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アレクサンダー・ガジェヴ氏のピアノリサイタルへ行ってきました

昨夜は私にとって初めてのガジェヴ氏のリサイタルを聴きにオペラシティへ。

ピアノ2台を前半後半で使い分けるそう…。

前半シゲルカワイで後半がスタインウェイのようです

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客電が落ちると最初にご本人の声でメッセージが流れます(続けて日本語アナウンスもあります)。

光の前に闇があるように、音の前にも静寂がある…。(←最後のところのみ記憶)

静寂を味わってもらうよう、2分間、真っ暗な中で目を閉じて瞑想。
そして、静かにバッハが始まります。
最初の1音のピュアさが際立っていたように感じました。
あの広さでも皆が暗闇で目を閉じるとあんなにスンとした静寂が訪れるんだなぁ…と貴重な体験もできて嬉しかったです。少しも波立たない静寂の時間ってほんと貴重だから。。

精神性の高いアーティストなのはなんとなく知っていたのですが、想像以上だと感じました。彼は日本人よりよほど深く禅や侘び寂びに精通してるんじゃなかろうか。。
ショパコンの時のコンテスタントが集まって話す座談会の話ぶりとかは冗談を交えながら面白おかしく話すイメージだったけど、彼から出てくる音は全体的にとても憂いを帯びていてどこか哀しい感じがします。
また、水墨画や書における"余白の美"みたいの(例えば残響だったり、鳴ってないんだけど空間に漂う気配のようなもの)をすごく理解されて、大事にしているようにも感じました。

バッハやフランクの曲は特に、西洋の楽器から鳴る西洋の音楽という感じがしなくて、夜の大きなお寺の境内で、月明かりの下、もしくはかがり火か蝋燭の火を灯して、畳みの上で正座して聴きたいような感覚になりました。
朝か昼間を感じる楽章でも、山の森の中で風になびく木々の葉音や鳥の囀りのような環境音をも背景に感じられるようで、気持ちがスーッと穏やかになりました。
先日京都に行った際に訪れた東本願寺の御影堂で、私は畳の上に正座して30分ほど瞑想してきたのですが、その時に感じたのと近い感覚になりました。

1音1音から心が滲み出るようなサウンドはショパンにもちろんぴったりで…ノクターンはいうまでもなくとてつもなく美しかったけど、私はスケルツォ3番が聴けてとても嬉しかったです。(4つの中で1番好きで、かつて自分でチャレンジしたこともあったけど、ムリだった…笑)。ダークな激しさと天使の振りまく粉のようなきらめくドリーミーさの両極が同居している曲を繊細かつ大胆に、素晴らしく美しく弾いてらして、本当にステキでした。。

後半はピアノのチェンジがあり、前半のピュアなサウンドから華やかに鳴るピアノへ。そして展覧会の絵。

ピアノソロの展覧会の絵をフルで聴いたのは初めてだったと思うのですが、これはガジェヴ氏が弾いているからなのか、なぜか迫り来るものを感じて、涙腺をくすぐられました。これまでオーケストラの演奏を数回聴いたことはあったと思うけど、荘厳でドラマチックな曲だとは思っていたけど、そこに憂いや悲しみをあまり感じたことはなかったのですが…。

演奏を聴きながら、彼はおそらく私が目を背けてしまうような世界情勢とも向き合って、考えて、内側で昇華させるように曲と音と向き合っているのではないかと想像しました。
それは精神的にタフじゃないとできないことなので、ものすごい強い精神力の持ち主なんだろうな…とも思います。
あと激しい場面のフルボリュームでも決して音が汚くならない…むしろすごく濃厚に腹の底から訴えかけてくるような音色なのが信頼できるし、グッと来るポイントの1つでもありました。

おそらくあのショパンコンクールで戦っていた方々は皆それぞれ唯一無二の存在なんだと思うけど、実際生で聴いてみると、音楽に対するその人の信念のようなものがありありと伝わってきて、またそれを終始貫いている感じがものすごくかっこよくて惚れ惚れしました。


アンコールの3曲とも全てに感じたことですが、特に最初のスクリャービン。静かな短い曲だけど、呼吸をするように自然なフローを感じられました。

私は以前から音楽は自然の摂理とともにあって欲しい…とどこかで思っていたのですが、それを実体験できた気がして、「そう、こういう感覚!!」と思えたのがとても嬉しかったです。

Xのポストにも書いたのですが、(物理的な)ピアノの音であるとかテクニック的なこととか、もうそういう次元からずっと超えたところにある音楽そのものという大きな渦に飲み込まれたような没入感でした。
音楽を聴いてそこまで感じられたのは初めての体験で、ガジェヴ氏のアーティストとしての大きさに素晴らしい衝撃を受けて帰ってきました。すごかったです。。笑

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