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小田原の梅というか・・・ お城の景色 20.02.15 13:00

湯河原梅林から横浜までの帰り道、小田原に寄ってみた。

後北条氏が居を構え豊臣秀吉にこてんぱんにされた小田原の街。
江戸時代も譜代大久保家11万石の城下町でもあった。

関東にしては風光明媚で武家の街らしく小田原は梅の産地でもある。
梅林として日本三大仇討ちで有名な曽我兄弟の曽我の梅林がメインで、今日もそこへ行こうか迷ったんだけれども、曽我の梅林は広大で湯河原梅林の軽登山で足腰に負担が残るのでちょっと回避。小田原城はどうなの?と寄ってみた次第。

小田原城の近くの格安駐車場に車を停めてとおずれた小田原城。
何年か前にお城の城門が復元されて最近はすっかりお城の体を見せている。
美しい石垣は江戸時代のもの。後北条氏得意の土塁も所々に残り、時代の移り変わりを目にできるのが小田原城の魅力だろう。
日本中を敵に回しての籠城戦。過去に戦ったお城って平和を謳歌しただけのお城に比べて魅力的なんだよな。

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そんな小田原城に途上でござる。
県西の一大観光地の小田原。ガキの頃は小田原城には遊園地はあり動物園はありとワンダーランドだったのに。

今となっては遊園地は縮小されて、動物園もほとんどなくなってしまった。
象やトラ、ライオンがいたなんて信じられないな。檻はすべて取り壊されて更地にされている。時代なのかな?昔はなんであんなにはぶりがよかったんだろう?経済的には今のほうが全然いいと思うのだが。動物園って無料だったんだよなぁ。そこに無理があったのかな?税金は老人用の出費が増えて子供向けには掛けられなってことなのかな?
枡形の巨大な門は修復したっていうのに。

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そんなガキの頃の印象では、小田原城内にはもう少し梅の木があった気がしたのだが。
今ではほとんどなくなってしまっている。
今となっては小田原城は桜の名所なのだけれども、籠城時には実がなる梅だって小田原のシンボルとしてもっと植わっていた気がするのだが・・・・。

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こんなものだったかなぁ?
ガキの頃の記憶は美化されがちだ。梅薫る小田原城っていうイメージは記憶が盛りに盛った結果だったのか?それとも、梅の木は縮小されたのか?小田原としては梅は曽我というすみわけにしてしまったのか?ホントのところはわからないが動物園にいた象の名前が梅子だったことは忘れない。

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まぁこんなことでもないかぎり、最近すっかり小田原城にも近づかなくくなってしまったから、たまには昔の記憶に浸るっていうのも悪くない。

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歴史的建物の意義ってそういうこともあるだろう。
それぞれの世代にそれぞれの小田原城。

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戦国時代の口火を切って戦国時代を終わらせた。後北条氏が歴史に残した爪痕は確かなものだし。






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