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藤井風さんの死生観に触れるのはメンタルの調子が良い時の方がいいかもしれない…

ここ数日、久しぶりに酷くメンタルが落ちている(←単純に夜更かしが続いた自業自得かもしれないが…)。

そんな時に…、そんな時だからこそ?だったのか、これまでほぼ全く聴いて来なかった藤井風さんの曲を急に聴くようになった。


聴かず嫌いは同族嫌悪的な(?)"スピリチュアル"への抵抗から

これまで風くんの曲を聴いてこなかったのには理由がある。

以前、私は何がきっかけだったか覚えてないのだが、曲をちゃんと聴くより前にYouTubeで「何なんw」のBehind The Scenesの動画を観ていた。

めっちゃキレイな英語話すなぁ…と思う一方、ガチでスピリチュアルな(精神性の高い)人だ、この人は…と思った。

私自身のスピリチュアリティについて少し話すと…
幼い頃から近所の神社や商店街にある小さな鳥居を見つけては、なぜか毎回駆け寄ってくぐって行って手を合わせてるような子ではあったんだけど、幼少期に立て続けに祖父母を亡くしていたり、母が老舗旅館とかでは霊が見えてしまう系の人だったりしたのも少し影響しているのか、目に見えない何かを普通に信じてるタイプだ。
さらに、私は90年代後期にコロラド州南西部のデュランゴという町で4年半学生生活を送っていたのだが、ネイティブ・アメリカンのナバホ族の居留地やメサ・ヴェルデ(遺跡)などが近くにあったせいか、割と自然にスピリチュアルな文化に触れていた。標高も高く、空が近い感覚…今考えると町全体がパワースポットだったような感じがする。
町のギャラリーやおみやげ屋さんなどには必ずと言っていいほどインディアンジュエリーやドリーム・キャッチャーなどと共に、大きいものから小さいものまでたくさんの天然石が売られていたし、加えてタロットカードなどのスピリチュアルグッズも普通に目にしていた。
それに向こうのドラマや映画は天使やUFO、宇宙人とかよく出てくる印象だったし、そうした関連の本も、それまで日本の本屋さんでは見たことがなかったが、とても美しい装丁のスピリチュアル系の本がしっかりとコーナーとして表立って普通に陳列されていた。それを”オカルト”みたいな色眼鏡で受け取るより、もっと自然に人々に受け入れられている感じがしていた。
そんな環境で思春期を過ごしたせいか、向こうにいる間は、何か目に見えない力を信じることをあまり恥ずかしいとか思わなかった。ただ、帰国してからはその要素はだいぶ隠していた。話す時に人を選ぶというか…。

数年前か?初めてこの風くんの動画を観た時、私がなるべく隠そうとしてきたことを堂々とお話してる人が居る…!とちょっと嬉しかったのと同時に、いやでも、私は日本ではまだそっちに行く心の準備ができてないっす…💦っていう謎の抵抗感が働いて、以来彼の曲を聴かないようにしていた。
ただ最近はだいぶ「スピリチュアル」に対しての認識が”胡散臭いオカルト”みたいな感じではなく、宗教でもなく、精神性の高さである…という感じに認識されつつある気もしていて、私自身はまだ振り切れてない部分もあるのだが、少しずつ解放しつつもある(以前書いた記事→「見えない存在との会話」)。


「花」と「帰ろう」における死生観

そんな中、外国人によるリアクション動画がきっかけだったのだが、「花」を皮切りに、最近急に風くんの曲を聴いてみるようになった(←ドラマは観てない)。
そしてここ数日は久しぶりにメンタルがかなり落ちていたので、特にこの「花」「帰ろう」の歌詞の死生観に心を強く鷲掴みされた。

風くんの歌詞を聴いてると、生死の境目が曖昧になってくる気がして、これが「ある程度メンタルが調子良い時に聴いた方が良い、うっかりすると危ない…」と思った所以だ。
(死生観とは少し違うが、量子力学の観点から物事の境目が曖昧に感じてきた話は以前少し書いたことがある→「いろんな境目が曖昧になってきた話」)

「花」のMVを観ていると、棺桶の中でキレイな花々に埋もれて穏やかな笑顔で歌っている様子、色んな生地のパッチワークのような風にそよぐカラフルな衣装に身をつつみ、棺桶から起きてぴょんと車から降り、無邪気に舞いながらフォーマル姿の(自分の?)遺影にお線香をたむける姿、ふわぁ〜っと伸びをしてキラッキラにクリアーな青空に手を伸ばす姿、炎の周りで活き活きと時折官能的な表情を浮かべながら儀式的な踊りをする姿…全てが果てしなく美しく、自由。
私の感じ方では、黒いフォーマルな姿が現世、カラフルな衣装の方が生まれ変わりの姿(でも最後に砂になって消えてしまうから、何者にもなれる魂のような存在かもしれない…)。だとすると、後者がなんだかとてもとても幸せそうに見えてしまって、さらに軽快でポップな曲調に飲まれてうっかり「私もそっちに行きたい…」とか思ってしまう。。
が、これはキケンだ。
生まれ変わる…ホシに帰る?感覚はここ物質世界では"逝く"ことに値する(おそらく)。うっかり「あぁ、いいなぁ…」なんてそっちに行こうとしちゃダメじゃないか!…と、ちゃんと我に帰る必要がある。

