自粛六尺 ちまちまなれど植物の生命力
緊急事態宣言中のご近所散歩。
一寸の虫にも五分の魂とはよく言う。
ちまちまとした、一寸の植物にだって、生きる霊が宿っている。
生き物ってすげーな。
こんな社会の中でも生きるんだよなぁ。当たり前だけれども。
植物にとっては、人様の社会になっているかなんて気が付きもしないだろうけれど。
小さいながらも輝いてますわ。流石ですわ。
普段なら気にもとめない名前もろくに知らない小さな植物だけれども、こんなときだからこそ。こちらのカンセにアンテナが敏感になっているからこそ感じること。
街の彩りにもならないような植物だけれども、そこのところは他人事というか・・・植物事とは言いづらい。でもね、生きるチカラはしっかりと感じますよ。生命力っていうのかな。
人間社会に有っては、こちらだって吹けば飛ぶような存在だから。
こんな世の中で、外出が自粛されて、もう何ヶ月も在宅勤務で、寝るだけが目的のはずだった自宅のアパートに昼に夜に籠もらさせられると、ガタイは誰よりもデカイのに自分の小ささを毎日思い知らされている。
小さくても(ここからすでにムリがあるけど)、街の隅みでも、誰にも目をかけられなくても、輝いて咲く存在になりたかったなぁ。
もう少し若いときに気がついていれば何とかなっただろうか?若いときはバブル全盛、そんな事気にもとめない世の中だったから。バブル崩壊後も一度染み付いたものはなかなか落ちず、リーマンショックも東日本大震災後もイケイケのママ今に至るだ。
小さく、可愛く、街の隅に咲く花になりたいと、思ったところで、こちらの人生の済が近づいている。
それでも、死ぬまでに気がつけたのは良かったかな。
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