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レクイエム・ラプソディー

まえがき

初めまして、雪です。
突然ですが、筆者は縁起が悪いとされるものごとをかなり気にするたちです。
音量や個数で「4」を選択するのを避けたり、「死」にまつわるコンテンツを見ないようにしたり、また、それらを目にしたら必ず自分の中で決まっている呪文を心の中で唱えたりと強迫的なまでに縁起が悪いものごとに支配されてきました。
しかし、最近身近な人の死に関わり、自分の中でどっぷりと「死について考えてもいい時間」を作ったことで縁起が悪いものごとを克服出来るかなと思っています。
ここで文章を書くことで、4などを気にしなくなり生活しやすくなることが狙いです。


*・*・*


レクイエム・ラプソディー本編

訃報を聞いた。
肌寒さが残る5月の初め、文字で。
今日という日に色がつく前の未明だった。

1月1日

今日はお正月。私にとってかなりお楽しみな日。
私の家系は割と親戚付き合いが濃いので、お正月には必ず祖母の家に集まり談笑する。年に何度かしか会わないので、この日にたくさんお話しするのが楽しいのだ。あちらこちらでガヤガヤと、おせちのように色とりどりな話題がたくさん生まれる。
幼少期から毎年当たり前にお正月を迎えていることは奇跡なんだと気づき、ふと思い出を振り返りたくなった。

お正月、未成年編

幼少期は、大人の話など退屈で祖母の家の押し入れにある鍵盤ハーモニカを奏でるのが楽しみだった。奏でる、と言っても楽器演奏に長けているでもない私はただただプープーと息を吹き込んでいた。
小学生になってからは、ソプラノリコーダーが吹けるようになったので押し入れから引っ張り出して、これまた稚拙ながらも奏でた。
中学生の頃は大人の話に混じりながらも、やはり祖母の家の押し入れを漁るのが好きで、鍵盤ハーモニカ・ソプラノリコーダー・アルトリコーダーをとっかえひっかえ奏でた。

お正月に祖母の家で楽器をプープー吹いていると話しかけてくれるのは、決まって私の叔父だった。これは、幼児期も高校生の頃も変わらない。
「雪はクラシック好きとね?」だの「俺は題名のない音楽会よく見よるけど雪は見よるね?」だの。
あいにくだが、私はクラシックを好まない。マーチも吹奏楽も大嫌いだ。
叔父の問いに「聞かない」「見ない」と毎年のように愛想のない返事をし、押し黙ってプープー吹き始める。
すると、叔父が私の鍵盤ハーモニカの低いドのキーを押す。
私はドを押さえられたままプープーする。
プープープープー、ププププププププ…
(↑四分音符、八分音符、三連符、十六分音符を一小節ずつタンギング)
「…これだけで音楽になったたい、すごいなぁ」と叔父は小声で言った。
私は楽器を人に聴かせる行為で初めて心が動いた。これは小学校のことだった。
音楽は元々好きだった。しかし、プレイヤーとしては初めて楽しさを知った。
成人した今はクラシックも好きだが、今となってはもっと早いうちに興味を持っておけば、と思う。

お正月、成年編

いとこが県外に就職したり、別のいとこがパートナーを迎えたり、その夫婦に子ができたりして、幼少期の親戚お正月メンツからは多少変化があった。
しかし、親や叔父叔母、祖母の古参メンツが持つ明るい雰囲気は変わらずやっぱり今でもお正月が楽しみである。

みんな揃ってからお屠蘇を振る舞い、場も温まって来る。昨今の情勢も相まって押し入れの楽器は懐かしく眺めるだけにしつつ、あの頃とは違って大人との会話に花を咲かせる。

話題は1ヶ月後に結婚式を控えた私と主人のことになった。実は、親戚の中ではスピード婚に入るくらい交際報告から入籍までが早かった。
親戚の中でずっと可愛がられた私は大層祝福された。
おめでとう、幸せになってね、素敵な旦那さんねを繰り返し聞いていて、私もそれに快活に答えていた。
ただ、「旦那さんのどこが好きだったの?」と聞かれたときは口をつぐんでしまった。私たちは趣味も好みもことごとく合わない。交際期間が短く、早めの結婚だったくせに結婚した理由が思い浮かばずとても困ったのを覚えている。

5月某日

黒い報せ

訃報を聞いた。
肌寒さが残る5月の初め、文字で。
今日という日に色がつく前の未明だった。
叔父が亡くなったというのだ。病死だ。

突然の報せに体に力が入らなくなるのを感じながら、私はすぐにでも母に逢いたかった。一番心が温まる母に逢い、安心したかったのだ。
しかし、私に訃報を伝えたのは母。叔父は母の実の兄であり、叔父の体調を毎日のように案じていたので今回の訃報には大変なショックを受けているだろう。
母には力を貰うことなんてとても出来ない。
私が支えなければ、と思うが気の利いた言葉ひとつも出てきやしない。

結局、どう行動するのがベストか分からないまま、少し時間を置いて叔父の家に行くことにした。彼は自宅に安置されているためだ。
車で1時間ほど走り、叔父の家に着いた。
インターホンを鳴らし、家の人が扉を開けるとそこには白黒動画のようなモノクロームな雰囲気が広がっていた。
線香の匂い、今にも泣きだしそうな悲痛な湿度を含む空気。
ただならぬことが起こったのだな、と痛感した。

