GWに想う

GWという名の休日。
子どもを連れだって九州イチの街に出かけた。
私が行きたかったというのは、ただの名目で、子ども達に大きな街を見せたかったというのが本望。
もちろん、この街に降り立ったのは初めてではない。
幼き日の彼らを連れてきたのは一度や二度ではない。

でも今の年齢の今の子ども達に、それぞれ自分の位置から自分の目で見てほしかった。私が学生時代に足繁く通った街でもある。 

自分の住んでいる場所とは、規模も人口も桁違い。特に連休と言うこともあり、人手はものすごかった。

たくさんの様々な人で溢れかえっていた。
色んな場所に色んな公共機関を乗り継いで訪れる。

楽しげな人たち。友だち同士。大切な人同士。1人の人、複数の人。
同じくらいの年代の人。親世代の人。祖父母世代の人。もっと小さな子ども。
開催されるだろうお祭りの格好をした人たち。
あまりの人の多さと慣れなさに苛立つ運転手。
明らかに喧嘩をしている男女。
なぜか階段下で寝ている人。

色んな店舗も沢山あった。
長い行列を抱えたお店もあった。
買いたい物、行きたい場所は、お金と時間さえあれば、割りと簡単に手に入る。

そんな街を見て、子ども達は何を感じただろうか。
たくさんの溢れかえる人、物、サービスのなかで、自分にとって大事なもの、これから大切にしたいことは何なのか、感じることはできただろうか。
 

私は昔から都会の喧騒が好きだ。
誰も何も知らない土地で、その喧騒に身を任せる。
消え入りそうな自分の存在が、その中で浮き彫りになってくる。
普段の環境下では見過ごしがちな自分という存在が急に浮き彫りになる感覚。
それを子ども達に味わってもらいたかった。

高校を卒業したら、家を出ること、は我が家の鉄則だ。もうすぐそこを迎える子どもがいる。そしてそれから順番にすぐ後が続く。

出発は悲しい事ではない。
自分のいない世界の喧騒の中で、自分を見つめ、自分を探し出して欲しい。
そして、そこが新しく自分が生きる場所になる。
その場所は移り変わることもあるかもしれない。迷って分からなくなることもあるかもしれない。
でもそんな時は敢えて、自分のいない世界の喧騒の中に行くと良い。
そこから見えるものもある。

そんな事を伝えたかった小旅行だった。

それぞれ色んな場所を見ながら、吸収したたくさんの刺激を今後に生かしてくれたらな、と思う。

長女の進学はもう、次の春だ。

自分の好きな事の為に自分の精一杯で臨み、勝ち取れ。と母である私は思う。

きっと何年も前、私もそう想われていた。
帰ってくる場所は用意してある。
でもそれは戻る場所ではない。

自分の道は自分で拓け。

不思議な事に我が子には伝わっているはずだと言う確信さえある。

私の休日は終わり。

また今日から働く。

親の背中を見て育て。とも思う。
残り少ない我が家での時間。
親である私は何を伝えられるだろうか。
でも伝え続けた18年は今の子どもを形づくっているようにも思える。
もう自我は形成されているはずだ。
親がしてあげられることは、そう多くはないのかもしれない。ね。 

まぁ、何があっても私はあなた達の味方だ。








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