【高校で数学テスト10点だった”超”文系が数学科学生になるまで】⑤充実感と焦燥感と、センター失敗
どうも、一休誰絵です。
およそ5ヶ月ぶりに、この連載を再開しようかと思います。
さてさて、今までが脱線しすぎましたが、5回目にして初めての勉強編です。
もう一度、高校の勉強をやり直したい
現役で失敗した直後から「よし、もう一度勉強しなおそう」と思い、半ば自己満足的な気持ちで浪人生活をスタートしました。このときの記事はこちら。
周りが「人生の夏休み」と称される大学生活に淡い期待を寄せる中、我ら浪人生は再び受験戦争に向けて準備を進めていくのが3月下旬…… せっかくだし休もう、と思っていたのですが、やはり休んだら休んだらで罪悪感は増していくばかり。
少し遠出をするときもかならず英単語帳は持っていき、付箋を貼り、地道に単語を覚えていきました。
その間、1年間身を預ける場所、予備校探しをすることに。宅浪も考えてはいましたが、性根が怠惰だったため、、
なんとなく、理系が強い、ということで某S台予備校に入ることになりました。
もともと、浪人する趣旨が「勉強を本格的にやり直す」ということだったので、底辺クラスにあえて入りました。まあ、単にバカだっただけ、というのもありますが。
そんな底辺クラスの授業では、やはり初学者でもわかるような内容が多く、さすがの私も「こりゃあ知っている」と思うものでした。とはいえ、これで手を抜いたらまた現役の二の舞になってしまう、ということで、毎日の予習・復讐を欠かすことはありませんでした。
同時に、数学では青チャートとか、物理化学では重要問題集(理系受験生界隈では「重問(じゅうもん)」と呼ばれるものでした)をたまに気分転換に解いて、玉砕される、といった感じ。
やっぱり、勉強は楽しいものである
そんな玉砕されがちな浪人生・一休誰絵でしたが、勉強はしていけばしていくほど、その深みを知ったような感覚がありました。
ああ、英語の「副詞」「助動詞」はそんな役割なのね、とか英単語の語源をもとに覚えていけばいいのか、とか。もちろん、理系科目もなんとなくではありますが、あんなに公式や化学式などが覚えられず、単なる苦しみでしかなかったものが、はじめて自分の体に入って、血肉になる感覚も覚えていくように。
これまで私にとって、勉強は他人との比較するための、劣等感を生み出すツールだったものが、こんなに楽しいものだったことを知りました。少し大袈裟に聞こえるのかもしれませんが、浪人のときにはこんなことを思いながら、勉強できる環境にもありがたみを感じながら、受験勉強を続けました。
いまでも大学の勉強は楽しいものですが、この時の勉強は限られた公式や知識の中で試行錯誤していく過程に楽しみを見出したような気がします。
そんな中でも、孤独感は常にあった
それでもやはり、浪人経験者あるある「社会の中で何者でもない存在の苦しみ」は、例外なく私にも襲いかかってきました。
どこにいっても、カフェに行っても「勉強しないといけない」という焦燥感に駆られる。たまに開いたインスタで、大学生活を満喫する元同級生が羨ましくもある。予備校に行っても、友達は意識して作っていなかったのもあったので、わきゃわきゃする予備校生を見ても「ちっ」となってしまったり。余計なあれこれまでも怒りの対象になるもんだったので、あの時は孤独感がいけなかったのかもな、と思っています。
月1回の頻度で会っていた浪人仲間の友人との会話でも「私たちって、やっぱり何者でもないよね」といったことをしばしば話していました。そのくらい、ほんの1年前は誰もが懐かしむ青春を過ごす高校生だったのに、浪人、という経済環境に脛をかじっている、何も生み出すことができない存在になってしまった。
勉強の充実感とともに、一方では孤独感などの負の感情も深めていくことになりました。これが「浪人してはいけない」という大きな理由であることを、このときに知ったのです。
センター試験は失敗、これまでの調子が狂う
その後、秋に。これまで着々と積み上げてきた勉強量がやっと実にできた時期でもあり、目指していた志望校の冠模試(特定の大学の入試問題を想定した模試です)の判定も「受験可能、という現実が帯びてきた」という結果に。去年だと全く足元にも及ばなかった大学だったので、予備校の机で思わずガッツポーズをしてしまいました…
でも、この時期から調子が悪くなっていきました。俗に言う、スランプ時期です。
よりによって、センター試験直前あたりから異変が起き始めました。
「いつもなら数学のセンターは8割いくのに、どうして……」
センター試験1週間前になると、焦りと、これ以上失敗できないというプレッシャーが大きくのしかかりました。
涙は出てくるわ、お腹の痛みも止まらないわ、これまで息抜きとしていたものも手につかなくなりました。前日は、2回ほど嘔吐しました。
この様子を見た両親も、焦燥し怒り出してしまい…「もっとしっかりしなさいよ」と言われました。
そんな中で、ついにセンター試験です。
のちにびっくりするのですが、センター試験で初めて訪れた大学に4年間(休学したので5年間ですね、ああ…)通うことになるます。。まあ、この大学に決めたのも、なんとなく名前は聞いたことあるしな〜と思っただけでなく、センター試験会場だったし「これも何かの縁だろう」と思ったから、というのはあります。
妹から「頑張ってね」ということで、メッセージつきのお菓子をもらい、親から背中をバンっと押され、会場に向かいました。
前日まで焦って吐いたほどなのですが、当日は「まあ、なんとかなるはずだ」と思い、ひんやりした空気を自分の中に入れて、心を落ち着けました。
なんとか、1年間、頑張ってきた。途中はきつい思いもあったし、前日は吐いたけど。
内容はほとんど覚えていません。ただ、英語のリスニングで羽の生えた野菜野郎が出てきたり、といったのは覚えています。内容はそれだけ。
理系科目ですが、やはりスランプ気味も相まって、あまり調子の良いものではありませんでした。非常に怖い思いしたのは、数学ⅡBの微積問題を開いた瞬間に「あ、私これ解けない」と頭が真っ白になったことです。このあとに物理化学を受けなければならないのは苦痛でした。
センター試験が終わった2日目の帰り、雲ひとつない空には月が出ていました。月の写真を撮りながら、これ以上身体の力を入れることもできず、テスト内容を振り返る力もなく、ただ、ぼーっと「こんなに頑張ったのに、やっぱり頑張りが足りなかったのか」と。わずかな力を振り絞り、自分を責め続けました。
帰りの電車では、向かいホームで、女子高生2人組が話しているのをみて、「そういえば、去年の自分も同じように悔しい思いをしていたな」とか、そういうことを考えていました。ただ、今年は、あのときの悔しさとはまたちょっと違いました。
前回は、頑張れなかったことに対する悔しさでした。今回は、頑張ったのに報われなかった(=思うように結果が出なかった)無力感も相まって。
家に帰ると、心配した様子で親が「おかえり」と言いました。
家はセンター試験前と変わらず、温かい。そんな空気に包まれると、これまでの緊張感が一気に溶けていき、帰り道に思っていた悔しさがどっと、洪水になって私を襲いました。
自分の部屋で自己採点をしても、結果は芳しくなく。むかついたのが、理系科目ほど力を入れてなかった文系科目の方が点数が高かったのですよね。さすがに国語の古文は死んだ点数でしたが。
こんなとき、やはり親の顔を見ることができませんでした。ダメだった、とあっけらかんにもいえず、ただひたすら部屋で泣きじゃくりました。
後味苦い今回でしたが、これにて終わります。
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