かつて日本は政教一致で壊滅した | 宗教と政治#3

政治と宗教が一体化した統治のあり方を政教一致とよぶ。
太平洋戦争で日本は大国の米国に戦争を挑むため、ヒト・モノ・カネを総動員させた。
このとき、この総動員体制を円滑に進めるために必要だったのが政教一致体制だ。

大日本帝国政府と一体化した宗教。それは国家神道だった。
天照大神を皇祖としており、時の天皇陛下を「現人神」とする。

このため、大日本帝国憲法において、天皇陛下は「国ノ元首ニシテ統治権ヲ 総攬 ( そうらん )」する存在で、現憲法で分権化されている軍事警察・行政・司法の長に君臨していた。

さらに政府はその正当性を示すため国家神道を「非宗教・超宗教」と位置付けた。

これにより、大日本帝国そのものが「現人神」天皇陛下をトップとする国であるという認識が国民のなかで固定化されていくことになる。

情報を得る手段、情報を発信できる者が限定されていた時代。
この体制に疑問を抱く余地などどこにあっただろうか。

では、扱いきれないほどの情報が流通し、誰でも情報が発信できる現代においてこの政教一致の危険性を考える必要性はどこにあるのだろう。

それは、政教一致の本質的な危険性は形を変えて残っているところにある。その一例がまさに統一教会と政治とのかかわりだ。

もちろん大日本帝国と違い、統一教会は国家権力と一体化しているわけでも、実権を握っているわけでもない。

そのほとんどは政治家の選挙運動に信者を協力させ、その見返りに統一教会の広告塔として利用するというかかわり方だ。

政治家にとって選挙運動への協力は大きなメリットとなる。
なぜなら、無償で従事してもらう必要のある、選挙運動員を確保しやすいからだ。

他の宗教でもそうであろうが、信者は教祖からの言いつけはよほどのことがない限り忠実に守る。
そして、統一教会側は信者に対し、その政治家とかかわりを持っていることをアピールすることで、信仰への正当性を担保していく。

これは、新興宗教に限らずマルチ商法などでも用いられることが多い。

最終的には「教祖が○○党に投票するようおっしゃられている」といえば、信者は何の疑いもなく投票する。
個人票よりも組織票が勝負を左右する現代の選挙制度において、
これほど優れた集票システムもないだろう。

国内最大の新興宗教団体である創価学会を支持母体とする公明党がこの集票システムを活用して、安定した支持基盤を手に入れている。

このような”計算できる”存在は政権与党である自民党にとっても非常にありがたい。
実際に、この統一教会の選挙協力のほか、20年以上自民党は公明党と選挙での協力体制を取ってきた。

たとえば、公明党が候補者を立てる1人区では、自民党は候補者を立てず、その選挙区内の自民党支持者は公明党の候補に投票し、政党は自民党に投票するといったものだ。その逆もしかり。

なぜこの関係が公然と続いてきたかといえば、この協力体制のあり方に違法性がないからだ。
また、統一教会の信者が政治家の選挙活動に従事していたとして、従事すること自体に違法性はない。
選挙活動に従事していた者が統一教会の信者であっただけ。

現憲法下では無条件で信教の自由が保障されているため、特定の宗教の信者の選挙活動を制限することはできない。

それでは、これらの宗教と政治とのかかわりが危険視されているのはなぜか。

それは信者の投票行動が、限られた者(教祖や権力者)にコントロールされてしまうこと。
これにより、政党や候補者の政策や言動に目が向けられにくくなり、この国の政治レベルが著しく棄損されてしまう。
この影響力によっては、時の政府の暴走を止められない事態も想定できる。

だからこそ、このような法の抜け穴を利用した宗教と政治との癒着を私たち国民の手で引きはがしていく必要がある。
私たちがこの問題の本質に気づき、厳しい目を向けることでしか、この危険性を排除することはできないだろう。

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