見出し画像

経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その6 - Keyboard challenge -

その5はこちら
記事のタイトル、マガジンタイトルの文字数制限に合わせて短くしました。中年オッサンであることはあまり重要じゃないしね。知らんけど。

今回は理科大吹奏楽部(sutwind)時代の前半のお話です。

1.初めての鍵盤楽器

吹奏楽部は毎週火・木・土の週3回練習があったのですが、自宅や神楽坂から移動時間がかかるのと、交通費がかさむので、私は土曜日は必須出席、平日は「行けたら行く」というスタンスにさせてもらっていました。

最初の本番は8月の千葉県吹奏楽コンクール・・・ではなく、ティンパニを貸してもらう関係にあった「越谷市民交響楽団」で行われた定期演奏会へのエキストラ出演。sutwindは打楽器が不足していたので、コンクールや定期演奏会をやるために、複数の団体から鍵盤楽器やティンパニを貸してもらい、その見返りに団体側に人を貸すという運営がなされていました。

この時は2人行けばよいと言うことで、3年生以下(注:理科大は4年生になると研究室に入るので、ほぼ部活に参加しません)で唯一の経験者だった私と、高校時代京華女子高でバッテリー経験がある(シンバルやってたらしい)クラリネットの2年の先輩がエキストラに指名されました。この方はsutwind内で私の高校時代の姿を知っている唯一の方でもあり、私の宇宙人(前回記事参照)としてのバックボーンを理解されていました。最初に一緒に行ってくれた方がこの方で良かったです。話しやすかったし。

そこでは私はペアシンバルなどを担当しました。大学進学後の初めての本番は吹奏楽ではなく「つまらん」と切り捨てていた管弦楽のほうでしたが、指揮の方が結構厳しい方で意外とついていくのが大変でした。また、楽団の打楽器リーダーの女性の方がキレイな方で通うのが楽しかったですw。

その次は千葉県吹奏楽コンクール。私の担当楽器は・・・

課題曲:シロフォン・グロッケン・ヴィブラフォン
自由曲:スネアドラム

なんと初めての鍵盤楽器担当に。スネアはあまり難しくないことからKさんが担当し、比較的難しい鍵盤系は「叩ける人が居ないから」という理由で私が担当することになりました。自由曲のスネアはバズ(クローズド)ロール以外の打数が100回もないクソ譜面だったのですが、バズロールをまともに叩ける人が私しかいなかったので私担当に。

ちなみに課題曲はこれでした。

「えーっと、鍵盤系の経験ないんだけど、1分55秒あたりとか目立ちまくるし、最後グロッケンだけ残るんだけど、どうしよ・・・叩くだけならひたすら練習して鍵盤の位置と叩くタイミングを体で覚えれば何とかなるけど、腕の振り方や体の使い方が、分からん・・・」

「・・・そいえば、高校時代ちょっとマリンバで遊んでたら『なんであべちゃんがマリンバで遊んでるの??』と同期に怒られたなあ・・・」

・・・・・・・・・・・・

「いいお手本があるじゃないか!」

高校時代のビデオに残っている、その同期の鍵盤楽器の演奏スタイルを何度も何度も見てイメージアップするという手段に出ました。

この人は今は打楽器から離れてますが、私の高校~大学までの観測範囲では間違いなくトップの鍵盤系プレイヤーでした。その同期が映っているビデオを何度も見て、体の使い方を学びました。普通の吹奏楽の奏者とは少し違う、体全体を楽器にかぶせて阿修羅のように演奏したかと思えば、直立スタイルに切り替えてポーカーフェイスで奏でたりとか、色々。一言で言えば「表情が豊か」なのですが、レベルが根本的に違いました。

この後、私は他の打楽器に対しても体を動かしながら演奏するスタイルに切り替えていくのですが、その礎はこの時の研究です。体のかがめ方が極端な点については本家とは違いますが。

その結果、8月の千葉県吹奏楽コンクールを見に来てくれた母親から、「あんたの鍵盤、(高校同期の)〇〇ちゃんみたいだったね」と言われました。一応、研究の成果が出たようです。演奏スキル自体は本家と比べるのが失礼なレベルだったけど。

なお結果は安定の銅賞でした(--)

2.女子大生の研究対象にされる

その次は、鍵盤楽器を貸してもらっていた某女子大の吹奏楽部の秋の定期演奏会にエキストラ出演することになりました。某女子大は打楽器は一通りそろっていたものの、部員は1年生のMさん1人しか居なかったので、打楽器は3年以下のメンバー4人と、高校時代打楽器奏者だったトランペットのY先輩で行くことになりました。他のパートも合わせると30人くらいがエキストラに行ったので、ほとんど合同演奏会みたいなものです。

そこで、sutwind初日のVer.Up版のようなイベントが起きます。

「Hands Across The Sea」(海を越えての握手)というマーチ曲でスネアを担当することになり、この曲は高校時代に何度かやっていたので、最初の合奏から譜面を見ずにサラサラと叩いていたら、音量のメリハリが強すぎて指揮の先生に「スネアドラムは~、上手いんだけど~・・・もうちょっと大人しくして欲しい」とチクリと刺されて苦笑い。

・・・と同時に、斜め後ろのティンパニ方面から強い視線が・・・

Mさんがキラキラした目でじーっと見ていたのです。
いやもうホントにこんな感じ。

「傍で見学させてもらっていい?」

完全にターゲットとしてロックオンされました。

その後は練習に行く度、Mさんは合奏で出番がない時はずーっと私の一挙手一投足を見学し、個人練習時は私の左隣に座って手の動きを見学。彼女は私と同じレギュラーグリップ使いだったので、特に左手を見られてました。

