晩秋のGoTo沖縄2日目 世界遺産の今帰仁城跡 20.11.21 14:00
沖縄本島の中程、東シナ海に突き出た本部半島の中央付近に今帰仁城(なきじんぐすく)跡はある。
沖縄は、正直歴史が微妙で(というか曖昧すぎて)先史時代と呼ぶ石器貝塚時代後突然グスク時代が始まる。12世紀頃のことだから、本土は鎌倉時代ということになる。鎌倉時代の直前まで石器時代だったとは驚きだ。グスク時代のはじめが三山時代といい、本島は北、中、南と三分割され、按司(あじ)と呼ばれる領主が分割統治していた。琉球王国が成立する以前の時代の話だ。今帰仁城はその頃の北山王の居城だったらしい。
その後、戦いの三山時代は尚氏が統一国家を樹立して第一次尚王朝を樹立、ここからが琉球王国の始まりで、クーデターの第二次尚氏王朝、薩摩の侵入、明治維新による沖縄県、太平洋戦争、アメリカ占領、返還から現代へと歴史は続いている。
今帰仁城は北山王の居城であり世界遺産であり、国の史跡にも指定されている。
ただねぇ、石垣ができすぎているんですよ。見事すぎる。後の時代に積み直したことは確実だろう。下手をすると最近重機を使って・・・あんまりそういう事を言いたくはないが、胡散臭い気がしてならない。やっちゃったよね。復旧や復元ではなく・・・。何しろ、石垣の間にセメントが見え隠れするし。
だって、飛び道具もない時代に石垣って・・・何を弾き返す必要があったのだろうか?土塁で良かったはず。
石器時代が終わった後すぐの三山時代の按司の城ですっていう説明に無理があるのか?石垣はずっと後の時代のものですと書いてあれば・・・綺麗で美しい石垣だなぁとは思うけれども、歴史とのズレは明らか。このお城も、何時代までどういう使われ方をしていたのかを示すものは一切なかった。
しかも、これだけの縄張りの城だというのに城下町一つ残っていない。一体誰がこの石垣を積んだのだろうか?
眉唾な気がするのはそういうところから感じるのかもしれない。
歴史の薄さも城下町のなさも戦争のせいだとするのなら申し訳ないが、どうもどうでない気がしてならない。
薩摩藩が攻め込んできたときには、最初に目標とされて陥落している。石垣、ヤクタタズ?そもそも、大した抵抗もしなかったようだし、城としてもヤクタタズに近かったのだろう?
一応、日本100名城の一つ。沖縄からは今帰仁城、中城城、首里城と三城が登録されているので、みごとなお城と言うことなのだろうけど。
入城料400円。
どうやらこれが沖縄の世界遺産の標準価格らしい。
アップダウンの多い沖縄の城。
売店で食べたいちごミルクぜんざい480円がめちゃうまかった。
しかし、11月だと言うのに・・・かき氷か・・・凄いな沖縄。
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