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いつものコースで桜を巡る。郡上八幡〜関ヶ原〜琵琶湖の周り。京都の手前で寸止めの旅。

去年からたびたび訪れているあのあたり。なぜか気になる岐阜県と滋賀県の県境あたり。そして、あの大きな琵琶湖。このトシになるまで関東で育ち、これまで縁もゆかりもなかった、世界で三番目に古い湖、琵琶湖。
あのコースには、まだ桜のシーズンに行ったことがない。ゆえに突然思い立ち、宿に連絡してみるといずれも空室。しかもいつものお値段です。だったらもう行くしかないでしょう。ということで、満開の知らせと共に桜前線に飛び込んでみたのでした。

また来てしまいました、GJ8Man(郡上八幡)。

今回はクルマではなく新幹線です。岐阜羽島から小さいレンタカーを借りて米原で返す計画。

レンタカー屋さんでナビをセットして走り始める。旅に出て、最初にココロときめく瞬間です。

自分で運転して来ると、ここまで半日かかるのに、新幹線だと2時間弱。ラクだなぁ。しかもここから最初の目的地、郡上八幡までは1時間あまり。着いたら何食べようかな。

沿道の桜はこんな感じさ。東海北陸道沿いにも意外に桜が多く、たまに桜のトンネルが現れる。

そうなんです。桜の木は近くて見ても美しいけれど、山の中腹で、そこだけ白くなっているようすがまた良いのです。こうなったら沿道もゆっくり走りたいということで、高速道路をひとつ手前の出口で降りて、長良川沿いを走る。

その日、ちょうど満開を迎えたようでした。
クルマを運転しているので写真は撮れないけれど、長良川の緑とソメイヨシノの白いコントラスト。この時期ならではですね。ただし、脇見運転はいけません。

ここで撮り鉄したかったんだけど、なかなか列車は現れなかった。
そしてどうです? この咲きっぷり。郡上八幡が歓迎してくれている、ような気がする。
そして郡上八幡のシブい駅に到着。桜って、春以外には何の木なのかわからないから、こうして意外なところに咲いていて驚くことがある。

ということで、この長良川沿いの道だけでも充分でした。もうこれで帰ってもいいと思うくらいなのだけど、もう少し欲張って旅を続けます。

やはり城下町の桜は良いものです。

郡上八幡では何を食べた、とか、どんなお酒がよかったか、などの話もしたいのだけど、今回は桜の話に徹したいので省略します。が、地元の酒屋さんに勧められて行った飛騨牛の店が美味しかったことと、その酒屋さんで試飲させてもらった純米酒が美味しかったので、知りたい人はコメントください。

郡上に来れば必ず顔を出す酒屋さんにて。

酒屋さんでのんびり過ごしていたら日が暮れて、夜桜になってしまったけれどレポートを続けます。

派手なライトアップこそないけれど、こうして川沿いを歩いていると、必ず現れるソメイヨシノ。
この町は、踊りが行われてる夏の2ヶ月間がいちばん賑わう。 とは言っても宿が少ないので、旅行業者による買い占めを防ぐために、個人による電話予約しか受け付けない。団体さんは近隣の観光地から、バスでやって来てバスで帰る。だから夜はいつも静か。観光地なのに、観光で必要以上に稼ごうとはしない。賛成です。

翌朝。喫茶店でモーニングサービスを食べる前に散歩してみる。

白やピンク、黄緑や深緑。この季節ならではの色合いですね。
この、幹から直接花が生える桜は珍しいのかも。
職人町の突き当たり、長敬寺ではしだれておりました。

そうなんです。城下町に寺社が多い理由には、敵が攻めてきたときの防御の役割があったらしい。それが平和な世の中になった今、春は桜、夏は踊り、秋は紅葉の名所になるわけですね。

