【横浜市中区】薔薇の季節、春の横浜山手散歩 外人墓地 23.05.01_13:15
元町公園に隣接するのが横浜外人墓地だ。
横浜にはここ以外にも根岸外国人墓地、中華義荘、英連邦戦没者墓地があり、横浜の国際性を表している。
それでもやっぱり有名なのは山手の外人墓地。
ペリー艦隊で事故死した水夫ウィリアムズを元町の増徳院に埋葬したのが外人墓地の始まりだそう。
近海だったからそうなったのだろうけど、洋上だったらきっとそのまま海に・・・。
やがて下田が開港し、玉泉寺にアメリカ人用の墓地がつくられたことで、ウィリアムズはそちらに改葬されたが、その後、横浜で亡くなった外国人の数が増え日本人の埋葬地と区別がつかなくなってきたので、文久元年に日本人の墓地を移動させて外国人用のエリアを確定させたのが今の外人墓地。
最初は丘の下の方だけだったものが、どんどん拡張され、しかも上の方から埋葬されていったらしく、墓石に刻まれた日付はまちまちになっているそうだ。
幕末の慶応年間に入ると外国人の殺傷事件が頻繁に起き、墓は埋まる一方。
もっとも、居留地に住んでいたのは貿易商なのだが、彼らは日本に骨を埋める意識がそもそも薄く、そこそこ儲けて故郷に錦を飾るのが目的だったので、埋葬されている人は少なく、船員や駐屯兵の墓が多いとか。尊皇攘夷に巻き込まれた人達なんだろうなぁ。
明治に入ると宣教師やお雇い技師が増える。
平和な時代になったってことだろう。
日本の近代化に貢献した人達が、こんなところで眠っていると思うと胸が痛む。
観光地の異国情緒。家族のことを思うと、それだけでは片付けられないはずなのだけど。
爆買いの外国人も、古都を巡る外国人も、時刻の先人の墓にはあまり興味がないのか、ここで外国人の姿を見ることは少ない。
日本人とは死生観が違うのだろうか?
それも文化なのかも知れないけれど。
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