「帰ろう」を聴いていても似た気持ちになった。

(軽くても抑うつを経験された方ならわかっていただけるかもしれないが、)この物質世界で生きるのに、身体はなんて重たいんだ…と思うことは無いだろうか?
気持ちはあるのに身体が動かない。起き上がるのがしんどい、お風呂はおろか、トイレに行くのも食べるのも着替えるのもめんどくさい…どこまでも全てが面倒と思った時、これはもう逝くしかないんじゃないかと思わされる。
そんな時に
何も持たずに帰ろう
一つ一つ荷物手放そう
…などという歌詞を聴くと、
そしたらどれだけ身も心も軽くなって気持ち良くそっち(ホシ)に帰れるの…?
私は「幸せ絶えぬ場所」に帰りたいし、
わたしのいない世界を上から眺めて」、ただひたすら"がんばれ!"って応援だけしていたいよ…
などと、またうっかりあらぬ方に気持ちが向いてしまうのだ。
本来は旅立つ人の行った先は苦しくないよ、と遺された人の辛さや悲しみから救う歌詞なのかもしれないんだけど、、自分のメンタルがやられている時は上記の私のように捉えてしまうこともなきにしもあらず…と思うのだ。だから、ちゃんとイマココに戻ってくる必要がある。

私がここに居るということは、まだこの地球でやることがあるはずなのだ。いまだにその「やること」が定まらなくてあちこち彷徨ってぶつかって大変なんだけど、自ら選んでここにやってきて、色んな「大変」を経験するために来てるんだから、やるしかないのだ…。この物質世界での命が尽きるまでは。

この曲の中ではもう少し人間的な部分でも涙腺崩壊したところがあった。

それじゃ それじゃ またね
国道沿い前で別れ
続く町の喧騒 後目に一人行く

「帰ろう」歌詞より

両親が健在だった頃、自宅と(今はなき)実家は歩いてたった15分程度の距離であったにもかかわらず、私が実家に顔を出すのは月に一度あるか無いかだった。不仲とも少し違うのだが、特に母とは言い争いが絶えなかったので、私は実家を出てからは泊まったことがなかった。夕飯を食べて少しゆっくりすると、口論が激しくなる前に父が「そろそろ帰りなさい」という空気を出してくれていた。
そして、帰りはいつも父が愛犬を抱っこして、散歩がてらちょうど実家と自宅の中間くらいのところにある商店街の十字路まで私を見送ってくれて(「国道沿い」のような大きな通りではないが…)、そこでバイバイするのが習慣だった。
私が30代後半になったくらいからは、そこで父と犬とバイバイする度に、「あと何回こんな風なたわいない時間を過ごせるのかな…」と残りの帰り道を1人で歩きながら少し寂しく感じるようになった。
父が急逝して10年近く経ったが、これまで(おそらく敢えて)あまり思い出さないようにしてたことが、この歌詞を聴いた途端一気に記憶が蘇って、ひどく泣けてしまった。
またしばらくこの曲聴けないな…。笑


この若さでなぜこんなに達観してるの?!

驚くのはなぜ25〜6でこんな達観した感覚を持っているのだろう?ということだった。
私の場合は父の急逝から2年後に入院中だった母を目の前で看取って、実家から引き取った犬をその1年半後くらいに看取って、1人きりになって内観するようになって、しばらく経った今だからこそやっと理解できたような感覚だ。

で、このドキュメンタリー映像を観ていたら、

「老人ホームとか病院とか終活セミナーで演奏していた時期もあった」
とお話されていて、ああ、なるほど…と完全に腑に落ちた。

YouTubeのオラクルやタロットのカードリーダーさんで元看護師の方とかも時々いらっしゃるけど、やはり日頃生死を目の当たりにされて来てる方やそうした現場にいらっしゃった方は、思考や理論では説明できないような奇跡的な現実を見てきていたりもして、見えない何かとコミュニケーションを取る力に長けているように思うのだ。
(私なんぞは身内だけしか携わってないから、全く足元にも及ばない…が、すこーしだけ感覚はわかるようになったと思う。)


用法・容量を守って正しく使いましょう

こういう歌詞は受け取る人の数だけ解釈もあるんだろうと思う。
癒されたり、活力をもらえたりするのは良い効果。
ただ、副作用でうっかりあらぬ方向に行ってしまわぬように、少し気をつける必要もあるのかもしれない…??と私の超個人的な感覚も記しておく。

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