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【神奈川県鎌倉市】鎌倉長谷の紫陽花散歩 日朗拘束、光則寺 23.06.24_13:00

 長谷寺から光則寺へは隣の谷戸。

 谷戸は隣なのだけれども、一度県道まで出て回り込まねばならない。

 鎌倉長谷の谷戸はかなり深い。
 
 この深い谷戸がそれぞれの寺領を隔て、独特な文化を育んでいるようだ。

 喧騒の長谷寺から一筋別れただけでこの静けさ。

 光則寺の元は執権北条時頼の家臣、宿屋光則の屋敷跡。

 日蓮が立正安国論を建白したのがこの屋敷でこの人物。

 鎌倉幕府は日蓮を佐渡に流す際に弟子の日朗も捕らえ寺社奉行であった宿屋の屋敷の土牢に監禁した。

 鎌倉時代の侍屋敷には普通に土牢があったのだろうか?それとも特別にこしらえたのだろうか?

 しかし宿屋光則は日蓮や日朗に傾倒し、日朗を開山に迎えて屋敷を寺にしてしまった。

 それが光則寺。日朗を拘束したからではなく、自分の名前をつけたわけだ。

 県道から奥まった光則寺まではゆるい登り坂。

 年寄りにはこれが結構堪える。

 道の脇には店屋もないので、休憩スペースすら見つけられない。

 やっとの思いでたどり着く光則寺は朱塗りの門が目印。

 春には梅や海棠が咲き誇る寺院だ。

 境内は鬱蒼と思うほど緑豊か。

 一時は保護した動物をたくさん飼っていたのだけれど今ではどうなのだろう?

 
 境内から怖いくらいの石段を登った裏山に日朗が幽閉された土牢がある。

 その参道沿いに紫陽花がたわわに。

 土牢は結構な大きさで、格子がはめられているとついさっきまで使われていたような雰囲気。

 今でこそ土の牢屋と思うけれど、鎌倉時代だとどうだったのだろう?

 電気のない時代、とりあえず、雨風はしのげる。庶民の家だってこんな程度だったのでは?

 雨水でぬかるむことのない高さも確保されている。光も入る。

 環境としてては悪くなかったのかもしれない。は他人事だから思うことか?

 大混雑の鎌倉においては、落ち着いて紫陽花を堪能できる穴場です。



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