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[小説]「蒼文字」箔塔落

 トイレでおまえは背を丸めている。生理痛のひどさにかこつけて、エリから――これはおまえの数少ない親しい友人の名前である――ばっくれたいと内心の内心では思っている。けれどもおまえは、いつしかほっとため息をつく。そうして、トイレットペーパーを引き寄せる音を過剰なまでに立てると、それをむしりとって便器に丸めて捨て、水を流す。トイレは老朽化していて、便器内に水流の渦を巻かせるためのレバーから、わずかに水が漏れてくるので、おまえはとっとと鍵をあけて個室を後にする。エリは洗面台の前でビューラーを手に、まつ毛をこれでもか、これでもか、これでもか、というほどに盛っている。にもかかわらず、なんという律儀なことだろう! おまえが個室から出てくると、おまえのほうを向き、
 ――あ、さちぃ、だいじょび?
 そう尋ねて笑う。罪悪感。おまえの心の形状は、エリの笑顔を見る前から、そういう名前のするものになっている。ただし、エリの笑顔を見た瞬間にはむしろその感情の波は下がり傾向がはじまっていて、たとえば、エリの口元で、塗りたくったクリームが縒れて皺になりそうなことを懸念らしく思うくらいには落ち着いている。だから、おまえは笑って
 ――ほんとにさー。
 と答える。おまえたちにとって、「会話」はコミュニケーションにおけるおまけのようなものにすぎない。「会話」に先行する「表情」こそが、意味であり、実存である。
 ――ってか、いつものやつ?
 おまえは一瞬にも満たないあいだ考える。生理痛のことを言っているのか、マクドナルドのことを言っているのか――おまえとエリは、ふたりの部活の休みが重なる水曜日に、駅前のマクドナルドで塾がはじまるまで時間をつぶしている。そうしてここは、マクドナルドの入っているショッピングモールの3階である――わからなかったからであり、とはいうものの、わざわざ聞き返すほどでもない問いかけに、「うなずく」という所作は正しいだろうか、と、迷ったからだ。おまえはうなずく。言葉に依存していない、と言いながら、言葉を使いたくない場合、というのが確かにある。洗面台に載せたポーチを鞄にしまい込みながら、エリの長くカールした金髪は、なにか小型の犬のようないきものように見える。手を洗うために、おまえがエリのとなりの洗面台に立つと、エリはMrs. GREEN APPLEの新譜を口ずさみながら、特にあいさつもなくトイレの外に出て行ってしまう。おまえはささっと手を洗い、マスクを顎までおろして無色のリップで唇を潤すと外に出る。むろんエリはトイレの外でおまえを待っているのだが、そうではない場合もあるのだろうか、と、ふとおまえはそんな考えに駆られる。トイレから出たらエリがとうとつにいなくなっている、そんな人生のパターン。けれども、考えを深める前におまえはトイレの外に出て、エリと再会する。
 おまえはエリの後ろで手すりをつかんで階段を降りながら、はやくも、もう1度トイレの個室に戻って素数でも数えていたい、そうして、2桁の終盤あたりで誤って素数じゃない数を勘定に入れてしまい、また2からおなじことをくり返す、そういうことをしていたい、しつづけていたい、そんなことを考えている。ばっくれたい。そうだ、そうしてそれはなぜ? マクドナルドはパレスチナ人を虐殺しているシオニストの軍隊に食糧を供給している、と、Xで先日見たからだ。だから、ボイコットしよう。マクドナルドじゃなくて、駅の反対側になっちゃうけどミスドにしよう。そうエリに言えたらどれだけよかっただろう。贅言とも思えるほどに言葉を尽くして説明できたのなら。そうおまえは思う。けれども、おまえの舌は、嗜好品としての言葉を載せるにはあまりに鈍重にできていて、おまえの表情にはそんな語彙はない。ゆえにおまえは、結局今日もマクドナルドに来てしまった。おまえが支払ったてりやきマックバーガーセットの代金は、おまえの頭上を通過して米国経由でイスラエルに向かい、パレスチナ人を愕然とするくらい陽気に殺すシオニストのために使われる。
