経験13年・ブランク20年。打楽器を始めてやめて再開するまでのお話・その8 - ReStart -
その7はこちら。2018秋以降の動向が見えてきたら締めくくろうと思っていたらこんなにずれこんでしまいました。言い訳ですハイ。
さて、学生も打楽器も卒業して社会人になる・・・かと思ったら就職超氷河期に巻き込まれ、大学院卒業後の4月1日時点で無職と言う状況に陥り、なんとか4月のうちに働き口を見つけて社会人になったのは良いものの、1年で過労で体を壊し、その半年後にIT業界に転身するというなかなか厳しい時期を過ごしてました。
1.ほとんど何もしなかった20年
そんな状況だったこともあり、20代の頃は、打楽器をまたやろうという思いになることが全然ありませんでした。
しかし、心のどこかで「俺はSnare-Drum Playerなんだ」という思いだけは常に持ち続けます。気づいたら2003年の時点で私のPCメアドとケータイアドレスのIDに「snare」の文字が入るようになってました。その後SNSが普及すると大半のアカウントにこの5文字を入れるようにもなります。例外は「はてな」。アカウント作ったのが2002年で、そこまで考えてなかった・・・。
当時は個人で音楽系サイトの類もやっていて普通に邦楽(特にR&B系)に傾倒してましたが、誰かのライブに行くと、必ずDrumsと打楽器を見てました。見るポイントは、テンポキープの良し悪しと、左手がちゃんと動くかどうかの二点。「意外とプロの奏者でも左手弱い人多いんだなあ」と生意気にも思ってましたw。
年に1回程度ですが、思い出したかのようにmy snare drumを引っ張り出して、軽く叩いたりリムを磨いたりとかもしてました。
その後、2010年夏に1回だけ人前で演奏する機会を得ます。
大学卒業後も何度か一緒に遊んでいたsutwindの同期の友人が結婚することになり、その報告を受けた時に「余興やろうよ」と。最初は管楽器だけの余興かなと思っていたら、「あべちゃんもDrumsで入って」と。
ちょうどこの時、情報処理試験の某高度区分で合格し、会社から報奨金20万円を頂けることになっていたので、その金を全額つぎ込んで電子ドラムを買うことに!2つ目のmy楽器の購入です。
いくら臨時収入があったとはいえ、次いつやるかもわからない単独イベントのために20万つぎ込む。実弟が自身のnoteで言っていた「たまに訳の分からない行動力が出る」傾向は、私にもあったようですw
余興にチャレンジしたのは、スカパラのルパン三世78'。
余興ではこんなハイテンポではなく、BPM132くらいでやることになりました。演奏前に久々の集合と言うことで記念撮影しています。
結構ふっくらしてるね、私・・・;_;
で、肝心の演奏ですが、上の写真に写っていない新郎の友人ご本人が担当するはずだったウインドシンセが、当日チューニングを間違えたか何かでまともに音が出ずに演奏崩壊。崩壊した時のためのプランとして用意していたドリフの盆回りで締めるというオチが付きました。
2.復帰の道探り
その後、2014年くらいになり、婚期を逃して(苦笑)休日ヒマに過ごす機会が増えるようになると、「そろそろ現役復帰してみるかなあ」と思い始め、不定期に現役復帰の道を探り始めます。マーチングは年齢的にも肉体的にも無理があるので、一般の吹奏楽団を探しました。
が、打楽器の枠はそんなにありません。
一般吹奏楽団のホームページをあさっても、打楽器は「現在募集していません」とか「若干名」という、必要性が薄いところばかり。たまに普通に募集中というところを見つけても、ジャンルが限定されているバンドとか、最近立ち上げたばかりで楽器がロクになさそうなところとかばっかりでした。
オーディションがあるようなハイレベルなところはその限りではありませんでしたが、所詮10年以上離れていて、スネアドラム以外は人並み未満のスキルしか持ってない私がその中に割って入れるとは思えませんでした。
sutwindを含めた小林幸人氏の指導団体のOBOGで構成されるスーパーバンドに入らせてもらうという選択肢もありましたが、同バンドの演奏会を見に行った時に、打楽器の人員構成が完成していたのを見ます。そこに入っても、小物楽器をチマチマ弄るだけで終わってしまうのが目に見えており、正直食指は動きませんでした。
高校時代、私は「要(かなめ)で居たいタイプだ」と評されたことがありますが、まさにその性格が復帰の足を引っ張っていました。
それでも、現役復帰に向けた思いだけは持ち続けてました。
『その左手は何のためにある?
PCとケータイのためにあるわけじゃないでしょう?』
時折こんなフレーズが頭の中をよぎってたりしました。
3.現役復帰へ
そして、数か月に1回思い出したかのように一般吹奏楽団のホームページをあさり、「いまいちだなあ」と思いつついったん見送る・・・ということを繰り返していた、2018年4月下旬のある日。
横浜市内のとある吹奏楽団のホームページで、打楽器「急募」という文字を発見。このパターンは初めて見た!楽器も揃っていそうだ!オーディションもない!
