引退から40年 山口百恵の横須賀散歩 20.11.14 11:40
今年2020年はキリがいい年だからかいろいろな記念の年でもある。
山口百恵が白いマイクを武道館のステージに置いたのが1980年の10月。
稀代のアイドルが華々しく引退してから40年になる年だ。
そんな秋の日。
山口百恵の故郷でもあるこれっきりの街横須賀を歩いてみることにした。
横須賀線で訪れた衣笠の駅は開発からおいていかれた感じがたまらない。
もしかすると40年間変わっていないのではないかと思ったりもする。
京急沿いの横須賀が発展を続けているのとは一線を画す。格差ははっきりだ。
そして山口百恵がデビューするまで暮らした横須賀の県営住宅は衣笠駅からしばらく歩いたトンネルの向こうにある。
横須賀は、坂とトンネルと山の街だ。京急横須賀の駅前以外で暮らすにはなかなか厳しいところだったと思う。
まして県営住宅。住むには最低限のところであったはず。40年以上も前の日本社会、それは今の比ではなかったはず。
山口百恵はそんな環境で育った。
坂と山ばかりの土地柄、夏休みにアルバイトでしていたという新聞配達も楽ではなかったはずだ。
そういう厳しい生活がアイドルを一層輝かせたのかもしれない。
山口百恵は生まれながらの横須賀市民ではなかった。
小学校2年制のときに越したきたらしい。
中学2年生までが横須賀での生活の年で、芸能活動同様短いものだった。
中学生の時にオーディション番組でスカウトされてデビューへ。
夢の始まりではあるが、その後も、父親との関係などなど暗い影がつきまとうことになったことは周知の事実。
それでも健気な姿に国民は魅了されたのだろうか?
今となっては検証のしようもない。
すでに40年も昔の話だ。横須賀の街を歩いても彼女の足跡など残るはずもない。
基地の街横須賀というダークな街から恵まれない家庭で育った少女がアイドルになるストーリーは現実とはいえリアリティーがなさすぎる。普通は大概ひねてグレてしまうはずなのに。
これっきり、これっきりと歌う18歳の少女なんて、今どき存在するはずもない。昭和の高度成長期が生んだイレギュラー。そう思わないと納得ができない。
そうそう、横須賀中央公園が工事中でこれっきり坂が登れなかったことだけが今回の散歩の後悔ポイントかな。工事が終わった頃を見計らって、もう一度くる気にはなれない。
何事もチャンスは一度きりだ。
横須賀中央駅前のさいか屋が閉店セールをしていた。
山口百恵がデビュー前に地元お披露目という名目で屋上でデビュー曲を披露した場所だ。
すべてが40年以上の昔の話。
時代は変わる、伝説は忘れさられつつある。
横須賀中央駅の列車の隣接チャイムがこれっきりこれっきりとささやく。
こんな伝説はもう起こらないだろう。もの心つくかつかないかだが、そんな山口百恵の時代の最後を見届けられただけでも幸せだったかな?
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