モーニングサービスをいただいた後は川沿いへ。
吉田川の流れは、今もうつくし。
地元のお年寄りたちと共に、ベンチでお花見。のどかなり。

今回、郡上八幡には一泊。これより名神高速で関ヶ原まで行き、そこから旧中山道沿いに近江へと向かいます。

関ヶ原から寝物語の里。

今年の冬、大雪で通行不能になった関ヶ原インター付近。最近は気候が極端なので、クルマで出かけるにも注意が必要だな、などと思いながら、名神高速の関ヶ原インターで降りる。
目的地は長浜なのだけど、いつも関ヶ原で降りる理由は、ここから長浜までの道がけっこう好きなこと。しかもたいした距離ではないし、人知れずシブい観光スポットがあるからなのです。

ほら見てみぃ。関ヶ原の桜は、これほど見事なのだよ。

いつか関ヶ原の合戦記念館にも行きたいものだけど、行けば長く滞在してしまいそうなので、また次回に。

おのれ小早川め。早くも散り始めていた桜に、石田三成の無念を思うのであった。

そして、小さな踏切が現れる。すると間もなく、今では誰も顧みない、しかし日本の歴史の上では大きな役割を果たした、とある国境が現れる。

以前もnoteで紹介した国境。今は県境。見えている小さな溝は、平安時代にはすでにあったらしい。ここから西が近江国、つまり滋賀県。それ以上に、この溝から西が関西なのです。桜は見えないな。
この溝は、『街道をゆく』の取材でやって来た、司馬遼太郎もまたいだらしい。テレビでは門脇麦さんがまたいでました。誰だってそうするよね。僕は5往復くらいまたぎました。

この一帯には、「寝物語の里」という素敵な地名がつけられている。

この石碑は、国境から道を隔てた反対側に置かれています。
ここから続く旧中山道が美しい。こうして見ると普通の道のようだけど、ここを静御前も、織田信長も豊臣秀吉も、関ヶ原で勝ったばかりの徳川家康も、そして皇女和宮も通ったわけです。

今では小さな溝に過ぎないけれど、それでもその両側ではケーブルテレビの会社もガス会社も違うとのこと。

旧中山道、柏原宿。

寝物語の里から3kmほど。そこには旧中山道の柏原宿があります。
旧中山道というと、馬籠宿や奈良井宿など、外国人観光客に大人気の観光地で知られていますが、柏原宿は静か。どことなく旧街道の風情を残しながらも、まだあまり知られていない宿場町なので、行くなら今かな。

柏原宿と言えば、かつて日本一の売り上げを誇ったという「艾(もぐさ)屋」の『亀屋伊吹堂』。この建物は、歌川広重が描いた当時のまま。今も変わらず昔ながらのスタイルで営業中なのだけど、この日は日曜日で定休なのだった。前回に来たときも日曜日だった。いつか平日に来なくてはならない。
前回、時間切れで入れなかった『柏原宿歴史館』に浸る。
日本で最初のCMソングは『亀屋伊吹堂』の歌だった。6代目のご主人が江戸の吉原に通い、吉原で流行らせて全国区にしたという、アイデアの人だったようだ。(柏原宿歴史館の展示より)

今ではひっそりと静まりかえる柏原宿ではあるけれど、かつては皇女和宮による4000人もの大行列が泊まれるほど、街道で1〜2を争う大きな宿場街だった。

なお、南北朝時代の派手好きなバサラ大名として知られる佐々木道誉は、ここの出身だったんですね。
鎌倉幕府に抵抗する後醍醐帝を討つ、という名目で鎌倉を発ち、そのまま鎌倉幕府を裏切って京の六波羅に攻め込むつもりだった足利高氏は、不破関で関所を構えていた鎌倉方の佐々木道誉に出くわす。しかし、高氏が幕府を裏切ることに薄々気づいていたバサラ大名は、高氏と共に京に攻め上り、六波羅は陥落。佐々木道誉は室町幕府の重臣となる。史実かどうかはともかく、鎌倉幕府滅亡にあたっての伝説のひとつです。

旧中山道、醒ヶ井宿。

柏原宿の次は、清流と梅花藻(バイカモ)で知られる醒ヶ井宿。ここから5kmほどしか離れていないというので、行ってみるかな、と。
そして、この醒ヶ井宿は、隠れた桜の名所でもあることを思い知るのでした。

