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晩秋のGoTo沖縄6日目 世界遺産の座喜味城跡に登城でござる 20.11.25 10:50


読谷村にある世界遺産の座喜味城に登城でござる。
座喜味城は按司と呼ばれる地方領主の護佐丸という人物が築城したと言われている。


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護佐丸は15世紀、琉球王国第一次尚氏王統の按司で晩年造反を疑われたが忠節を全うして自害したと言われる琉球史では伝説の人物。
琉球史では珍しく人となりが見える。これだけのグスクがあり、戦国の三山時代があったというのに、伝わる歴史といえば侵略と服従の歴史ばかりだとちょっと悲しくなるからなあ。


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松林に囲まれた座喜味城は沖縄にしては独特な感じだと思ったら、戦中は軍の砲台が置かれていたのだとか。
戦後は米軍のレーダーが置かれて接収は沖縄返還後も続いた。
そのため、石垣は崩されたりしたそうだが、変換後に修復されたものだそう。ちゃんと元通りに直したのか、やっちゃんたのかは観桜客にはわからないが、どうもやっちゃっている気がしてならない。


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青空に映えるアールの美しい石垣は中国的な琉球のグスクの特徴。結局太くて大きな大木が無かったからの苦肉の策なのだろう。
お城だから出入り口が1箇所しかない。この出入り口の狭さと悪さで、ここに砲台を設置したりしたということはかなりの部分やり放題で崩したはず。
ミュージアムが定休日でやっていなかったので歴史やバックボーンを学べなかったのが残念だ。


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琉球のグスクってたくさん見れば見るほど特徴が似たりよったり。
地域が狭いから文化や歴史、風土で建築技法が変わるようなことはなかったんだろうな。
同じような土地柄に同じような材料で同じように建てて回った。パッケージ建築のような気がしてくる。
人手にも限界があったのだろう。首里を除けば城と言う割にどこも規模は小さめだ。生活感もあまり感じられない。
一応世界遺産のグスクは全部見て回るつもりなのだが、特徴出しに厳しさを感じた座喜味城でした。


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帰りに大河ドラマ琉球の風のロケ地跡を活用した琉球村に行ってみたらやっていなかった。
コロナ禍のご時世土日しか営業をしていないらしい。
沖縄の観光は相当厳しいのだろうか?
沖縄の人たちはみんな明るいからあまり苦労を感じないけれども、観光立国沖縄県、大変だろうなぁ。




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