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実家好きですか?良い娘を演じる私

両親のことは嫌いじゃない。好きだったはずなのだが今はそうじゃない。
実家は狭かったけど不自由な生活だったわけでもない。

家族で旅行に行った記憶は無い。
近所の遊園地や近所の山に家族4人で川遊びとハイキングに行くのが唯一の家族行事だった気がする。

母は弟が小学校に上がったタイミングでパートに出た。その後、私が高校生になるタイミングでフルタイムのパートになったと思う。

母はいつもしんどい人だった。手を抜くことができない、人を頼ることができないのだ。しんどいときは寝りゃいいのに人に寝姿を見せるのがイヤな人だった。

弟が大学のとき、バイトで帰りが深夜になるときも寝ずに待っているような重たいタイプの女だった。

私はフルタイムで働く母の手伝いをできる範囲でしていた。洗濯たたんだり、食器を洗ったり、それだけで母は喜んだ。私はいわゆる長女気質の良い娘だった。

母はおばあちゃんが嫌いだった。
おばあちゃんは近くに1人で住んでた。
おばあちゃん(姑)と父への小言は私が聞き役だった。私にとっては優しいおばあちゃんであり、優しい父だった。母は結婚前からタバコを吸うおばあちゃんが嫌いだった。おばあちゃんが自分に放った言葉の数々がいかにイヤだったか、そんな話を繰り返し聞かされて私の心は知らず知らずのうちに小さなトゲがたくさん刺さり、それは私の中に埋まって取れていない。

ネガティブな言葉は子どもの成長に影響する。

3年前、母はパーキンソン病を発症した。
階段から落ちて介護が必要になった。
今は特養に入所している。ここに至るまで私は父と母の闇をあからさまに見ることになる。母の介護で何度も父と母の言い争う姿を見るにつけ、私の心は完全にシャットダウンしてしまった。

私は義務感から毎週休みの日におかずを作って実家に通った。ケアマネさん、デイサービス、訪問看護ステーション、ヘルパーさん、すべての連絡を私が取り仕切る。父はわたしがしっかりしているせいで私を頼り切っていた。

私のトゲは更に心の奥深くに埋もれた。
趣味の山登りや写真が出来なくなった。
常に実家のことを気に病む生活は2年続いた。

父も頑張ったと思う。母の排泄の世話が限界に来ていたので施設に入所させた。
要介護4。自力では歩けない。すぐに施設に入れる状態。

申込みから2ヶ月足らずで母は特別養護老人ホームに入れた。しかも実家から徒歩10分だ。びっくりするくらい地域密着で探せたのだ。

施設に入所させたことで父は元にもどり今ではせっせと面会に通っている。

夫婦のことは夫婦しかわからない。

私は振り回されるだけ振り回されて
今はもう両親に対してはうわべの優しさしか無い。うわべだけ優しい、良く出来た娘なのだ。

最近ようやく山登りに行きたい気持ちが戻ってきた。正常な精神状態でないと私は趣味ができない。
ツライことにフタをして趣味に逃げるタイプではないらしい。
正常な精神状態があってこその、さらにポジティブでいるための趣味なのだ。

明日はまた母の定期通院が待っている。
介護タクシーを施設に呼んで、病院に連れて行く。私は良い娘として、それを自分の義務としてこなすのだ。これは両親が死ぬまで演じるであろう私の役なのだ。

心から両親を好きと言いたかった娘の戯言です。

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