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山本基個展”時を纏う”と母のこと

展覧会コンセプト:時を纏うと題した本展では、海や潮の流れをイメージした模様を塩で描きます。古くから瀬戸内の要衝、港町として発展し、江戸時代後期は製塩業で栄えた竹原。その豊かさを支えた海をモチーフに、潮目や橋卸の角、行き交う船の船尾に出来る小さな渦など生まれては消える渦の営みを描くことで、竹原の歩んだ歴史や時間に思いを馳せる空間にしたいと考えました。

個展で配布されたステートメント

塩アートで知られる山本基さんの公開制作を見にいく。
山本さんは海や潮流れをイメージした模様を塩で描く
儚くも時が経てば消える塩の美しい模様
彼はその表現を通じて記憶を奪い去ろうとする忘却に抗っているという。

妹や妻との思い出を忘れないために、忘却という自己防衛本能に抗うための仕掛けとして作品を作り続けてきているという山本さん。自己防衛本能?ということはそんなもの忘れた方が前を向いて生きやすくなるんじゃないかというものか。記憶とか思い出って。忘れることは良いことなのか。あえて、それに抗うこと。自己を防衛せずに守らずに生きること。それは強さとも弱さとも言えぬ性質の混ざり合った人間の不適合。

ここから私の話。身近な亡くなった人の話をします。2020年6月に母が急逝した。癌の闘病はしていて、抗がん剤が効かなくなってきて、酸素マスク付きで入院したのが2020年4月。そこから2ヶ月のことだった。その時コロナ禍でインドは国際的にも大変な状況。もう直接会えないかもしれないとわかりながらも私は家族を守るためにインドに残る決断をした。亡くなったことは親戚の叔母さんからの連絡で知った。葬式会場から小さい頃よく遊んでくれた従兄弟がSkypeで動画を撮ってくれた。インドのスマホテザリングの電波は貧弱で解像度の低いモザイクみたいなはっきりしない母の棺桶の中の顔が3-5秒程度映されたが、それで電波が悪くてSkypeは途切れたので、お別れも言えないような葬式だった。でもそれで良かったのかもしれない。顔がはっきり映っていたら、耐えられなかったのかもしれないし。コロナ禍でインドから帰れない状況ではあったが、そこから1年半帰国せずに在印して普段に通りに働いたり家族と生活したりで時を過ごした。忘れまいというような努力はしなかった。むしろこんな時こそいつも通りに生活することが重要と考えていたし、それは忘却しようとしてたのかもしれないし、あるいは自然の流れに任せたのかもしれない。急逝してしばらくはその人が生きている気がしてならなかったしもうこの世からいなくなっていることは信じられなかった。山本基さんは忘却に抗い渦を描くが、私は忘却しようとして、ドーサを鉄板上で描いた。ドーサは渦だ、クレープ上に鉄板の上に伸ばす。朝発行したドーサをいかに綺麗に伸ばせるかで一日の良し悪しが決まった。

ドーサは、南インドのクレープ様の料理である。
米とウラッド・ダール(皮を取って二つに割ったケツルアズキのダール)を吸水させてからペースト状にすりつぶし、泡が立つまで発酵させた生地を熱した鉄板の上でクレープのように薄く伸ばして焼く。

Wikipedia
鉄板の上でドーサを渦巻き上に伸ばす

2021年11月に帰国して実家により骨となった人と対面した。悲しむより先に要介護3の父のこと、障害を持つ兄の住む家を整えることなどの連絡調整や、新しい仕事のこと、自らの家族ですら問題も抱えてたのでくよくよしている暇などなかった。まあ子どもの頃から弱くいられる時なんてずっとなかったし慣れたものだった。弱くいられないことは悲しいことのように映るかもしれないし時には冷たい人間のように思われるかもしれない。そんな人があなたの周りにもいるかもしれない。まあまだ私などはマシな方で幼少期に安心した何かに包まれることのできなかった人たちが大人になって不器用になってしまうのは当然なことなので、そうゆう人たちにも優しい目を向けてほしいと切に願う。

聞くところによると私の母は高校生の頃に書道部の部長であったり優等生で真面目な人だったらしい。お爺さんが炭坑で働いており、裕福な生まれではなかったが、その学区ではトップの進学校の中で、語学が得意で、東京外国語大学の推薦をもらっていたが、親の財力が足らず、進学を諦めたとのことだった。タイプライターの仕事をしながら編み物のデザインでは専門雑誌の巻頭写真を飾るほどには活躍もしていた。フランスにも滞在していて、イブサンローランにスカウトされたと自慢していた。と、それは若い頃の話。母としての彼女について覚えていること。教育方針は自由だった。何かを注意された記憶はほとんどなくて、私がやりたいと言うことは全てなんとか工面してやらせてくれた。酒は体質上の飲めなかったが煙草をいつも吸っていて、カラオケが好きでコストコが好きでお話が好きな普通のおばちゃんだった。あんたはお爺さんに似て頭が良いとか言っていつも褒めてくれていたし、きっと自慢の息子と思ってくれているんだろうなという感じは伝わってきて、そのせいで心配かけちゃいけんなーという気持ちであんまり悪いことはできなかった。(いくつかの小事件は起こしてますが。)

山本基さん描く塩の渦 忘却に抗う
塩の結晶の力

山本さんの塩アートの影響で、今更ですが少し忘却に争ってみました。

12月の風は冷たく吹き日常は変わらず大して忙しなくもないのに気は焦る。
冬支度もできていないが今は尾道で家探しをしながらこれからどうやって生きていきたいのかなって自分と対話する日々を送っている。


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