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時に令和元年 赤穂浪士討ち入りの日、高輪泉岳寺に墓参り 義士祭 19.12.14 11:39

時に元禄十五年十二月十四日、 江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、 しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、 耳を澄ませて太鼓を数え「おう、 正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」

というわけで、毎年12月14日は赤穂浪士討ち入りの日ということになっていて、藩主浅野内匠頭と47人の討ち入り浪士の墓がある菩提寺泉岳寺は今だにその功績を称える人でごった返す。

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ごった返すのは良いのだけれども、実は江戸時代と現代とは日付に関する意識が違い、日が上がってから翌日、なので日が上がるまでを前日という考えだったそう。
つまり、吉良上野介が茶会を行ったのが14日。夜寝静まって、赤穂浪士が討ち入ったのが翌日未明なので今の考えなら15日。なので、浪士が吉良の首を持って泉岳寺に引き上げたのが15日の午前中。
少なくても泉岳寺につくまでには日が上がっていたので、そこは15日と数えるべきだと思うのだが、これから、赤穂の浪士に扮した人たちが、行列をする儀式が行われる。

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おいおい、だからそれ、明日の朝の話ですから・・・と言っても多勢に無勢。悪貨は良貨を駆逐する。正しい意見が曲げられてしまう。ばっかじゃなかろうかといったところで、うるさいバカと言い返されたら反撃のしようがない。
元禄十五年十二月十四日と言ったほうがゴロが良いとは思うし、別に今更今日だろうが明日だろうがどうでもいいのだけれども。

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そもそも、元禄十五年十二月十四日っていうのは旧暦の話。
今がどんなに暖冬だと言っても、江戸時代とはいえ、十二月十四日に深々と雪が降るほど東京は北国じゃない。いや、日本中どこ探したって12月の半ばに積もるほど雪が降るようなところはあるまい。
もうなんだか、歴の切り替えに日付まで移動されると、季節感が全くなくなるから困るんだよなぁ。

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まぁ、しかし大混雑の泉岳寺。
赤穂の浪人が未だに人々に愛される理由がわからない。
後先考えず傍若無人の若殿様に振り回された理不尽な人生に思いを寄せる人たちが沢山いるってどんな社会だ。
でも、敵討ちっていうと聞こえは良いけれども、一人の老人宅に押し入った47人の武士が寄ってたかってなぶり殺したわけで、決して褒めららるほどのことではないと思うのだが。主君の仇討ちって美談すぎないだろうか?

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お墓参りの列が延々伸びて本堂の前を横切っている。
本堂に参る人と墓に参る人とがごっちゃごっちゃ。
やっぱり討ち入りも引き上げも本当は明日だよと教えてやったほうが良いのだろうか?

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浪士の切腹はまた別な日だし、同じ敷地にある浅野内匠頭の墓にしたって、彼が切腹したのはまた別なひだ。なんで今日墓参りしてるんだろう?
私個人的にこの理不尽な行列が嫌で墓参りは諦めたけれども・・・って折角ここまで来てそれもどうかと・・・。
来年は平日か・・・さすがに仕事休んでまで来るところじゃないか。





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