやってしまったのか、授業中居眠りしてしまったのか。自分と勉強との向き合い方の不真面目さを、猛烈に反省することになりました。

このまま、仮に入れる大学があったとしても、きっとついていくことはできないし、何より高校の勉強をしてこなかったことが一生の負債になる。目標とする大学に受かること以前に、1年きっちりみっちり高校の勉強をやり直したい。ここで私の心のなかで「浪人」を決意したのです。

その後、担任の先生との面談で、「浪人します」と伝えました。先生も「おおうそうか」と。まあ、多分先生もこのままはどこも無理だろうから無難な決断をしたじゃん、と思っていたんじゃないかな〜

現役の受験はとりあえず受けてみたいところ(記念受験)を2校くらい、最低でも受かってほしいところ2校くらいを受けました。結果は、1校だけ合格しました。自分の勉強は無駄ではなかったと安堵した一方、正直あまりうれしくはありませんでした。

そして、卒業式の前日。
目標とする大学に合格した人たちと、これから浪人することになるであろう人たちのテンションの差が激しいなか、「旅立ちの日に」の学年合同練習が行われました。あれは…まさに地獄絵図でした。

今回はここまで。
③は、浪人の時のお話を書こうかと思いましたが、卒業式の前日のことを思い出していくうちに、とあることを思い出しました。
現在でも深い親交のあるクラスの友人と、その仲になったきっかけが、卒業式の前日だったということです。これは、番外編として書いていくことにしましょう。

今回は少し長くなってしまいました。お読みいただきましてありがとうございました。

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