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腹囲が気になる福井の旅 一乗滝、佐々木小次郎修行の地 19.11.26 14:08

一乗谷の朝倉氏の遺構から山の中へ入ったところに一乗滝という滝が流れている。
見上げるほどの落差でもなく、水量も大量ではないが、山奥の滝ということで少し霊的な何かを感じないわけではない。
この場所で宮本武蔵と巌流島で戦い破れたことで有名な佐々木小次郎が燕返しを編み出した事になっている。

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その昔、フェクションをいいことに嘘八百を書く吉川英治という悪しき小説家が居て、彼の作品の中に宮本武蔵という史実をガン無視した物語があるのだが、その中では、佐々木小次郎は錦帯橋の袂で燕返しを完成させたことになっている。が、史実は錦帯橋が完成するのは巌流島の戦いの60年後。小説の舞台ということで銅像まで建ててしまった岩国の人たちは恥の上塗りだ。ある程度において空想を入れるのは小説だからし方がないが、場所や時期、年代まで創作されては何が正解だかわからなくなる。正直歴史好きにすると、吉川英治は迷惑な人物である。

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まったくもって迷惑な小説家のおかげで、錦帯橋を見物に行ったときも公園には佐々木小次郎の銅像があったのをこの目で見た。そして今、一乗滝のたもとに二体目の佐々木小次郎の銅像を見ることになった。

一乗滝の佐々木小次郎だが、燕返しを編み出した修行時代の像にしてはちょっと年を取りすぎている気がするが気のせいだろうか?雰囲気がどことなく吉田栄作に見えなくもない。しかも、吉田栄作がブイブイいわせたバブルの頃のではなく、最近の(笑)。

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で、一体佐々木小次郎って何歳なのだと思って調べたら、出生の場所や日付は不明なところが多いのだが、Wikipediaの記述に寄ると、巌流島の戦いの時、武蔵29歳。小次郎は40歳程度年上だということ。

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な、な、な、なんと。小さい次郎なんて名前だからてっきり決闘のときですら山盛りのラーメンを平らげそうな若造だと思ったら、年齢マシマシの年寄じゃないか。武蔵の29歳がホントなら、40歳上って70歳だぜ。
そんなジジイに時間に遅れて(どうやら決闘のときに遅れてきたというのも吉川英治の創作らしい)までして勝って嬉しいか?小次郎破れたりって、儒教の教えの時代、40歳も年上の人を呼び捨てってどれだけえげつないの武蔵って。70歳の年寄りを砂浜走らせるなよ。
誰か止めろよ、そんな果し合い。

決闘の場所は舟島といったが、決闘後、佐々木小次郎の流派の巌流島と名前が変わったらしいので、この年齢差を人々は哀れに思っていたということだろうか?少なくても恥知らずの武蔵よりは小次郎じいさん側に肩入れしていたはずだ。

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そもそもこの話自体が存在した話なのか?全部が嘘じゃなかろうか?
フェイスブックもインスタグラムもテレビもラジオも新聞も無い時代、誰がどうしてどうなったなんてどこに証拠があるのだろうか?かと言って、吉川英治の史実に一切乗っ取らない想像はひどすぎるが。
佐々木小次郎がここで修行をしたっていう話も実に眉唾だけれども。






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