駅にクルマを停めて、歩いて5分ほど。まぁ、入り口に桜の木があるのは普通かもしれない。
湧き水から流れ出す清流、地蔵川。この川沿いには、ずっとこんな感じのソメイヨシノが。
何とまぁ、見事な桜並木。しかも道沿いは、ほとんど地元の人しか歩いていない。

この1kmほどの桜並木には驚きましたよ。
冷たい清流にしか住まない、ハリヨという魚が泳ぐ川沿いの桜。こんな場所が京都にあったら、今ごろは大混雑だろうに。
この宿場町は、バイカモが咲く7月頃には大いに賑わうという。しかし、今はこの桜。…いや、あまり知られたら困るかな。どうか皆さん、ご内密に。

木漏れ日ならぬ、”桜漏れ日”が楽しめます。
清流にすだれに桜。なんと贅沢なことか。
それにしても、この水の流れがキレイなこと。地名の通り、触ると目が醒めるほど冷たい水。緑の水草が梅花藻(バイカモ)で、7月になると、白い水中花が満開になるのです。

この桜並木では1時間くらい過ごしたかもしれない。
それでは暗くなる前に、今日の宿泊先、いつもの長浜へ。

長浜は雨。翌日も雨の予報だったので、散歩はやめて石山寺へ。

とにもかくにも、到着後は琵琶湖の魚を食べに行かなくては。

季節によって変わる湖魚のメニュー。この日も何もかも美味しかったけれど、最大のヒットは「子持ちホンモロコ」の塩焼きでした。こればかりは、近江に来ないと食べられません。
もちろん、ビワマスのお造りだって忘れちゃいないさ。
そして翌朝、散歩に出たらポツリと降り始めました。

長浜の湖沿いを歩きながら、人知れず咲く桜を探そう、などと思っていたけれど、これから雨が激しくなるとの予報。急遽計画を切り替え、電車に乗って、花の名所として知られる大津市の石山寺まで行ってみようかと。

石山寺の最寄り駅、「石山」までは急行で50分ほど。心地よい乗り鉄旅です。

そうなんですよ。石山寺と言えば、今をときめく紫式部が源氏物語を執筆したと伝わるお寺。混んでるかな、と恐る恐る向かうのでした。

JR石山駅で降り、京阪電車に乗り換えて石山寺駅で下車。お寺に向かう途中の道では、そろそろ散り始めていた。
そして辿り着いた石山寺の東大門。源頼朝による寄進と伝わる。うつくし。
その日はお釈迦さまの誕生日でもあり、今をときめく石山寺でお祝いできました。何より。
境内ではさっそく、いろいろな花のお出迎え。すみません、わたしは花の名前がよくわからないのです。
先生、今日の夕方までに原稿を印刷会社に入れないと、本が出なくなるんです…
雨に濡れる桜もまた、あはれなり。
山の所どころに、白く咲きたるもおかし。
まひろ先生、ココロ洗われました。

ということで、石山寺でゴール。
ここまで来たら京都も近い、とは思ったけれど、京都在住の友人からの電話によると、「産寧坂に連なる、ビニール傘の大行列を見に来たいならどうぞ」とのことなので遠慮しました。京都には5月にも来る予定があるし。

そう言えば滋賀県に入ってから、キャリーバッグを転がす外国人観光客を見なかった。外国人もいるにはいるけれど、きちんと雨具を用意して自転車に乗っているような、明らかな目的を持って旅をしている人たちばかりだった。

その日は電車で長浜に戻り、着いた頃には大雨が降り始めていました。ということで、今回の旅はこれにて終了。京都の手前で寸止め。それでも充分に桜を楽しむことはできました。ワガクニ、有名な観光地ばかりではなく、自分で探せばまだまだ見るべきところは多いと思った、そんな春の旅なのでした。おしまい。

最後にひとつ、長浜市の大通寺本堂の障子に描かれた切り絵がカッコよきなのですよ。全部で18面描かれています。米原市在住の切り絵作家、早川鉄兵さんの作。外からだと切り絵を裏側から見る格好になります。行ける方はぜひ本堂の中から。展示は5月14日まで。










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