自己紹介エッセイ(これまでの仕事②)

前回に続き社会人編その2。

【プロフィール】
Chie
東京都出身
'75年生まれ 牡牛座 0型 子なし未婚独身
コロラド州立フォートルイス大学卒
バークリー音楽大学中退
株式会社oricon MEでモバイル事業、株式会社日テレアックスオンで映像アーカイブ業務、その他派遣社員などを経て休職後、現在第二の人生を模索中(←要するに無職)

再就職までの転換期

オリコンを退社し、半年間は完全に休職。
抑うつの治療に専念した(←これは前回書いた通り、原因は自分にあって、会社のせいではないです)。
ただ、 30歳の時に購入したマンションのローンもあり、失業保険とわずかな貯金ではそれ以上は休めなかったので、まずリハビリ程度に負担の少ないアルバイトから始めてみようと仕事を探し始めた。

応募したとあるベンチャーの音楽教室で「バイトじゃなく正社員として…というのはいかがですか?」とお誘い頂いた。
フルタイムで働くのはまだ少し不安もあったが、「正社員」という言葉に惹かれてお受けしてしまった。しかし、小さな会社だったので、自分の担当する仕事以外のこともやらなくてはならないことが多く、対応しきれなかった。あまり迷惑をかける前に退散しようと決め、3ヵ月の試用期間を以て辞めた。
それでも配属された広報の仕事では、初めてweb広告やフリーペーパーなどに掲載する広告周りについて多少なりとも知識がつき、それはとても良かった。(あと、福利厚生で2度ほどボーカルのレッスンを受けられたのも良かった。笑)

やはりまだ正社員として働くのは厳しいとわかり、今度は派遣で数ヶ月単位で働いてみることにした。

派遣会社に登録してまもなく、某AMラジオ局でweb班での仕事が決まった(出社初日に大寝坊して遅刻したのは最悪だった…)。
オンエア直後の番組の録音データをエンコードしてポッドキャスト配信したり、番組HPのテキスト更新、局のHPの番組表更新などをしていた。
初めて派遣社員として働いたのだが、時給制だと日にちの少ない月は週末に日雇いバイトに出ないと厳しい時もあった。
これを長く続けるのは困難と思い、半年で契約更新せずに終了した。


ちなみに日雇いは
・都内結婚式場のワインガール
・倉庫でレトルト食品キャンペーン用の組み立て前の段ボール棚の糊代にひたすら両面テープを貼っていく仕事
・コンビニの新発売チルド飲料の専用プライスカードを組み立てる仕事
・イベント用チラシ封入
・コンビニ向けバレンタインチョコの仕分け
・焼酎瓶にオマケを付けていく仕事
などをしたことがある。
朝早くから立ちっぱなしとかが多かったが、無心で手を動かすみたいな仕事も悪く無かったし、そこに集まる普段の職場では絶対出会わないような人達との会話も色んな人生を垣間見れる感じがしてなんだか楽しかった。


上記ラジオ局の派遣の仕事を終えた3日後、某カラオケメーカーの会社が派遣先となり、再び広報でモバイル部門の広告の仕事をすることになった。
これは前職でモバイルサイトをやっていたことと、たった3ヶ月間とはいえ再就職したベンチャー企業でweb広告に触れられた経験が役に立ったと思う。
アシスタントの立場ではあったが、予算の調整に関わるような内容の仕事までやらせてもらえたし、時にはカラオケの曲間に流れるCM制作のディレクションやイベントのフライヤー作成、イベントブースのお手伝いなど、多岐にわたる様々な経験をさせてもらえて、とてもありがたい職場だった。

ただ、仕事に慣れてくるにつれ、自分が派遣社員としてどう在るべきなのかという個人的な悩みがストレスとなり、再び体調不良で出社できなくなるなどしたため、半年で契約更新せずに終了した。

そろそろ派遣ではなく再就職…というのも視野に入れていこうと、並行して転職活動もしていた。

かねてから、心のどこかで漠然とテレビ局で仕事がしてみたいという思いがあった。私が幼い頃、深夜すぎまで帰らなかった父が定年まで勤めていた日テレはいったいどんな会社だったのかという興味もあった。

日々転職サイトを眺める生活をしてふと目に入ったのが、「未経験でもできるテレビの仕事」だった。それは日テレアックスオンのアーカイブ(映像ライブラリー)の仕事だった。
今から未経験でもできるテレビの仕事なんて滅多に無いだろうし、とにかくその中に入ってみたかったので飛びつくように応募した。
初めてエントリーシートというものを書いた。1次の書類審査、2次の筆記試験と面接、3次の役員面接としっかり段階を経て、(中途採用のため)契約社員として2013年4月から入社が決まった。

余談だが、この再就職が決まって安心したのか、同年6月に父が急逝した。

社会人編その3に続く…

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