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《どこまでも地べたを行く》ために

NHKの朝ドラ『らんまん』のことを書く。今週の「愛玉子(オーギョーチ)」が面白かったからだ。

時は日清戦争(1894-95)が終わるころ。台湾統治が始まり、国力と学問が結びつき、学問は名誉と結びつく。留学から帰ってきた学者たちは、留学先での差別的な扱いをトラウマとして抱え込んでいる。そんなとき、日本政府は英国との不平等条約の部分的な解消に成功(日英通商航海条約 1984.7.14)、これを機に日清戦争へと舵が切られる。そして戦争の勝利。日本人であることが劣等意識となっていた者には朗報だ。これでようやく「我々」も顔を上げることができる。「我々」はもう馬鹿にされることはない、と。しかし、まさにそのとき「我々日本人」というグロテスクな主語が立ち上がる。

この「我々=日本人」という主語は曲者だ。それは東洋の小国の「我」であったものが、列強に並ぶ大国の「我」として「我々日本人」となったもの。この「我々」を主語にする言語は、ほかの言語よりも上位に立つべきだと考えられる。だから台湾統治でも、のちには朝鮮半島でも、現地の人々の言語は下に置かれる。日本の「我々」のコトバが公的なものであり、現地のコトバは排除されてゆく。もちろん、こうしたコトバの剥奪は日本だけのものではない。あの「帝国主義」に共通の出来事だ。

「帝国主義」とは何なのか。それは古代のローマやペルシャなどの帝国とは関係がない。この言葉は19世紀のフランスでナポレオン3世によって確立された政治体制(第二帝政)を示すものとして生まれる。ついでイギリスでは専制政治を意味するものとして使われるが、最終的には、19世紀に各地で誕生する民族国家(Nation State)が、自国の利益の追求のために、他国や他民族を侵略して植民地化してゆく運動・思想・政策を示すものとなる。帝国主義とは、民族国家がほかの民族国家を搾取しながら併合し、差別の構造を残しながら同化を目指す過程にほかならない。支配とは、相手の言語を剥奪して、自分の言語を与えることなのだ。

だから帝国主義では言語が問題となる。支配者の言語はひとつの民族言語でありながら、その経済的政治的な優越と結ぶつき、他の民族言語よりも文明的で文化的で、それゆえに言語として上位に立つものと考えられる。しかし考えてみればそんな馬鹿なことはない。あらゆる言語は、独自の音韻体系と文法構造を持ち、その言語による祈りや誓い、愛の告白、そして政治を行っている。『らんまん』の植物学者が「雑草という植物がない」として名のない植物にその個性を見出してきたように、言語学者ならば言語に優劣をつけるどころか、名のない言語にこそ心躍らせるべきなのだ。

しかし、帝国の言語学はもっぱら自らの民族言語を称揚する。そしてその言語を植民地にもたらそうとするする。英語にしてもフランス語にしてもフランス語にしても、もちろん日本語にしても、植民地の言語を排除し、禁止し、自分の言語を押し付ける。まるでそれが相手の言語よりも優秀であるかのように。しかし、あらゆる言語は他の言語話者にはおよそ理解できないような非合理で不自然なものを抱え込んでいる。植民地における言語教育で、教師が痛感させらるのはこの不自然であり非合理なのだ。

たとえば日本語を考えてみよう。「1本」は「いっぽん」だが、「2本」は「にっぽん」ではなく「にほん」、さらには「3本」は「さんぽん」でも「さんほん」でもなく「さんぼん」。あるいは「おはよう」を丁寧にすれば「おはよう・ございます」だが「こんばんは」は「こんばんは・ございます」とすることができない。外から見たら不自然であり非合理だが、内から見れば当然で道理に思える。その当然や道理を、外にむけてどう説明し納得してもらうのか。

こういう事態を前にするとき、おそらく帝国主義者たちは、たとえばこんな風に言うのだろう。その不条理こそは我が国の伝統であり、連綿とした歴史のなかで形作られた個性であるがゆえに、劣等民族にはとうてい理解できぬ難しいもの、その難解な日本語を自由に話すのが我々日本人なのだ、と。連中の手にかかれば、不自然や非合理は、帝国の個性であり、その優越の証となる。

冗談のような証だが、この冗談が非ネイティブを差別し抑圧してゆく。『らんまん』で言うなら、台湾の人に現地の言葉で話しかけてはならない。連中は文明からほど遠い現地人だというシーン。しかし、その現地の人々の知恵で主人公の万太郎は命を救われる。言語は現地のなかで育まれ、独自の知恵を携えている。だから言語に優劣はない。あらゆる言語には固有の知恵があり個性がありそれゆえに個性がある。その個性を見下し、みずからの個性だけを称揚する帝国主義の茶番は、しかしながら、帝国主義者たちがいたって真面目であるがゆえに、とてつもなくグロテスクなものとなってゆく。