そんなMさんに対して、警戒心が強い私はどう対応すればよいかわからず、正直恐怖すら感じました。なので邪険にしてしまったのですが、今思えば少しもったいないことをしたかも知れません。憧れの目を向けられていただけだったし、「逆玉」だったし・・・おおっと話がそれましたw

当時の本番映像が残っているので、画質かなり悪いけど上げてみます。

結構体をかがめてるけど、これ実はまだ緩いほうです。極端な時はさらに30cmくらいかがめたりもします。強いバズロールを叩く時とかね。

この演奏会では初めてティンパニもやりました。シンフォニックパーカッションの一番の花形楽器です。ティンパニについては、ロールの習得に苦しみます。最初は「粒がはっきり聞こえてしまう」状態で、Y先輩にも厳しく指摘されていました。

原因は、マレットを手首だけで早く振りすぎだったのです。マーチングスネアのシングルストロークの癖です。鍵盤系ならそれでも良いのですが、ティンパニだと悪い方向にはっきりと出ます。

この癖は某女子大演奏会時点ではまだあまり良くなりませんでした。人並みに出来るようになったのは2年後の3年生になってからです。

そして、「くるみ割り人形」の「金平糖の精の踊り」ではチェレスタ代替のグロッケンで4本マレット(両手に2本ずつ持つ)で演奏しました。今回のnoteのために当時の演奏会のビデオを久々に見たのですが、自分で見て自分でびっくりしたww誰だこれww

目線が鍵盤に向きっぱなしで指揮者見てないし、動くのはいいけど元にした高校同期の姿とは全く違う「ユラユラしてるお化け」みたいになってるし、2回音外してたけどね・・・

とはいえ、7か月前まで鍵盤経験が無かった人がこんなことになるなんて私自身も想像してなかったです。私に鍵盤適性はなかったですが(まず、譜面と鍵盤位置が繋げられない)、無いなりに必死でこなそうとしてましたね。

3.定期演奏会の悲劇

そして、本籍であるsutwindの1年次の定期演奏会について。

まず、一緒に入った同期のY君の話。Y君の教育係は当然私が担当していて、彼は初心者ながらもいきなりその年のコンクールでペアシンバルを担当することになったので楽器の持ち方から教えていたのですが、すぐに慣れるわけもなく、合奏で「演奏終了1秒後に謎の一発」を何度もやらかすなどしており、指揮の小林幸人先生に「シンバル君」と呼ばれていました。

そのY君が、演奏会の第1部のメインである「ダッタン人の踊り」で、ティンパニをやる事に。今まで四分音符系も四苦八苦していた人があろうことか花形楽器に。そこまで難易度が高くないとは言え。

Y君は最初は当然ながら合奏を崩壊させてしまう事態を連発していましたが、私と4年生の先輩、そしてなぜか2年生のSax担当の先輩までが彼を鍛え上げたことで、演奏会本番では崩壊することもなくやり切りました。やろうと思えばやれるものなのですね。

そして私のほう。同曲ではもちろん担当はスネアでした。が、今までの打楽器人生で、唯一譜面通りに出来なかったのがこの曲です!

この曲は第5楽章の後半で、スネアは「ドラッグ(2連装飾音符)付きの裏打ちを繰り返す」というかなりトリッキーな譜面となっていて、何度も挑戦したのですが、どうしても裏打ちがずれてしまう。ルーディメンツのパターンにも出てこないリズム。最後にはあきらめてドラッグからフラム(単発装飾打ち)に切り替えざるを得ませんでした。具体的な場面はここです。

このように、ベルリンフィルのスネア担当ですらもこの場面をただのフラム裏打ちで誤魔化してます。でも「プロも含めてみんな出来ない」のは分かるのですが、だからこそ譜面通りにこなしたかった。私は「宇宙人」だったはずだから。

中高時代、どんな難易度の高い譜面やトリックも最終的にはやりきれた私が、少し舐めて挑戦していた吹奏楽の世界で挫折を経験したのです。今でもこれは悔しいです。いつかリベンジしたいです。

そして、もう1つ悲劇が。

この1年次の定期演奏会では、第2部のポップスステージでSさんとY君と私が「Sさん・私・Y君」の並びでステージの前に出て小物楽器を叩くという演出もしたのですが、演奏会のアンケートで「真ん中に立っていた女の子が可愛かったです」と私の性別を間違えて認識した感想を書いた人が居て、その後ずっとネタにされ続ける(今でも!)というイベントが・・・。

3人の中で私が一番背が低かったのと、撫で肩だったのと、2部は私が当時好んでいた中性的な服装で出たせいだと思いますが、それを考えても誰だよこれ書いたのヽ(`Д´)ノウワアアアン


これで、いろいろあった大学1年次の活動は終わりました。層が薄い中、私と言う「手が動く以外は能がない気難しい宇宙人」をどう生かして1年乗り切るか、周りの方々が常に気を配ってくださっていたと思います。特にいろいろ世話してくださったK先輩とS先輩には感謝しています。

私にまさかの鍵盤楽器を任せるという荒業は、中高時代の傷を気にしないようにするには十分でした。それまでの経験があまり通用しない「新たな壁」を作ってくれたのですから。そのつもりでタスク付与をされたのかは知る由もありませんが。

大学2年以降の話も書くとさらに長くなるので、今回はここで切ります。次はまた来週~。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?