すぐにその楽団に「まだ募集してますか?」とメールを送り、翌日返事がきました。「いつ練習見学に来れますか?」と。
そして、4月29日に初めての練習見学に。
・・・と思ったら、見学とは名ばかりで、いきなり夏のコンクール向けの合奏を手伝ってくれと。譜面をいただき、久々に持ったペアシンバルを演奏しようとしたら・・・
「あれ?この記号なんだっけ??」
譜面の読み方を忘れてました!繰り返し記号も思い出すのに時間がかかったテイタラク。譜面台の組み方も忘れてたし、譜面台にシャーペンを置いて指揮者からの指示を譜面に手書きするという慣行の存在も忘れてました。20年離れていた事をこの時に痛感。
その翌週、今度はその楽団が年に数回行っている訪問演奏向けの合奏練習で人が足らず、代打でDrumsをやってくれということに。見学と言う名のスパルタリハビリですw
・・・で、8年ぶりにDrumsを叩いてみたら・・・
「スカッ!」
なんとスティックがDrumsではなく空気を叩いてしまう場面を連発。使ったスティックが軽すぎたのも一因で、重いスティックに持ち替えたら空振るようなことはなくなりましたが、頭のイメージと腕が離れていることを痛感。
頭のイメージどおりにならないのは、自宅での練習でも当然起きてました。
テンポキープが出来ない、右手と左手のスティックが時々当たる、バズロールは汚い・・・
「これでは不味い!」
初めて、自宅で必死に基礎練習をやり直しました。その2で披露したトリックが崩れなかったのは、1か月間毎日自宅でルーディメンツなどの基礎練習を積みなおしたことによるものです。それでもあの動画、2回撮りなおしてたりするけど・・・
その後は神奈川県吹奏楽コンクール向けの練習に切り替わり、数回の練習を経て、5月末日に正式入団することになりました。何処かに属する形では、なんと20年ぶりの現役復帰です。
コンクールについては若干の編成変更があり、私は課題曲はお休みで、自由曲でバスドラム+αを担当することになりました。33年前(!)、バスドラムから始まった私の打楽器屋人生は、20年の時を経てふたたびバスドラムから再開することになりました。今度はコンサートバスドラムだけど、何かを始める時に縁がある楽器ですねこれ。
そして8月12日の神奈川県吹奏楽コンクールに出場。
私の出来は「+α」のほうで失敗するなど反省点が残ったのですが、まあこんなもんでしょという出来。所属団体の結果については、今の所属を公開する気がないので伏せておきます。迷惑かけたくないしね。
コンクールは課題曲制度がどうしても好きになれないのですが、会場に入って、他所の団体の演奏の音が聞こえてきた時に走る独特の緊張感は、M協の大会と同じですね。ああ、自分はこういう「フラットに評価してくれる人が居るステージ」に戻ってきたんだと!
4.道が開く
7月に入ってからはマーチング用のスティックも買いました。重いマーチング用のスティックで負荷をかけて腕の筋肉と昔の感覚を叩き起こすというリハビリのためです。大リーグボール養成ギブスみたいなものですw。
負荷トレーニングの一つ。
もう1つ。これはめちゃくちゃキツイ。
リハビリだけなのも飽きるのでたまに曲芸に走ったりします。こちらはAppendixでも載せたもの。
1992年の全国大会でやったパターンの再現。
吹奏楽転身直後によくやってたルーディメンツ。
まだ安定感に欠けるけど、だいぶ戻ってきたなあと思えるように。1992年のパターンは再挑戦を始めた時はスティックが何度も明後日の方向に飛んで行ってたけど、「そろそろ人に見せられそうかな?」と9月1日に撮ってみたら、一発でそこそこ上手く行ったwwびっくりしたww
そして、その努力は実ります。
Snare-Drumを叩かせてもらえるようになりました!
それだけでなく、Snareパートの最初の選択肢に入れてもらえるようにもなりました。もう5月の「空振り大王」だった私の姿はありません。私は適性がこの楽器に全振りしている人ですし、Snareやらせてもらえないとただの役立たずになるのでひとまずは安心かな。
今の楽団だけでずっとやっていく気はありません。シンフォニック系としては十分すぎる程手は動くので、それをより生かせるところに行きたいというのは正直あります。また、今の「本番は年5回程度」の状況に対して物足りなさもあります。社会人バンドだから仕方ないのだけどね。
ほとんど存在していなかった「シニア向けマーチング」の世界も、最古参の「日本ビューグルバンド」がシニア向けに復活したり、インスパのシニア部門が出来たりと、環境が整備されてきています。また、私のルーツの分岐先にあるこちらも・・・
アルムナイとは「同窓生(Alumni)」=シニアカテゴリのこと。スカウツ自体も日枝小OBバンドが原型だから二重のアルムナイですねこれ。活動実態があることも確認してます。
この方面に再チャレンジするにはまだ手の動きの回復が足りないし、右足の変形で歩くのが苦手というのもあるので今年度は今の楽団一本槍で行くけど、来年度、手が動くようになったら門を叩いてみるかもしれません。
1993年7月下旬に、ケルクラーデで経験した2万人のスタオベ。それと同等のエモい経験はもう得られないだろうけど、少しでも多く、自分達の演奏・演技で観客が楽しみ、喜んでくれるのを見たい。
その感覚を追いかける旅がまた始まりました。旅はいつまで続くのか、求めてるものが何処まで得られるかは、分からないけどね。
ただ一つ言えること。私は再び、動き始めましたよ。
Snare-Drum Playerとして!
おしまい。
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