昏い夜

その日はとても眠れなかった。
叔父が夢に出てきてくれるのを期待して、言いたいことを考えていたのに無念だ。
やはり未だ信じられない。実感がないまま空が白んできた頃、すぅっと意識が遠のいていった。

…目が覚めたらいつもの時間。
ほぼ眠れていないのに、いつも起きる時間に意識を取り戻した。
寝た記憶は全くない。夢も見ていない。
このまま布団に居ても眠れそうにないので、身支度を済ませ、買い物に出かける。
こういう場合の買い物は、普段楽しんでする買い物とは意味が違う。
弔事に必要なものと、日持ちする食糧。…しばらく家事をしなくていいようにだ。母の日コーナーを見かけたのでさっと見て、くすんだピンクの造花が付いた洗顔料を即決で買い物かごに放り込んだ。

夕方に斎場に出掛ける。通夜があるのだ。
到着したころには母がいた。喪服を着た母親はとても美しかった。憔悴しているはずだが、笑顔で周りの人に応えていた。空いた時間にはお棺に納められた叔父を見て涙を流していた。人の悲しみに、あんなに悲しむことのできる母の姿を心から綺麗だと思った。

会場には知らない親戚がたくさんだ。その中にいつも会う親戚が集まっているのを見て安心したのも束の間、私に気づき声をかけてくれるも、みんなどこか壁が出来た気がする。お互い気を遣っているのだろう。

通夜の儀でお経を聴きながら、納棺師になりたいと思った。
叔父を棺に納める前に、納棺師が丁寧に、かつ手際よく白い服に着替えさせ美しく化粧をするのを私はじっと見ていた。
しょっちゅう会うわけでもない叔父の死ですらこんなにつらいのなら、自分の親のときなんて考えても考えきれない。身近な人の死のたびにこんな思いをするのは耐えきれない。だから慣れておきたい。納棺師になって、人が亡くなることには無感情でいたいとさえ考えていた。
考え出したら止まらなく、その日もあまり眠れなかった。

白い旅立ち

翌日、その日は朝早く家を出た。
そして今、お経を聴いている。いわゆるお葬式。
ついに叔父は今日火葬されるので、白い服を着て知ってる顔をしているこの姿じゃなくなるんだ、と頭では思うがあまり信じられない。
考えすぎて長かったように思う3日間、とうとうこの瞬間を迎えるのだな、と時間の不可逆さを心底感じた。

紫色の楷書のような声の「礼拝」を合図に手を合わせ、どうか安らかにと祈る。姿勢を直すときに顔を上げ、黒いフレームの中のかつて大きく感じていた叔父を見る。
その顔は、私が幼少期より良く知っていた懐かしい叔父の顔。写真の彼を見た途端、20年前のお正月の色が浮かぶ。…あの頃はいとこのお兄さんがいたな、巻き寿司の中身だけ食べて笑われたな、鍵盤ハーモニカのキーが固まってたな、それを触って柔くして吹き鳴らしたな…
その瞬間、私は自然と伝えたい言葉が浮かんだ。

おじちゃん、毎年鍵盤ハーモニカを吹く私に音楽の話をしてくれてありがとう。
毎年お年玉をくれてありがとう。
結婚式にも来てくれてありがとう。
結婚式では素敵な音楽がいっぱい流れたね。
音楽って素敵だね、心が踊るし自然と体も動いちゃう。
実はね、今の私はJ-Popじゃない音楽もとても大好き。
私の拙いただの音は、あなたのひと言で音楽になりました。
……レクイエムもラプソディーもあなたと奏でたかったのに!
とても鮮やかに色づいたあなたとの思い出を私は決して忘れない。

今日

未だに寝る前や起き抜けに叔父のことを思い出す。
親戚の集まりには当たり前に居て、冗談を飛ばしたり他人を思いやれるような優しい叔父がまだ何処かに居るような気がしてならない。

叔父のことを考えると、心が支配されて眠れなくなる。
この先何年かはきっと引きずるだろう。
悲しみに飽きることはたぶん来ない。

こんなに悲しいのなら何も感じなくなるようになりたいと思っていたが、少し考え方が変わり、「気にしないようになりたいが、忘れたくはない。」と思えるようになった。これは叔父への感謝の言葉を心の中で伝えることができたからだと自分では思っている。

あとがき

自分自身、パートナーを好きでもなかったのになんで結婚したか分からずにいましたが、早く結婚して式を見せることができたことが理由だったのかもしれないと今になって思います。
現パートナーじゃないとこんなに早く結婚してないですし、コロナの影響で結婚式自体中止や延期の可能性があったのですが、奇跡的に結婚式がある週だけまん延防止解除されたので予定通りに無事執り行えました。もし式が延期だったら叔父の出席が体調的に間に合わなかったかもしれないということは後から祖母に聞きました。叔父に式を出席してもらえたこと、プランナーさん、親、親戚、神様に感謝しています。

こうして文にして吐き出すことで、少しでも自分の中で消化もとい昇華出来たのだろうか…。

※ 文中では叔父と表記していますが、伯父か叔父かは伏せておきます。

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