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偶像とホログラム

偶像崇拝

ホログラム

思考が現実になる

同じ対象を見ていても、個々のフィルターを通して見ている以上、それに対する思いは人それぞれみんな異なる。
たとえすごく似ている感覚を持っていたとしても完全一致はない。

思考が現実になる…というか、
自分の目に見えるもの感じるものはすべて、
潜在だろうが顕在だろうが自分の中にある意識の反映でしかないと最近は思うのだが、
だとすると、
それぞれが持つ思い(や理想)の集合体のようなものが偶像やアーティストなんじゃないかと思えてきた。


偶像と崇拝者
アーティストとファン

特に自分があまり思い入れのない対象だとその構図を第三者的に見ることができてわかりやすい気がするのだが、

大勢の無数の思いが投影された集合体…、
それはたくさんの似通ってはいるが異なる粒子(量子?)と周波数が集合して濃くなったところが形になっているようなもので、
我々はそれを見させられているのだとすると、
やはりホログラムに近いような気もする…
(触れられそうで触れられないという精神面においても。)

ステージに立っているアーティストは生身の人間ではあるけど、その中の人と(人々の思いが反映された)ステージ上の姿は同一人物とはいえ、存在が異なる。

仏像や仏画も作者によるイメージの再現であって、「こんな姿だったのではないか?」という想像形と作品の素晴らしさに多くの人が共鳴した結果、力を持つようになってるように思える。
まあ、これは精神論的ではあるけれど。


何が言いたいのかわからなくなってきたが、

要は「絶対」は無くて、
全ては流動的…

仏教でいう「空」はそんなようなことのもっともっと大きく包括的な意味になるんじゃないかと思うけど、
ここで話したようなことも一理あるんじゃないかと思った次第。。

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