「我々日本人」という主語がグロテスクになるのはそんなときだ。グロテスクとはそもそも洞窟(グロッタ)からきた言葉。ふつうには存在しないものが、地下の洞穴の中に現れたとき、人はおどろいてグロテスクだと叫ぶ。「我々」という主語は、かつては「お前ら日本人は」と被差的に扱われた。そのコンプレックスが、外交関係の改善、戦争の勝利、経済の改善のなかクルリと裏返る。現れたのはグロテスクな「我々日本人」という集団意識だったというわけだ。

しかし、このグロテスクな集団意識が生まれたのはあくまでも、文化と文化、言語と言語が交錯する接触領域(コンタクトゾーン)だったことに注意しておこう。そして、あらゆる文化が、この接触領域から生まれてきたことを確認しておこう。それは言語を考えると明らかだ。どんな言語も単独で成り立つことはない。少人数による集団生活において言語は最低限のものであったはずだ。その言語が複雑に発展してゆく過程には、いつの場合でも接触領域があらわれる。ヨーロッパの諸語はラテン語との接触領域でネオラテン(俗語)として展開してゆく。そのラテン語はギリシャ語との接触抜きには語れず、ギリシャ語はペルシャとの接触を抜きしては語れない。もちろん日本語にしても同じだ。

この「接触領域」(Contact zone)という言葉は、米国の社会言語学研究者メアリー・ルイーズ・プラット(Mary Louise Pratt, 1948- )によるものだ。これは、異なる言語の使用者が接触するとき生まれる空間のことを言う。たとえば商業や交易、植民地化や軍事的占領、そして戦争などがその例なのだが、この「接触領域」においては、しばしば言語や思考が交わり合う。音楽ではジャズやファンク、リズム&ブルースなどもそうだし、ぼくが少し知っているイタリアの例でいえば、ヴェルガのヴェリズム文学は、シチリア的なものとイタリア語の接触を記録したものだといえるし、パゾリーニの初期のフリウリ文学やローマのボルガータを描いた文学などは、この「接触領域」からうまれた「異種混交」(contaminazione)にほかならない。

たしかに、植民地支配のような場合は、この混交のプロセスは平等かつランダムに起こるのではなく、強いものから弱いものへと不均質に起こることになる。じっさいラテンアメリカでは、一見すると現地の言葉が駆逐され帝国主義植民者=支配者の言語(スペイン語、ポルトガル語)がヘゲモニーを握っているように見える。しかしながら、現地のスペイン語やポルトガル語のなかに、非植民者=非支配者の言語や文化がその痕跡をとどめながら、結果的には宗主国のスペイン語やポルトガル語とはニュアンスの違うものになってきたというのだ。

だからこそ『らんまん』の「愛玉子(オーギョーチ)」の話が面白い。たとえ日本語が公用語となっても、このイチジクに似た台湾の植物に、現地のコトバを記しておきたいという主人公の植物学者万太郎。これに対して、軍部の調査で行ったのだから、日本語の名前をつけろという批判する帝国大学教授の怒声。ここにあるのは、「我々日本」というグロテスクな主語で語る声と、「ぼくにできることをする」「ぼくが知りたいから」「ぼくが好きだから」「ぼくが助けてもらったから」という万太郎の「ぼく」。

ここにはふたつの植物学がある。ひとつには「我々日本」を主語に世界に冠たることを目指す植物学。これは「人間の欲望が大きすぎて、ささいなもんらを踏み躙る」ような《グロテスク》な学問だ。もうひとつは、あくまでも「ぼく」が「問うを知る」ことを目指した植物学であり、これは地に這うように「ささいなもんら」のことを問い続ける《謙虚な》学問であり、万太郎をして「地べたを行かせる」決意をさせたものだ。

思い出すべきは「地べた」をラテン語で「humus」(大地)と言うことであり、この言葉に由来する「謙虚な」([h]umile)という形容詞と、「人間」(homo)という名詞。あくまでも謙虚に、ひとりの人間として、地べたを行くという決意は、まさに言葉の定義としての「ヒューマニズム」(humanism)にほかならない。このヒューマニズムこそが、あの「われわれ」というグロテスクな主語への対抗概念でなければならない。

そんなことを、ぼくは『らんまん』の「愛玉子(オーギョーチ)」のエピソードにあらためて教わった。感謝。