 おまえとエリは、窓際の席を選んで腰を下ろす。窓越しとはいえ、日増しに重さを増してくる陽射しに、おまえはますます憂鬱になる。そうしておまえは、エリがハンバーガーの包み紙を開けている隙を見計らい、そっと店内を見回す。学生。リーマン。家族連れ。老人。ここにいる多種多様なはずの誰もが虐殺に加担している。ただ加担しているのみではない。深く深く加担している。そういう点においては等し並みである、というそんな事実は、おまえを素直に打ちのめす。自分も加担している? 当然だ。そうしてエリも。――もちろんそうだ。自分が加担している、というのはともかく、エリも虐殺に加担している、というのには、なんだかショックを受けざるを得なかった。おまえはふたたび考える。マクドナルドをボイコットしよう、とエリに言ったらどうなっていただろうか? あるいは、どうなるだろうか? エリは自分に対しては心を砕いてくれる、そういう人物である。けれども、遠い世界――実際には地続きの世界なのだが――の悲惨についてまで、自分の楽しみを犠牲にして共感することができるだろうか? あるいは、その真逆で、「遠い世界」の悲しみ苦しみにこそ、深く深く涙を流すだろうか? おまえは今まで誰ともこういう話をしたことがない。だから、おまえの友人がこういうことをどう受け止めるのか、ということについてもむろんおまえは知らない。なぜか。おそらくおまえは知りたくないのだ。おまえがよく知っていると思い込んでいる人物が、自身が虐殺に加担していることを悲しむか、それともおまえと連帯してくれるか、ということについて、おまえは知りたくないのだ。たとえ連帯してくれるとしても、「連帯される」、というその想像に、おまえは軽い恐怖をおぼえる。なぜだろう、おまえの中には「友達とこういう種類のことで連帯してはいけない」という気持ちがあった。「連帯」という概念は、おまえたちの普段の関係に見合わない厳粛なものであり、そのようなものを持ち込むことにためらいがあった。だが、ためらい――それではいったい何に忌避感を抱いているのかまでは、おまえはわからなかった。ただ、確実にここにある事実として、おまえはどうしても、てりやきマックバーガーに口をつける気になれない。
 ――さちぃ?
 エリが大丈夫? というニュアンスを込めた声音で尋ねる。うん、わかっている。おまえは頭のなかでうなずく。わかっていた。なにもかもわかっているし、なにもかもわかっていた。漠然と、ではなく、明確におまえはそう思う。おまえは鞄の中からポーチを取り出すと、エリに申し訳なさそうな顔をしてトイレに向かう。エリの心配そうな顔は続く。おまえの頭のなかで、エリの心配そうな顔はどこまでもどこまでも続いていくので、おまえはとうとうエリから「ばっくれる」ような形になってトイレへと駆け込む。
 トイレの個室に入ったおまえは、便座に腰を下ろすと、嘘やお愛想で塗り固めた表情を顔の内側から音を立てて叩き割る。ゴムで留めた髪が頰にかかるのを、たかってくる蠅にしっしっをするように払いながら、ポーチの中をぼんやりとまさぐる。ナプキンは替えたばかりだったし、別に特段のあてがあったわけではない。けれども、おまえはすぐに、1度しかつけたことがない口紅を見つける。そうしてそのとき、おまえの頭のなかに、ふいに『魔女の宅急便』の主題歌が流れる。
 おまえの口紅は、南の島の海のような、という素朴な比喩が似合う蒼い色をしていて、試しに、というかほとんど冗談で買ったものの、バンギャメイクをするわけでもないおまえには、案の定ちっとも似合わなかった。おまえはキャップを取り口紅を繰り出す。バスルームに残された伝言は、きっと朱かったことだろう。まるで、拵えられたばかりの焼き印のように。そうおまえは思うが、「思う」をするのは、おまえが自身の行動を食い止めるためにではない。その伝でいくなら、むしろ自身の行動を加速させるために、だ。
 口紅をもった右手を、おまえはおもむろにトイレのドアに伸ばす。
 『Ceasefire Now』。
 筆記体でひとつ、そう書いてみたら少し満たされた。少し満たされたら、かえって文字は堰を切って溢れた。
 『Stand Up For Ukraine』『Trans Rights Are Human Rights』『Pray For 能登』『FxxK Off 自民党』…………、
 マクドナルドのトイレに落書きをすること、これは正義だろうか? むろん正義ではない。ただし、この不正義が、どこかのだれかの内心にある、そこにあることに気づきもしていない正義の鐘を鳴らすなら、わたしはいまは不正義の側に立ちたい。マクドナルドの、戦争犯罪人に供されるのとおなじ食事を食べながら。ユニクロの、新疆ウイグル地区における強制労働の成果物である綿花からつくられたシャツを着ながら。書きながら、おまえの眼ににじんでくる涙は、おまえが有つアレルギーによるものだ。けれども、だれかがそこにそれ以上の意味を付与しようとしても、わたしにはそれを妨げる手立ては、残念ながらない。
 トイレを出て、席に戻ったおまえは、エリを心配させないために、大きく口をあけててりやきマックバーガーにかぶりつくだろう。そうして、家に帰ったおまえは、高校生なりの未熟な文章で、日本マクドナルドに抗議文を送るだろう。そこに、多少の齟齬はあっても矛盾はない。おまえの世界平和を祈る気持ちは、これっぽっちも矛盾しない。

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