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晩秋のGoTo沖縄3日目 真珠道跡/金城町石畳の道を下る 20.11.22 13:50


尚真王時代、首里城を起点に各地を結ぶ道が整備された。その一つが真珠道。まだみちと読むらしい、しんじゅじゃないみたいだ。
守礼の門の脇から始まり、金城坂、識名を通って真玉橋へと至る道。
真珠道の一部が金城町石畳道で、琉球王国の重要な道だったそうだ。実感はない。


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真珠道の首里城の近くは石畳が美しく、丁寧な仕事がなされている(近代土木の力だ)が、その一段したにある金城町石畳の石畳の歩きにくいこと。
相変わらずの滑る石畳な上に石がずれていてボコボコ、歩くのは決死の思い。


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首里城まで車で来ていたら、この坂を下った後、お城の駐車場まで戻らないといけくなるところだった。
今も、このきつい石畳を息せき切って登っている観光客らしき人達がいる。首里城まで戻るのだろう。ご苦労さまだ。


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せっかく造ったお城からの街道なのに狭いんだよなぁ。急だし、石段だし。本当にこんなところを行き来していたのだろうか?お城の中の道のほうがよほど歩きやすい。


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道路の脇にある民家は昔からなのか?王政時代はどうなっていたんだろう?民家の石垣が地面の石垣としっかりハマっているのでどういうことなのだろうと疑問が湧く。
歴史的な話まで作ってしまっているとは思わないけれども不自然だ。


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不思議なものを不思議に残している。
説明もなしに。
どうしても歴史好きから見ると眉唾に思えてしまう沖縄史(笑)


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アミューズメントとしては楽しいのだけれども。
ここでこの道を頼りに生活をしている人達もいる。
暮らしにくいだろうな。車も入れない。


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郵便配達はどうなっているのだろうか?尾道の不便が重なり合う。
どこかに秘密の近道があるのだろうか?


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坂を下り降りて、大きめの道に出た。
バス停があったので、時刻表を見たら、1日に何本もない。なんていうことだ。驚きの事実。
結局タクシーを拾って、ゆいレールの駅までと告げたら安里に連れて行かれた。


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あってるのか?そこが一番近いのか?それとも便利なのか?観光客にはよくわからない。700円だったから目くじら立てるほどの出来事じゃないけれど。知らない土地で乗るタクシーは肝試しみたいなものだ。





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