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【横浜市中区】薔薇の季節、春の横浜山手散歩 港の見える丘公園 23.05.01_14:15

 あなたと二人来た丘は港が見える丘。

 桜の季節はとっくに終わったけれど、今は薔薇の季節でまさに満開。

 旧イギリス総領事公邸が建つ場所だからバラにはうるさい公園。

 これだけのバラが無料で見られるって贅沢なことです。

 いや、運営費用は私の住民税だった(笑)

 薔薇がねぇ、今まさに満開だったんですよ。

 港の見える丘の上だから風が強いのはいつものことなんだけれど。

 
 港の見える丘は戦後接収されて進駐軍の施設となっていた。

 やがて接収解除になると横浜市が公園用地として整備し1962年に一般公開。

 公園名はこの時、1948年にヒットした港が見える丘にちなんで命名された。歌が先なんだね。

 なので、公園は自分がガキの頃からあるし、当然何度も足を運んでいる。

 ただ不思議なことに、この公園から港を見渡すことはできない。

 もっとも、自分がガキの頃なんて日本の経済発展もまだまだで、横浜に今のように客船がのべつ出入りするような港の風景はなかった。

 港町横浜とか言っても、それは本牧や大黒にある貨物の港であり、旅情を感じることは何年かに一度入港する海外の客船でしか感じることはなかった。

 大桟橋もただのコンクリートの桟橋でそこから特別なものを感じることもなかった。何しろ、船が入っているところをあまり見たことがなかったし。

 氷川丸だけは今も昔も変わらず係留されているが。

 みなとみらい線が開通していない頃の山手の丘は何しろ来づらい場所だった。

 電車なら石川町から丘を上ってイタリア山から歩いてこないといけない。

 車がないとろくに観光すらできないようなところ。そもそも、日本中が観光なんかにあまり力を入れていなかったし。

 だからなのだろうか?排他的な山手は本牧は子供にでもわかるほど大人の雰囲気がしたものだ。

 ブルーライトヨコハマはここからの景色を歌にしたものだそうだ。
 きれいな街の明かりが伊勢佐木町な訳はないとは思っていたけれど。

 ガキの頃バラが咲いていた記憶はあまりない。

 横浜の市花ではあるけれど、それって制定されたのは平成元年からの話だ。

 野毛山公園や山下公園の薔薇はガキの頃からあったと思うけど。

 記憶の中の横浜でバラと言えば、高島屋かな。

 昔の関東のテレビの時報は、必ず高島屋のローズちゃんだったから・・・

 それとも、自分が気が付かなかっただけだろうか?
 記憶の思い違いかもしれないけれど、今となっては訂正のしようがない。
 
 



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